2019/03/25
横田かおり 本の森セルバBRANCH岡山店
『続 横道世之介』中央公論新社
吉田 修一/著
「この世界にあの人がいた。だから、私も最期の瞬間まで生き抜こう」
ページの向こうの人のことを、こんな風に心の支えにするのはおかしなことだろうか?きっと、おかしなことなのだろう。だって、現実にはいない人なのだから。
それでも私は胸をはって「あの人と出会えて本当に良かった」と伝えたい。あの人とは、この物語の主人公である〈横道世之介〉という人のことだ。
大学卒業後、就職先が決まらず、パチンコとバイトで食いつないでいた世之介。住む家を借りることができなくて、途方に暮れる世之介は怪しい不動産屋にラブホ街のアパートを勧められる。「水商売の女の子が住んでいるラブホ街のアパート」という言葉によからぬ期待が浮かび、あっさり契約しちゃう浅はかなところ。カップルの痴話げんかの仲裁をしたはずが、助けた女に裏切られ「なにしてんのよ!」って突き飛ばされちゃう間抜けなところ。正社員の話をもちかけてきていた社長に小銭泥棒の容疑をかけられ、あっさり首を切られるも、誰も恨まず身を引いた意外に潔いところ。アメリカ旅行中に友人のコモロンと喧嘩になり、ほとんど無一文で置き去りにされるも、なぜか現地の日本人に助けられ帰ってこられちゃうところ。恋人の桜子(二人が出会ったきっかけは世之介とコモロンが桜子の部屋を覗いたことだった。つまり、覗きだ)に二度プロボーズし、二度とも断られるが、その後もなんとなくゆるやかに付きあい続けちゃうところ。
普通ではありえない状況で、ありえない結末を迎えるエピソードが多すぎる。人からの裏切りや手のひら返し。のほほんとしていられないような状況でも、口笛でも吹いているかのように軽やかなのが、横道世之介という人だ。
そして、私が思う世之介のいちばん素晴らしいところは、善良であり続けたというところだ。善良とはつまり、良い人であるということ。良い人は、何をしても滅多なことでは怒らないし、たとえ怒ってもあんまり怖くなかったりする。良い人がゆえ、頼み事は断れず、ヘラヘラふわふわ、何も考えていないように見える。時に蔑まれ、軽んじられることだってある。なんというか、いってみればサンドバックのようなものなのだ。あらゆる方面からパンチをくらい、ふらつく姿がどことなく滑稽で愉快ですらある。その姿を見てゲラゲラ笑っているのが、常識を持ちあわせ社会にきちんと馴染んでいる普通の人。強くて声の大きい、絶対的多数の人々。
世之介は世の中の普通や常識からこぼれおちている。でも、そんな世之介だからこそ、癒せる心の傷がある。
世之介の周りにいる友だち、恋人、仲間。十字架を背負い続けないといけないような過去、壮絶ないじめ、先行きの見えない未来への不安。過去の呪縛や現実の重さに足をからめとられて動けなくなってしまった人々。その暗い場所から、どうやっても立ち上がれない時、宿り木のように、休憩所のように、身体が吸い寄せられてしまう人。空気みたいな存在で、何も言わずに傍にいてくれる人。ただただ、傍にいて欲しいと、心が、身体が欲してしまうのが、横道世之介という人なのだ。
人々が世之介のことを思い出す時、私の胸はぎゅうっと締めつけられる。かつて、隣にいた彼はもうこの世界にいないのだ。善良さだけを持ち合わせ、人々の心をあたためた横道世之介という人。なんと、偉大な人だったのだろう。世之介のいない世界は少し色彩を欠いている。味気なく、つまらない。でも、残された私たちは、最期の時まで生きていかなくちゃならない。
世之介の最期を悼み、ちょっぴり、いや、かなり泣いて、前を向こう。いつかどこかで出会えたなら、世之介と笑い合いたい。
大好きな人には、笑ってほしい。
『続 横道世之介』中央公論新社
吉田 修一/著