2019/08/05
金杉由美 図書室司書
『夢見る帝国図書館』文藝春秋
中島京子/著
子供の頃、本屋は遊園地以上のワンダーランドだった。
びっしり本の詰まった棚の前に立つとわくわくしてお腹が痛くなるくらいだった。
だから書店員になってみた。
そうしたらびっくりしたことにそのわくわくがなくなってしまった!
本が読むものじゃなくて売るものになってしまった!
休みの日によその本屋に入ってもわくわくしない。しないのに平台整理したりしちゃう。
何ということでしょう!
これは書店員の「業」というものなので、全国の本が好きなよい子たちにいっておきたいけれど、書店員にだけはなっちゃいけません。大事な何かを失いますよ。
でも図書館には残っていた。
ここにある本どれでも好きなだけ読んでいいんだ!っていう純粋なヨロコビとオノノキが。
上野公園のベンチで出会った少女のような老女、喜和子さん。
彼女と仲良くなった「わたし」は、ひとつの頼み事をされる。
「上野の図書館のことを書いてみないか」
「図書館が語る、みたいな」
「お題はね、『夢見る帝国図書館』」
静かに図書館は語り始める。その来し方行く末を。
図書館のために奔走する永井荷風の父。
図書館に入り浸る名もなき若者だった芥川龍之介、谷崎潤一郎、宮沢賢治。
図書館が横恋慕した貧乏で肩こりの樋口一葉。
謎のインド人、靴だけをみて暮らす下足番、動物園から逃げこみ立て籠もる黒豹。
そして何度もやってきては爪痕を残していった戦争。
図書館はいつもそこにたっていて、すべてを見つめてきた。
ヨロコビとオノノキを求めてやってくる人たちを受け入れてきた。
喜和子さんも図書館に庇護されたひとりだった。
ちいさい頃の記憶は、夢のようにぼんやりと曖昧だけれど。
ひんやりとした建物の中の空気の感触。
毎日背負って連れてきてくれた懐かしい誰かの面影。
図書館の歴史と喜和子さんの追憶が走馬灯のようにくるくると回り始め、「わたし」はそれを追う旅に出る。
この喜和子さんがとても可愛らしく魅力的で、だからなおさら、その謎めいた過去の暗い影が気になる。謎が少しずつ解けてくるにつれ、愛おしさと傷ましさで胸がいっぱいになる。
自由と引き換えにたくさんのものを捨ててきた喜和子さん。
悲しいことやつらいことだけでなく、かけがえのない大切なものも置いてきてしまった。
彼女にとって図書館は、優しい思い出の眠る場所、難破したとき照らしてくれる灯台、いつだって帰っていける心の故郷、そんな存在だったのではないだろうか。
ゆめみるものたちの楽園、真理がわれらを自由にするところ。
それが図書館。
個人的には紆余曲折あって現在小さな小さな図書室で働いているけれど、わくわく、ここにもまだあるから大丈夫。
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