akane
2018/10/31
akane
2018/10/31
──『怪談』でもっとも有名な一篇が「耳なし芳一の話」ですが、あとがきにあるように、南條さんが初めて芳一を知ったのは絵本で?
南條 そう、子どもの頃にね。だから、『怪談』という作品自体をちゃんと読んだのはずいぶん後になってからです。岩波書店の平井呈一の訳でした。
──どれも怖いけど怖すぎないというか、むしろ、不思議さのほうが勝っているような。
南條 それに憐れな話が多いですよね。
──ちょっと教訓めいたところもありますし。
南條 うん。それから、ハーンが書いたものと種本と比べるとずいぶん違うんですよ。たとえば、「お貞の話」のお貞をハーンは堅気のお嬢さんとして描いてます。でも種本では遊女だか芸者だかなんです。だからまったく違った話になってる。ハーンは女性をすごく純情というか、美しく、憐れに、貴族的に書いています。
──ハーンは『夜窓奇談』『仏教百科全書』『古今著聞集』『玉すだれ』『百物語』などをもとに話を創作したわけですが、これら種本は、自分で読んだわけではないんですよね。
南條 本人にはあまり日本語を読む能力はなかったようで、奥さんが読みあげて、わからないところは説明して、いろいろと教えました。それで、たまたま奥さんが漢字を読み間違えると、ハーンは耳で聞いてアルファベットにするから種本と食い違ってくる。長尾杏生(きょうせい)が長尾長生(ちょうせい)になっちゃったりするんです。
──俳句を多く引用して、意味を紹介しながら、日本人特有の感覚や考え方を見事に解説していますが、句の解釈についてもやはり奥様がお手伝いを?
南條 あれは、松江の島根県尋常中学校でハーンが英語を教えていた生徒の大谷正信ですね。この人がそもそもの資料をハーンに提供して、句の内容も教えていたんだと思います。なんか、一句ぐらい自分の句が入っているらしいです。詠み人知らずとかいって。
──おお、ちゃっかりしてますね。ところで、ハーンは日本ではもっぱら『怪談』で知られていますが、評論や紀行文もいろいろと書いて日本を世界に紹介していた。それらは当時、かなり読まれていたのでしょうか?
南條 ハーンが日本に来て暮らしていた頃は、日清・日露戦争に重なっているでしょ。日露戦争では曲がりなりにも勝ったことになったので、世界が日本に注目していたわけですよ。だから英語で書かれたハーンの本は売れたんです。アメリカの大学で講演をするために書いたものが没後に出版されていますが、そういうお呼びがかかるぐらいですから、日本の紹介者としてずいぶん注目を浴びていたんじゃないかな。
──どういうものとして読まれていたんでしょう。日本の文化・風俗を知る読み物として?
南條 そこはやはり文学的なものとしてだと思います。だから、けっこういろいろな作家がハーンを読んでる。たとえば、アメリカの小説家のハワード・フィリップス・ラヴクラフト。批評などを見ますと、熱心な読者だったことがわかります。他にはハーンと同時代のイギリスの作家、フィオナ・マクラウドも。この人じつは、ウィリアム・シャープというスコットランドの男性作家なんです。ところが、スコットランドの女性名義で、すごくインスピレーションに富んだ、ロマンチックで憐れな物語をたくさん書いて有名になったの。
──性別というか人格、作風を完全に使い分けていた?
南條 スコットランドの離島に生まれたような、要するにケルトの伝説に育まれたような架空の女性を考えて、その人にならなければ書けない物語だったことはたしかです。それを妹が書き写して、出版社に送っていた。ウィリアム・バトラー・イェイツとか、いろいろな人と手紙でやりとりをしているんですが、その手紙もシャープが書いたものを妹が書き写したという。死後初めて、奥さんが正体を明かすんですよ。
──家族の協力で特別な創作活動が守られていたんですね。
南條 6月に出た『英国怪談珠玉集』に「牧人」という作品を入れたんですけど、あれは傑作だと思う。前置きが長くなりましたが、そのマクラウドの手紙に、「自分にはハーンみたいな文章は書けない」なんていうのが出てきたりしてね。
──そんなハーンの文章の特徴を挙げるとしたら?
南條 やさしい感じがしますね。言葉の感じが本当に。いわゆる凝った文章ではないです。ジャーナリストとして活躍してきたせいか、読みにくい文章は書かない。関係代名詞で繋げてズラズラズラと長くなるようなものはね。『怪談』に収められたものだと、最後の「蓬莱」というちょっと散文詩的な一篇、あれだけが例外で、レトリックを駆使しているというか華麗な文体です。
──ハーンは視点がまた絶妙というか、淡々とした描写によって、静かに生々しくゾッとさせるのがうまいですね。
南條 「耳なし芳一の話」は、種本よりもはるかにハーンのほうが怖いです。目の見えない人は、音で悟るわけじゃないですか。縁側に現れた侍が偉そうな口を聞き、芳一の手を引いて連れ出し、「開門!」と言ったからどうもその侍の主人の屋敷に着いたようだとか。あるいは、襖がいくつも開く音がして女中たちが出てきて、長い板張りの廊下や広い畳を歩かされ、衣ずれや話し声から人が大勢いること、高貴な家であることを察するとか。ああいう描写は種本にはない。完全にハーンの創作です。すばらしいでしょ。
──感覚が研ぎ澄まされて入り込んでいく感じがしました。自然と芳一の感覚にシンクロして、恐怖が煽られるというか。
南條 本当にそう。ハーンは、英語で書いているわけですが、ある意味で日本的な間(ま)というか、独特の語り口を持っていますよね。それがハーンならでの怖さを創り出している。そこはヨーロッパ的な怪談とは違う感じがするんです。
株式会社光文社Copyright (C) Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved.