「生きがい」と「ブラック労働」の割り切れない関係

長江貴士 元書店員

『「ぴあ」の時代』小学館
掛尾良夫/著

 

『県庁そろそろクビですか? 「はみだし公務員」の挑戦』小学館
円城寺雄介/著

 

 

今回は、「ブラック企業ってなんだ?」という話をしたいと思う(もちろんこの文章は、全体としては本の紹介である)。

 

先に、なんの本を紹介するのか書いておこう。

 

掛尾良夫『「ぴあ」の時代』
円城寺雄介『県庁そろそろクビですか? 「はみだし公務員」の挑戦』

 

どちらも別に、ブラック企業についての本ではない。しかしこれらの本から、「ブラック企業ってなんだ?」という問いについて考えてみたい。

 

大前提として、僕は、ごく一般的に使われている意味においての「ブラック企業」は、許しがたいと考えている。「ごく一般的に使われている意味」というのを明確に定義するつもりはないが、安い賃金で長時間労働をさせ、病気などによってパフォーマンスが落ちたら切り捨てるというような、経営者側に明らかな悪意があるというような意味だ。そういう会社は、一切の猶予なしに、社会的制裁を受けるべきだ、と考えている。

 

しかし僕は、「ブラック企業」という言葉が強くなりすぎてしまったことによる弊害が出始めているように思う。従業員側は、自身の置かれた環境を客観的に判断しなくても、「ブラック企業」というワードを使うことで企業を断罪できるようになった。そして、個人の発言が社会を大きく動かす世の中である以上、経営者側は「ブラック企業」だと判断されないように、無理に舵を切らざるを得なくなっている。僕にはそんな印象がある。

 

そういう社会から消えてしまいがちなのは、「全力で夢中」という状態だ。

 

僕は、人が生きていく上で、「全力で夢中」ほど最強の状態はない、と考えている。本人が「やりたい!」と強く熱望し、夢中になっていることに、全力を捧げることが出来る。そういう状態からしか生まれ得ない商品・サービス・芸術というのは存在すると思うし、そうやって生み出されたものは他を圧倒することが多いだろう。あらゆる情報が可視化され、一瞬で世界中に広まりうる世の中においては、益々「ホンモノ」しか残れなくなっているし、「ホンモノ」は「全力で夢中」であればあるほど、生まれうるだろうと思っている。

 

しかし、「ブラック企業」という言葉に過剰反応する世の中では、「全力で夢中」という状態は実現しにくい。仕事時間が決められ、休みもきちんと取るように言われる。正規の時間外に仕事をしていることが発覚すると、上司が責任を取らされるかもしれない世の中になってしまっている。だから、「全力で夢中」という状態には、どこかでブレーキが掛けられてしまう。

 

一応書いておくが、僕は別に、働く環境についての現状の制度やシステムを非難しているわけではない。当然のことだが、「自発的に仕事をしている」か「強制的に仕事をさせられている」かを明確に区別する手段はないだろう。だから、一律のルールを設け、その範囲内で仕事をするようにルールを整備することは、「全力で夢中」という状態では生きられない人にとっては非常に良い仕組みだ。出来るだけ、声を上げにくい人に制度を合わせるべきだと思っているので、「ブラック企業」を取り締まるために一律のルールを設けて規制する、というやり方は正しいと思っている。しかしその副作用として、「全力で夢中」が消えてしまうよなぁ、と嘆いているだけだ。

 

今回紹介する二作は、「全力で夢中」でなければ実現不可能だっただろう成果を生み出した者たちを描くノンフィクションだ。

 

『「ぴあ」の時代』は、映画紹介雑誌としてスタートした「ぴあ」の、創刊前夜からの激動を描き出す。著者は、「ぴあ」の創刊に携わった者たちと仲良くしていた人物であり、「ぴあ」との直接の関わりはない。外部から、少し距離を置いて、なるべく客観性を保ちながら、自身の想いや時代性なんかを盛り込んだ作りになっている。そんな著者は、「ぴあ」を作り上げた矢内廣とその仲間たちを、こんな風に描写している。

 

『彼らはエンタテインメント情報誌を作っていたが、私には、彼らの毎日の生活自体がエンタテインメントに見えた。私は、そんな彼らの青春を伝えたいと本書の執筆を思い立った』

 

『私が目撃してきたのは、矢内廣というひとりの若者と彼に魅せられた仲間たちが、70年代、80年代という昭和の最後の20年間を背景に演じた、エンタテインメント・ノンフィクションにほかならない。彼らは、好きなことのために、一途に、体当たりでぶつかり、素晴らしい出会いを経験に、お祭り騒ぎの日々をすごしたその姿は、傍目にも眩しかった。私は彼らが駆け抜けた青春の軌跡を、多くの人に、特に若い人たちに伝えたいと思う。それは、「起業して上場、大金を稼ぐ」などといった、ケチなサクセス・ストーリーでは決してない』

 

読めば分かるが、「ぴあ」の創業者たちが辿ってきた道は、今なら「ブラック企業」と叩かれるかもしれないようなものだ。「ぴあ」は、マガジンハウスの「平凡パンチ」「anan」「POPEYE」が全盛期だった時代に創刊され、それらの雑誌とまったく編集方針を異にすることで、時代の大きな流れに乗っていく。「ぴあ」は世の中にどんどんと受け入れられ、また、音楽や映画のイベントを次々と手掛けるので、その仕事量たるや殺人的だった。しかし彼らは、「寝てるヒマがないくらい面白い!」という、まさに「全力で夢中」状態でその常軌を逸した時代を乗り越えるのだ。

