ryomiyagi
2022/02/24
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2022/02/24
『きれいになりたい気がしてきた』 光文社
ジェーン・スー/著
アラフィフにして、本格的なハイヒールデビューを果たしました。最近は、ちょっと気合いが必要な日、素敵な気分になりたいときは七センチハイヒールばかり履いています。出先でショーウインドーやコンビニの鏡に映る自分の姿にも、思わずニンマリ。うん、悪くない。ハイヒール、ちょう楽しい!
突然のハイヒールブーム、「ふと、履いてみたくなった」のがきっかけではありますが、その「ふと」がどういう流れで訪れたのか、私は自分の心境の変化に興味津々です。
そもそも、私は身長が一六七センチメートルあります。「背が高い」と言われる部類です。うらやましがられることもありますが、私が子どものころは、世の中では「背が小さいほうが可愛い」と言われておりました。背高ノッポが好まれるのは、モデルのようにスリムですらっとしている場合のみ。いまはもうそんな時代ではないのかもしれないけれど、「女のくせにデカいな」と言われる時代は確かにあったのです。
ハイヒールって歩きづらいし、つま先が痛くなるし、なにしろ五センチヒールを履いただけで身長が一七〇センチメートルを超えてしまうことは、昭和生まれの私には負荷が強かった。一六七センチメートルの自分は嫌いではなかったけれど、ことさらデカく見られたいわけでもありませんでした。カジュアルな服装が好きなことも、ハイヒールとは縁がなかった要因のひとつかもしれません。
そんな私が、満を持してのハイヒール。
まず、「履いてみたくなった」タイミング。これは完全に推し活きっかけです。推しは高身長の女性が好みらしいとどこかで耳にして、ならば履いてみようと思いました。ヒールで底上げしたところで、私と推しがどうこうなるわけでもないことは百も承知。脳がどうかしてますが、推し活というのはそれでいいのだ。
次に、ネットで注文したハイヒールが、たまたま足にピッタリ合ったこと。試着をしないで購入する時点でやる気がないことこの上ないのですが、運が良かったんですねえ。まるでシンデレラだよ。足に合ったものなら、一時間くらい余裕で歩き続けられることにも驚きでした。
最後に。四十代も終わりかけになって、ようやく女が楽しくなってきたから。自分の女性性を、思う存分に楽しめるようになったから。これが最も大きなファクターでしょう。
ハイヒールって、カッコいいイメージと同時に、女っぽさの象徴みたいなところがあります。私は長いこと、世間が言うところの「女っぽさ」を敵とみなしてきました。女っぽくあることは、弱いことでありズルいことだと思っていたから。
私の性自認は女性です。自分が女であることに不満はないけれど、女として扱われることで生じる損得には、いつも居心地の悪さを感じていました。私は私として生まれたことを存分に楽しみ、味わいたい。しかし、「女」という私の属性のひとつが、たまに厄介を引き起こす。それが、「女だから」や「女のくせに」を枕詞に語られる偏見や決めつけです。「女だから失敗した」とか「女のくせに生意気だ」とかね。
女であることをわかりやすく世間に示す記号、たとえばハイヒールやスカート、メイク、色ならピンクを取り入れるのがとても難しい時期が、私にはありました。そんなの気にしなきゃいいと言う人もいるけれど、やっぱり「女っぽい」は「女だから」や「女のくせに」や、相手にとってのみ都合の良い「女らしい」と紐づいているようで、どうにも受け入れがたかった。それで、まるっと女の記号を自分に禁じていたのだと思います。
女であることに間違いはなく、自分であることを誇りたいのに、自分の一部を否定しないといられなかっためんどくさい私。しかし、記号を排除することで偏見や決めつけを回避できたのも、悔しいかな事実です。
皮肉なもので、女とみなされる機会が減ってきた中年期になってから、私は女の記号をどんどん取り入れられるようになりました。去年から久しぶりに髪を伸ばし始めたし、今年は薄いピンク色のコートまで買っちゃったわよ。アラサー時代の私が見たら、驚いてひっくり返ってしまいそう。
女扱いされなくなったから、女にしがみつき始めたと見る底意地の悪い人もいるでしょう。でも私から言わせれば、ハイヒールを履いても履かなくても、私の根本的な価値は変わらないと自分で確信できるようになったから、ハイヒールが楽しめるようになったのだよ。
随分時間がかかったけれど、ここまでたどり着けて良かったなと満足しています。
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