2019/11/22
横田かおり 本の森セルバBRANCH岡山店
『巡礼の家』文藝春秋
天童荒太/著
少女は裸足で逃げていた。抱えきれない過去から。重い秘密を背負ってしまった現在から。少女の名前は雛歩、15歳。
逃げて、逃げて、逃げて。『旧へんろ道』という看板が見えた時、とっさにそちらへ歩を進めた。ひどく荒れた道を傷だらけの体を引きずるようにして、がむしゃらに進む。でも、雨まで降ってきた。
「ここで死ぬかもしれない」
意識を失いかけた時、大型の鳥のシルエットが見えた気がした。そして、女性の声が聞こえてきた。
「あなたには、帰る場所がありますか」
ぼんやりとした意識のまま、辺りを感じてみる。人々の気配と様々な声。見覚えのない天井には、鳥の形に見えるたくさんの黒いしみ。どうやら、わたしは寝かされているらしい。雛歩が運び込まれたのは「さぎのや」という道後温泉にほど近い、お遍路宿だった。
「さぎのや」の歴史は古く、三千年余あまり前に神々のお世話から始まり、今は80代目女将の美澄を筆頭に、あてのない答えを求め、さ迷うお遍路さんを受け入れている。
雛歩は熱に侵されながら、ここを出ていかなくてはと思う。けれど、わたしはここから一体どこに行ったらよいのだろう?どこなら、生きていってもよいのだろう。
さぎのやで日々を送るも、雛歩は自身のことを語ることがどうしてもできない。ある時、雛歩のことをさぎのやの一員だと思い、自らの犯した罪を告白したお遍路さんがいた。実の父が介護疲れの末、母を殺してしまった。
父からSOSは出ていたのに、自分の家族のことで手いっぱいだった。結局、母を殺し、父を殺人者にしてしまったのは、自分なのだと。自らを責め、こころを病み、お遍路に来たけれど、求める答えや救いに辿りつくことができない。
雛歩は、重い告白に耳を傾けた。そのうちに、こんな言葉があふれ出してきた。
「ここは、この家は、いつだって、あります。だから、お待ちしています。ご家族と来てください。お父様と来てください。心からお待ちしています。」
あなたは、誰かにとっての大切な居場所。けれど、居場所は一つではない。何かあったら、いつでもこの場所に帰ってきてください。一人でも、誰かとでも。雛歩のまっすぐな言葉は、罪を赦し、こころを救う強さを纏っていた。
やがて、さぎのやで働く人々にも、それぞれが抱える悲しい過去があることを知る。こころに傷を抱えた人々だからこそ、人のこころに、むやみに踏み込むことは決してしない。けれど、その人のこころの準備が整い、打ち明けられた告白には真摯に耳を傾ける。
集い、癒され、救われる場所は、そのようにして巡っている。さぎのやでたくさんの人と接するうちに、雛歩は自らの罪を打ち明けようと思えるようになる。ここで働く、やさしくあたたかい人々に、知ってほしいと願うようになる。
雛歩が告白したのは、災害で生まれ育った家が流され、祖父と祖母を亡くしてしまったこと。両親はいまだ行方不明なこと。兄とともに親戚の家に預けられることになったが、兄は自衛官になるために家を出、残された雛歩は一人、認知症を発症したおじいさんの世話をしなければならなくなったこと。
そして、悲劇が起きてしまった。おじいさんを殺してしまったから、私は逃げている。
雛歩の告白を受けとめ、美燈さんは雛歩をやさしく抱きしめた。それはかつて母に抱きしめられた時のような安心感だった。
雛歩はおじいさんを殺していなかった。けれど、雛歩はもう、その家に戻らないと決めた。さぎのやでみんなと一緒にいたいと思ったから。雛歩のことを必要としてくれる人と、この場所で生きていきたいと、雛歩は思うようになっていた。雛歩は、居場所を見つけたのだ。
雛歩は、特別な女の子だ。たった15歳なのに、たくさんつらい経験をした。最初は、その重さから逃げた。目を背け、耳をふさぎ、こころを閉ざした。けれど、ちゃんと辿りつくべき場所に辿りつけた。
雛歩のことを、必要とし、また雛歩自身も共に生きていたいと思う人々に出会えた。雛歩は、タフな精神と“声”を聴く能力を生まれつき宿している。でも、この場所は、この物語は、特別な人だけが辿りつける理想の世界を描いたものではない。
私は、私の世界をぐるりと見渡してみる。ちっぽけで、自信なんて全然なくて、ひとりぼっちだって思ってしまう、私が生きる世界を。目をこらし、耳を澄ませる。あぁ、感じる。やっと見えた。差し伸べられた手や、語りかけてくる声が、私にもある。
私は、私の世界を懸命に生きている。頼りなく、こころもとなく、ゆらゆら揺れながら。
人は誰しも、居場所を求める弱い生き物だ。
誰かに必要とされることでしか、「自分の居場所」に気づくことができない。そんな自分を、とても弱いと恥じることもある。誰しもが弱くて脆い。でも、そんな姿こそが愛おしい。そうやって、受けいれ、手を差し伸べあえたら。
物語の中の奇跡は、この世界に確かに存在している。
『巡礼の家』文藝春秋
天童荒太/著