2019/05/29
高井浩章 経済記者
『誤解だらけの人工知能 ディープラーニングの限界と可能性』光文社新書
田中潤・松本健太郎/著
副題にある「ディープラーニングの限界と可能性」についての対話を中心とした、手軽に読める格好の入門書だ。特に「限界」についての専門家による明け透けな本音トークは、巷にあふれる「ディープラーニング万能論」や「人工知能脅威論」がいかに陳腐で安易か、具体例を挙げて指摘する痛快な読み味がある。
音声認識エンジンという先端分野の研究開発者である田中潤氏を「専門家役」に据え、データサイエンスと人工知能について幅広いバックグラウンドを持つ松本健太郎氏があえて「素人役」になりすまして素朴な質問をぶつけるという形式が、うまい。この構成が、読みやすさと一般読者のかゆいところに手が届く内容を引き出す効果を上げている。
人工知能という言葉には、「人間のように考え、答えを導き出す脳のシミュレーター」というイメージがつきやすい。現実のディープラーニングは、強力なマシンパワーで膨大なデータを処理し、「特定のパターンを見つけ出す」という能力で突出した成果を上げているコンピューターシステムの一種に過ぎない。
そんなものを「知能」と呼べるのか、という哲学的な問いは、冒頭でバッサリと切り捨てられる。「ディープラーニングはただのプログラムにすぎない」という意見に対して、田中氏が「自我の有無と知能の定義は関係ない」「むしろ自我があるから人間はバカな振る舞いをしてしまうのではないか」と語る部分には声をあげて笑ってしまった。
そんな文系好みの哲学論争は軽やかにスルーして、中盤から後半にかけては、ディープラーニングがこれからどんなプロセスで人間社会に実装されていくのか、段階的なプロセスをたどって丁寧に予想が示される。この部分は、極めて納得感が強い。世間の過大な幻想と誤解が、地に足の付いた対話によって解かれていく。
画像の分析・分類で威力を発揮するディープラーニングは、「コンピューター・機械が『目』を持った」という意味では、生物のカンブリア大爆発に相当する進化をもたらす可能性を秘める。一方で、今の人工知能は「目が開いたばかりの赤ん坊」のようなもので、世界を理解する枠組みや「常識」を身につけるためには、まだいくつもの技術的なブレイクスルーが必要だ。
人工知能論は知的刺激に満ちており、イノベーションとしても要注目なのは間違いない。だが、幻想に踊らされて浮足立つのは時間と労力の無駄だ。まずはこの1冊をじっくり読んで、人工知能の「現在地」と少し先の未来の道筋を整理してみてはどうか。
『誤解だらけの人工知能 ディープラーニングの限界と可能性』光文社新書
田中潤・松本健太郎/著