『愛の不時着』はなぜヒットしたのか?現代人を惹きつける新しいヒーロー・ヒロイン像とは
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BW_machida

2021/07/27

 

ドラマの、楽しみ方は一つではありません。ストーリーを追うだけでなく、謎解きや、作中に登場する音楽やファッション、美男美女の俳優陣に注目する見方もあるでしょう。『ジェンダーで見るヒットドラマ』(光文社新書)でジャーナリストの治部れんげさんがすすめるのは、「ジェンダー視点」で見るというもの。いまやビジネスでも家庭でも欠かせないものとなったジェンダーを念頭に鑑賞すると、今までとは違った側面が見えてきます。社会の鏡でもあるドラマが映すものとは何なのか?今回は韓国の大ヒットドラマ『愛の不時着』の人気の理由をジェンダー視点で読み解きます。

 

無償ケア労働をするヒーロー

 

2020年のコロナ禍、大ヒットを記録し第4次韓流ブームを巻き起こしたドラマがあります。『愛の不時着』です。北朝鮮の軍人男性と韓国の起業家女性の恋愛を描いたこの作品。一見王道ラブストーリーのように思えるかもしれません。
しかし、治部さんはそれだけの作品ではないと言います。

 

私が考える『愛の不時着』高評価の理由は、甘い恋愛ドラマの部分というより、固定的な性別役割分担の逆転と、有毒な男性性のないヒーロー像でした。それは、北朝鮮の特殊部隊大尉リ・ジョンヒョク(ヒョンビョン)が不時着してきたセリを匿い、麺料理を作りコーヒーを豆から炒って淹れてあげ、洋服やシャンプー、リンスなどを闇市場から調達する、といった具合に「無償ケア労働」をするところに表れています。

 

「無償ケア労働」とは、上記のように料理を作ったり身の回りの生活環境を整えたりといった家庭内での労働のことです。男は稼ぎ、女は家事をするという性別役割分担に沿って考えればヒロインがヒーローに施すべき世話を、この作品ではヒーロー自身がしています。
セリは、それまで父親の愛人の子として家族の間で孤立してきたことから、他人を信じられずにいました。食事はいつも3口しか食べないという彼女は、摂食障害だったのではないかと治部さんは予想しています。そんな彼女が、ジョンヒョクとのケアを受け入れることで変わっていきます。ケアするヒーローにより救われるヒロインという物語の形は、ジェンダー・ステレオタイプが覆された時代の新しい王道ラブストーリーと言えるかも知れません。

 

ヒーローを守るヒロイン

 

治部さんがもう一つ『愛の不時着』の特徴として指摘するのは、ヒロインがただヒーローによって救われる存在ではないということです。
財閥の家に生まれたヒロインは、何不自由ない環境で育ちますが兄たちに疎まれ義母とも確執を抱えながら過ごします。20代で実家を出てからは、自力で会社を立ち上げ上場させるまでに成長させました。

 

つまり、セリは恵まれた「財閥令嬢」ではあるものの、大人になってから自力で「起業家女性」になった人物です。困難な環境にあって、自分の生きる道を自分で切り開き、選び取ってきたことは、彼女が創業した会社にSeri’s Choice(セリズ・チョイス:セリの選択)と名付けたことに表れています

 

北朝鮮に不時着したところをジョンヒョクに救われたセリは、その後も韓国に戻るための手助けを受けます。第1話で秘密警察に見つかりそうになったときにはジョンヒョクの「壁ドン」で隠され、第2話で秘密警察に発見され銃を突きつけられたセリはジョンヒョクが自分の婚約者だと嘘をついてもらったことで難を逃れます。船渡しで韓国に帰ろうとしたセリがパトロールに見つかりそうになる第3話では、ジョンヒョクがキスをして恋人のフリをします。その後も、ジョンヒョクはセリのピンチに駆けつけ、彼女が不安になったときには支えになります。
このような「危機に陥った女性を守る王子様」という構図は確かに王道です。しかし、第7話以降はその関係が逆転します。
自立した芯のある女性であるセリのキャラクターが全面に押し出され、ジョンヒョクを助ける場面がたびたび出てくるようになるのです。銃槍を負ったジョンヒョクに輸血をするため北朝鮮脱出の機会を諦めたり、ジョンヒョクの盾になって自分が撃たれたり……。物語が進むにつれて、自らの選択によってヒーローを守るヒロインの姿が示されて流ようになります。

 

新しいラブストーリーには、守られるだけの姫も守るだけの王子もいない

 

守る男に守られる女、強い男とか弱い女、こうした性別役割分担的ジェンダー像の枠に収まらないキャラクターを描いたのが、『愛の不時着』です。治部さんはこれこそがこのドラマの大きな魅力であり、かつそれがあからさまでない表現で行われている点が評価すべきポイントだと言います。

 

現実社会の厳しさと闘う人々を描きつつ、解決策の一歩先にある理想的な世界を描こうとしている数々の韓国ドラマが、日本で今、大ヒットしているのには、理由があります。視覚的に美しく、展開が速く、恋愛やミステリー、ビジネスといった多面的な要素を盛り込んで高度なエンタメに昇華しつつ、日本の視聴者も共感や想像ができる社会構造の問題を描くことで、希望を感じさせてくれるからなのです。

 

守られるだけの姫も、守るだけの王子もいない『愛の不時着』は、それまでの性別役割分担が古いものとして見られるようになった時代に適応した、新しい形のラブストーリーです。生まれ変わりつつある現代の価値観を反映しているからこそ、『愛の不時着』は世界中でヒット作品となったのかもしれません。

 

文/藤沢緑彩

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