2021/06/15
長江貴士 元書店員
『理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性』
高橋昌一郎/著
本書で扱われている内容に触れる前にまず、本書の非常に特徴的な部分について書いてみたいと思います。
本書は、政治・経済・数学・物理・哲学・宗教など様々な分野に渡るなかなか難しい話を、かなり分かりやすく噛み砕いて書いてくれる作品ですが、その「分かりやすさ」の最大の要素が「架空のシンポジウム」という設定です。
本書は会話形式で書かれていて、『論理学者』『科学主義者』『数理経済学者』『会社員』『学生A』など様々な立場の人物が出てきて話し合いをするという設定になっています。学者たちは自分が専門とする分野の観点から話をし、また『会社員』『学生A』などが一般人代表として素朴な質問をしてくれます。『司会者』もいて、見事な采配を振るうわけです。そんな風にして、実際にはメチャクチャ難しい様々な話を「分かったような気にさせてくれる」作品です。もちろん、厳密さや網羅性という意味では本書は欠けている部分はあるのかもしれません。でも、「それまでまったく興味がなかった・知らなかった分野に関心を抱かせる」という意味においては圧倒的な力を持った作品だと感じます。細かなことは分からなくていいから、面白い部分・びっくりする部分・感動する部分だけ知りたい!なんていう人には最適な一冊と言えるでしょう。是非本書を手にとって、ペラペラページをめくってみてください。『会社員』『学生A』もいるシンポジウムという設定なので、難しい言葉もそこまで使わずに議論が展開されているということが分かると思います。
さてそんな説明をしたところで、本書の内容に移ろうと思います。
本書ではあらゆる分野に話が伸びていくのですけど、基本的には三つの理論をベースに議論が展開されます。それが、
「アロウの不可能性定理」
「ハイゼンベルグの不確定性定理」
「ゲーデルの不完全性定理」
です。
今回は、この三つに焦点を絞って話を進めていこうと思います。
「アロウの不可能性定理」は、この三つの中では最も僕らの生活にとって身近な話題だと言えるでしょう。何故ならこれは、『完全に民主的な社会的決定方式は存在しない』ことを証明した定理だからです。
もう少し噛み砕いて言うと、「完璧な投票方式は存在しないよ」ということです。これは、「二人以上の個人が三つ以上の有限個の選択肢に選好順序を持つ場合のすべての社会的決定方式」について当てはまるようです。要するに、「投票する人が二人以上いて、選ばれる人(政治家の候補者など)が三人以上いる投票」だったら全部当てはまりますよ、ということです。つまり、「投票」と名のつくものはほぼすべて該当すると言えるでしょう。
本書では、実際の選挙を引き合いに出し、「投票方式」がどのようにして「選挙結果」に影響を及ぼしているのかということが説明されます。そもそも「投票方式」によって「どういう人(モノ)が選ばれやすいか」が決まってしまうということも分かっているようで、このことを理解しておくことは、政治や企業活動などの場面で非常に有益ではないかと思います。
次は「ハイゼンベルグの不確定性定理」です。これは大雑把に言うと、『位置と速度を両方とも正確に測定することは出来ない』という主張です。
これは、日常的な感覚に反するでしょう。例えば、駐車場に停まっている車は、「駐車場のある枠内」に「速度0」の状態であることが明らかでしょう。つまり、位置も速度も両方とも正確に測定できている、と言えるはずです。
しかしこれが、量子の世界(原子などの微細な世界)になるとそうはいかなくなってきます。これを直感的に理解してもらうために、科学的には不正確だろう説明をしようと思います。
「観測する」ということはそもそも、「光の反射を測定する」ことであり、つまりそれは「光子を物質にぶつける」ということです。光子というのも原子のように微細な粒であり、これを例えば車にぶつけたところで車の位置は変わりません。しかし、光子を原子にぶつけるとどうなるでしょう?光子をぶつける、つまり「観測する」ことによって、原子の位置が変わってしまい(ビリヤードのような状況を思い浮かべてもらえればいいと思います)、正確な測定が出来ないということになります。
本書では、バードウォッチングを例にした説明がなされています。バードウォッチングの醍醐味は、自然なままの鳥の姿を見ながら鳴き声を楽しむことです。鳥から離れたところから双眼鏡で見れば鳥の姿はちゃんと見れますが、鳴き声はあまり聞こえません。しかし、鳴き声が聞こえるまで鳥に近付こうとすると、人の気配を察して逃げてしまいます。つまり「自然なままの鳥の姿」と「鳴き声」を同時に味わうことは難しい、というわけです。こういうイメージしやすい例がふんだんに盛り込まれているのも、本書の特徴です。
最後は「ゲーデルの不完全性定理」です。これは、『あるシステムの中に、真であるのにそのシステム内では真だと証明出来ない命題が存在する』という主張になります。ゲーデルは数学者で、数学の話に置き換えれば、『現在の数学の体系の中では、真であるのに現在の数学体系では真だと証明できない命題が存在する』ということになります。これもなんだか抽象的な話で難しいですよね。
本書では、『真犯人だと分かっていながら、いかなる司法システムSでも立証出来ない犯罪Gを生み出したようなイメージ』という説明がなされます。例えば、インターネットが登場する以前は、インターネットを使った犯罪を取り締まる条文は刑法の中には存在しませんでした。じゃあと言って、インターネットを取り締まる条文を組み込んでも、今度は仮想通貨を使った犯罪が現れます。どれだけ「司法システム」を更新しても、その「司法システム」によっては取り締まることの出来ない犯罪が存在してしまう、ということは想像出来るでしょう。「ゲーデルの不完全性定理」も同じようなイメージで捉えてもらえればいいと思います。
ここで重要なのは、「そのシステムの中では証明できない」という点です。例えば、日本の刑法では取り締まれなくても、アメリカの刑法では取り締まれる犯罪、というのは想定できると思います。同じように、「ある命題A」が「僕らが採用している数学体系a」の中では証明できないかもしれないけど、「僕らが採用している数学体系aとは異なる数学体系b」の中では証明できるかもしれません。
本書は「理性の限界」というタイトルがつけられています。本書で紹介されるこの三つの理論はどれも、「出来ないことを示す」ものです。人間の「理性」は、「何が出来ないのか」という「限界」についても解き明かしてしまうという面白さを感じられる一冊だと思います。本書は、他にシリーズが2作出ていますので、そちらも是非読んでみてください。
『理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性』
高橋昌一郎/著