 

本書の中にこんなエピソードがある。「ぴあ」はあるタイミングで証券会社から上場を提案される。彼らは、「ぴあフィルムフェスティバル(PFF)」という映画祭を行っているが、これについて矢内廣は証券会社の人間に、「PFFは利益を生まないどころか持ち出しになることもある。上場してもPFFは続けられるか?」と聞いた。証券会社の人間は、「上場したら、利益を生まないことにお金を使うのではなく、株主に配当しなさい」と答えた。すると矢内は、「それならぴあを一生懸命やっている意味がない」と言って上場を断った、という。彼らの仕事のスタンスがよく理解できるエピソードである。

 

『「ぴあ」の時代』小学館
掛尾良夫/著 

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『県庁そろそろクビですか?』は、佐賀県庁の公務員である著者の奮闘記である。

 

彼がしたことをひと言で言えば、「救急車のたらい回しを無くした」である。

 

救急車で患者を病院に運ぶ際、救急隊員は受け入れ先の病院を必死で探す。しかし、どこも忙しい。受け入れは出来ない、と断られてしまうことも多い。ここには複合的な要因があるが、「別の病院は、受け入れが出来るのに出来ないと嘘をついているのではないか」や「いつもウチの病院ばっかり負担が多くなる」など、病院間の情報がまったく分からないことによる疑心暗鬼も要因の一つだった。

 

そこで著者は、県内すべての救急車にiPadを配備し、各病院の受け入れ状況などを「見える化」した。受け入れを拒否すれば、その情報も瞬時に伝わってしまうので、たらい回しは減り、救急搬送時間の短縮に繋がった。それだけではなく、バラバラだった医療機関の足並みを揃わせ、かつ、iPad経由で得られたデータを分析することで、今まで見えていなかった課題を拾い上げることにも成功している。

 

彼はこの成果によって、「TEDx」への登壇や、密着ドキュメンタリー番組への出演など、一地方公務員とは思えない取り上げられ方をしている。まさに「スーパー公務員」と言ってしまいたくなる。

 

しかし、本書を読めば分かるが、彼は決して「スーパー公務員」ではないのだ。地道な努力の積み重ねである。

 

現場レベルでの折衝は、困難を極めた。誰もが問題を認識していながら長年解決出来ないでいた問題を、救急医療の現場をまるで知らない一県庁職員がしゃしゃり出てなんとかしようとするのだ。その軋轢たるや凄まじいものだった。しかし彼は、自分がやろうとしていることの重要性を理解していた。だからこそ、徹底的に時間を掛けて、信頼関係を築き、現場の状況を知り、複雑な交渉をまとめあげていく。

 

これも、「ブラック企業(県庁は企業ではないが)」と言いたくなってしまうが、本人が、抑えようのない使命感を抱いて走っているので、誰も止められないし、全力でやらせるべきだろう。やはりこういう人間にしか成し遂げられないものというのはある。

 

そして、本書で著者が一番訴えたかったのは、「私のような公務員は全国どこにでもいる」ということだ。

 

『SNSに「私の住んでいる自治体にも円成寺さんのような人がいればいいのに」というメッセージをいただいたこともある。その人にぜひ伝えたいことは、出番を待っている熱い公務員たちが世の中にはたくさんいるし、きっとその人の住む自治体にもいるということだ。きっかけさえあれば人はいつでも「当事者」になることができるのだ』

 

『全国各地を回りすごい公務員たちがたくさんいることを知った。役所という堅い岩盤の下にはマグマのような熱い公務員たちがたくさんいる。きっかけさえあれば彼ら彼女らはいつでも飛び出してくるのだ。』

 

さらに著者は、「公務員」という仕事の魅力をこう綴る。

 

『多くの人が公務員の魅力は安定していることだと思っているかもしれないが、私は「社会のために挑戦できること」が公務員の魅力だと思っている』

 

『民間企業のように給与に数倍、数十倍差が出たり、何かしでかしてクビになるリスクがあるなら、私も本書で取り上げていくような「挑戦」はできなかったかもしれない。現在の日本の公務員制度は批判も多いが、本来は安定した待遇によって「公のための挑戦」をしやすくし、少しでもよりよい社会を実現してほしいという先達たちの願いや祈りが込められているように思えてならない。たとえ周りが何と思おうが、どんな評価をされようが、いい仕事をするために挑戦していけるのが、公務員の最大の魅力なのだと私は思う』

 

「公務員」の印象が大きく変わる一冊だ。

 

『県庁そろそろクビですか? 「はみだし公務員」の挑戦』小学館
円城寺雄介/著

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この記事を書いた人

長江貴士

-nagae-takashi-

元書店員

1983年静岡県生まれ。大学中退後、10年近く神奈川の書店でフリーターとして過ごし、2015年さわや書店入社。2016年、文庫本(清水潔『殺人犯はそこにいる』)の表紙をオリジナルのカバーで覆って販売した「文庫X」を企画。2017年、初の著書『書店員X「常識」に殺されない生き方』を出版。2019年、さわや書店を退社。現在、出版取次勤務。 「本がすき。」のサイトで、「非属の才能」の全文無料公開に関わらせていただきました。

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