2019/08/06
青柳 将人 文教堂 教室事業部 ブックトレーニンググループ
『二十世紀電氣目録』京都アニメーション
結城弘/著
文学界には今も多くの文学賞がある。皆さんもご存知の通りの『直木賞』や『芥川賞』をはじめとした文学賞、ライトノベルやケータイ小説といった賞や、インターネットで公募している賞など、出版業界だけではなく、映画のシナリオや地域密着型の賞も含めれば、膨大な数が存在する。
書店も含めて出版業界全体が低迷していると言われて何年も経つが、良質な物語を求めている読者や企業、クリエイターは、昔に比べると実は増えてきているのではないだろうか。
『涼宮ハルヒの憂鬱』でゼロ年代のアニメーション業界の一躍を担い、今も尚、世界に向けて素晴らしいアニメーションを発信し続けている京都アニメーションも、『京都アニメーション大賞』という文学賞で広く作品を募集している。第一回の奨励賞作『中二病でも恋がしたい!』(虎虎著)はアニメ化され、その後も『FREE!』、『たまこまーけっと』、『境界の彼方』といった数々の授賞作品をアニメ化し、そのどれもが大ヒット。その反響は国内だけに留まることなく、世界中のアニメファンから支持を受けてきたことからも、この文学賞がいかにアニメ制作にとって重要なウェイトを占めているのかが分かる。
こういった経緯もあり、京都アニメーションはアニメの分野だけではなく、物語を作る作家達の発掘や育成にも力を注いでいるのだ。特に毎年行っている賞でありながら、大賞授賞作品を第一回から決定しないという点からも、非常に高い水準で選考を行っていることが伺い知れる。そんな中、第五回で初めて大賞授賞作品として選ばれた『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、後にアニメ化され、その壮大な世界観と美麗なアニメ描画も相まって大ヒット。外伝作品の映画が9月から全国各地で公開されることが決まっており、今尚その物語の世界観は、新規のファンを増やし続けている。
そんな、もしかしたらどの文学賞よりも大賞を獲るのが難しいかもしれない文学賞・京都アニメーション大賞第8回の奨励賞を授賞し、アニメ化企画がまさに今進行中の注目作が本書・『二十世紀電氣目録』だ。
20世紀を迎えたばかりの明治を舞台に物語は始まる。長い鎖国の時代を終えた日本は、貿易も産業も文化も全て引っ括めて、西洋の文化や技術を取り入れながら急成長している最中だ。そんな発展途上国の日本を尻目に世界各国では、軍事強化や産業技術の成長著しく、特に西洋諸国では万国博覧会を続々と開催し、時刻の最新技術を世界中に発表する場を設けていた。
まだ列強国の仲間入りを果たしていない日本も、そんな世界の流行に倣い、日本独自の万国博覧会、「内国勧業博覧会」を開催する。
その第五回目にあたる博覧会へ兄の清六に連れて行ってもらった幼い頃の喜八は、会場内に展示されている様々な発明品に心を奪われてしまう。すっかり機械に夢中になった喜八は、今後百年の間に作られるだろう発明品を幼いながらに想像して図面や解説を書き記し、その本を「電氣目録」と名付けた。
それから数年後、「百川酒造」の次女、15才の稲子は、器量良しで美人な姉の規子とは違ってどんくさく(そこが可愛らしい一面でもあるのだが)、厳格で昔気質な頑固親父の甚右衛門にいつも叱責されてばかりの毎日を送っている。
ある日、物乞いのフリをした詐欺師に騙されそうになったところを喜八に助けてもらったことをきっかけに、同い年ということもあって、時には喧嘩をしながらも急速に親しくなっていく。
いつか電気を使って動く様々な発明品を作ってみたいと夢を語り、将来に大きな希望を持つ喜八とは対照的に、老舗の酒造屋に生まれたが故に、稲子の意思とは無関係に許嫁との結婚の話は急速に進んでいく。これから待っている束縛だらけの人生に嫌気が差し、意気消沈している稲子の姿に堪えられなくなった喜八は、婚約を解消させる為の方法を探すために稲子を家から連れ出した。
稲子の許嫁が提示した婚約解消の条件は、なんと何年も前に父親に燃やされそうになったことをきっかけに、兄の清六が預かったまま行方知れずになっていた「電氣目録」を手に入れること。
こうして喜八は稲子と共に、かつて自分自身の手で作り出した「電氣目録」の行方を追って、京都の街を駆け巡ることになっていく。
婚姻関係については出自や家柄の比重が強くなることで、それぞれの登場人物の思うようにいかない恋愛へのもどかしさや、やりきれなさが非常に強い。これは現代劇ではなく明治という時代設定にしたことによって、自然に感情移入がしやすくなっている。
そして明かりを灯すことで美しい絵を投影できる幻燈器や、蠟で出来た管に針を落とすことでレコードプレーヤーのように録音した音を再生できる蝋管蓄音機といった、実際に明治時代に使用されていた機械と、「電氣目録」に記載されている空想の機械が物語の中で共存することで、単純に明治時代を舞台にした物語というだけではないファンタジックな魅力を演出しているのだ。
こうして綿密な計算の上で構築された世界観によって紡がれていく物語は、時代小説としての懐かしい香りを醸し出しつつも、人を想い、恋焦がれる気持ちに掻き立てられるようにして奔走する喜八と稲子の姿は、若い世代に多くの共感をもたらしてくれるはずだ。
「夜が訪れたはずなのに、辺りは昼間かと思えるほどの明かりで満ちていた。
喜八は立ち上がり、会場を見渡した。大通りを囲む展示館は黄金色に輝いていて、楊柳観音像や噴水が虹の如き多彩な光を放っている。歓喜に沸く人々の表情がくっきりわかるほどの明かりに、喜八の傍にいた中年男が感極まった様子で、ぽつりと言った。
『これが博覧会の大目玉、イルミネーションか』
イルミネーション。
よく観察してみると、展示館や正門などの外壁に沿って、無数の電球が取り付けられている。これら一つひとつの電球が集まって、この黄金に輝く世界を作っているというのだ。
その眩しさに放心していると、近くにいた老婆がしわがれた手を合わせて、『南無阿弥陀仏』とイルミネーションを拝み出した。
その瞬間、喜八が博覧会で見聞きしたものが一斉に脳内に浮かび上がってきた。
電気扇が作る極楽のあまり風。極上の音楽を奏でる蓄音機。天女の如く煌びやかな電氣火踊り。
そして、夜を昼間に変えてみせる、電気の無量光。
『―そうか、これが極楽浄土か』
いくら考えても想像できなかった極楽の世界に今、自分は立っているのだ。」
これは作中のとある場面で兄の清六に博覧会へ連れていってもらった時の思い出を喜八が回想した時の一文だ。光に包まれて感極まった喜八の様子が非常によく伝わってくる、とても素晴らしい描写だ。
よく映像は原作の物語から掻き立てられるイマジネーションには到底敵わないと言われているが、時に映像はイマジネーションの世界を遥かに飛躍する力を持つことがある。その一つとして、アニメというジャンルがあるのではないかと思う。一流のアニメーター達が一丸となってイマジネーションを限界まで拡げて創り出した映像は、時に国境を越えてセンセーショナルな感動を巻き起こす。
この物語の舞台である明治の京都を、夜の博覧会が光に包まれる中で稲子と喜八が躍動する姿を見てみたい。京都アニメーションの素晴らしいアニメーター達の手によって、イマジネーションの更に先へと、遥かなる高みへと昇華されたアニメーション作品を見てみたいと切に願う。
『二十世紀電氣目録』京都アニメーション
結城弘/著