出版界の幸福な時代を駆け抜けた男、本田靖春『拗ね者たらん』

田崎健太 ノンフィクション作家

『拗ね者たらん 本田靖春 人と作品』講談社
後藤正治/著

 

 

本を読み進めているうちに、自らの居ずまいを正さなくてはならないような、背筋が伸びる感覚になるときがある。本田靖春はそんな書き手だ。

 

全てではないにしても、ぼくは彼の作品をかなり読み込んできた。その中で出会った胸を衝くような、冴えた表現をノートに書き写したこともある。影響を受けた作家の一人である。

 

だからこそ、本田を主人公とした後藤正治の『拗ね者たらん』は講談社の『本』の連載から目を通していた。

 

本田には『我、拗ね者として生涯を閉ず』という遺作とも言える長編の自伝的ノンフィクションがある。自伝ではあるが、客観的な目が感じられる一冊だ。

 

自伝と違う「評伝」を書くために、著者の後藤が選んだのは、担当編集者の証言を添えて、作品で本田の人生を辿るという手法だった。

 

単行本となって読み返して、改めて感じたのは本田の作品が、彼の歩みを反映していること、そして彼に伴走した、心ある編集者たちの存在だ。

 

彼ら、編集者たちの共通点は、現場をしっかりと歩き、資料にあたり、想像力を駆使して紡ぐ本田の文章に魅せられていたことだ。

 

「残るものは文章です。編集者は文章によって書き手とぶつかる。当時は無名ではあったけれども一読して上手いなぁと思ったのは本田さんと児玉隆也さん(故人)でしたね。二人とも原稿の仕上がりは遅かったけれども」(文藝春秋 田中健五)

 

「編集者はだれしもそうなんでしょうが、いい文章を書く人が好きなんですね。野球の投手で百五十キロ以上の真っ直ぐを投げるのは素質だといわれますが、文もまたもって生まれたものではないでしょうか。本田さんは勉強家の努力家であったけれども、文における素養が飛び切り豊かな人だった。それはずっと感じてきたことですね」(潮出版 南晋三)

 

「あれほど生き生きとした文章を書ける人はちょっと浮かびませんね。常に自身の生活感に照らし合わせて、内面をくぐらせるなかで書いていく。体内に沸き出づる言葉の泉があって、あくまで自分が納得できることだけを選んで言葉化されていた。だからあのような文が書けたのではないでしょうか」(文藝春秋 東眞史)

 

後藤はこう補足する。

 

〈本田の残した作品を読み返すなかで気づいていったことなのだが、本田は美文調の書き手ではないし、技巧的な作為をほどこすこともしていない。ただ、表現の巧みさを自然と埋め込む術をもった人であって、それはおのずと滲み出ている。文章とは、書き手それぞれがもつ指紋のごときものであるのかもしれない〉

 

後藤は〈ノンフィション作品は、大なり小なり編集者のサポートがあって世に出る〉と書く。ぼくも同感だ。

 

講談社の藤田康雄は、作家と編集者の関係について本田から「作家と編集者ってどんな関係だと思う」と問われたという。藤田が何と答えたらいいかと言葉に詰まると、本田はこう答えた。

 

〈「二人して一緒に人の家にドロボウに入るようなもんじゃないのかな。そう思って来たよ」
 互いに共通の意図を秘めて行動し、一蓮托生となって結果責任を負うもの――そういっているように藤田には聞こえた〉

 

『VIEWS』『現代』でコラムを担当していたやはり講談社の吉田仁が上司である渡瀬昌彦と共に本田を訪ねたときの回想である。

 

〈阿佐ヶ谷の病院で本田が人工透析を受けていた時期である。その日、夫人の早智の他に、仕事がらみの要件もあって渡瀬と吉田が待合室で待機していた。透析を受け、タクシーで井草の自宅に戻った。住まいはビルの三階にあって、エレベーターがない。本田は透析を受けて疲労困憊、さらに右足指の壊疽が進行し、階段を上れない。
背中を差し出した渡瀬に本田は身をゆだね、それを後ろから吉田が支えた。踏み外せば三人とも転落する。一段一段、階段を踏みしめて上っていく渡瀬の必死の息遣いが伝わってくる。柔らかい日差しが残る、冬の日の夕刻であった〉

 

映画の一場面のようだ。

 

インターネットの時代になり、ネットあるいはWeb「編集者」と名乗る人間が爆発的に増えた感がある。しかし、彼らの仕事は出版社の編集者とはかなり違う。書き手との間にこんな濃厚な関係を築くことはネット編集者の優先事項ではない。それも時代の流れであり、仕方がないことだろう。

 

本田は出版界の幸福な時代を駆け抜けた男であった。そして本書を読んで、末端ながら彼のバトンを受け取ったような気になった。

 

階段で本田の躯を支えた講談社の吉田が法務部に異動する前、最後に担当した単行本はぼくの『球童 伊良部秀輝伝』だったからだ。

 

ぼくと吉田は本田が表現するように〈一緒にドロボウに入るような〉関係だった。吉田を介して、本田の“作家と編集者”の付き合いを少しは学んでいる。その関係性は出版界が培ってきたものでもある。それを今度はぼくたちが次に伝えて行かねばならない、と。

 

今回、敢えて本田の文章を引用しない。

 

この『拗ね者たらん』を片手に、本田の優れた作品という森の中に是非分け入って欲しい。

 

まずは代表作の『不当逮捕』、あるいは『誘拐』か。この二つはジャーナリズム、あるいはノンフィクションを志す人間は当然のように読んでおかなければならない作品だ。その他、伝説のやくざ、花形敬を描いた『疵』もいいだろう。

 

ぼくは金嬉老事件を書いた『私戦』を推す。本田の虐げられている人間に対する愛情が強く感じられるからだ。在日朝鮮人として苦労して生活してきた金嬉老の母親は自分のことを殺しそうとしてもなかなか死なない「マムシ」に喩える。そこに本田の取材者としての目を感じた。

 

また、『我、拗ね者として生涯を閉ず』では一度目の結婚の失敗も詳しく書かれている。後藤が『拗ね者たらん』で触れなかった、本田の躓きである。

 

彼は問題のある母親から救い出してやろうと〈おれが付いていなければ、この子はまともな生活を送れなくなる〉という義心から結婚したという。その直情さ、不完全さも魅力的だ。

 

 

『拗ね者たらん 本田靖春 人と作品』講談社
後藤正治/著

この記事を書いた人

田崎健太

-tazaki-kenta-

ノンフィクション作家

1968年京都府生まれ。 早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。「週刊ポスト」編集部などを経て1999年末に退社。スポーツ、政治、旅などさまざまなテーマのノンフィクション作品を発表。 多数の証言を元にプロレス界に迫った『真説・長州力 1951‐2015』(集英社インターナショナル)、自ら死を選んだ元メジャーリーガーの生涯を追った『球童 伊良部秀輝伝』(講談社、ミズノスポーツライター賞優秀賞)、名優と昭和の映画界を描いた『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社+α文庫)、巨大化するサッカーとカネの関係にメスを入れる『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)など著書多数。早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員。最新刊『真説・佐山サトル タイガーマスクと呼ばれた男』(集英社インターナショナル)が7月に発売。 撮影/タイコウクニヨシ

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