ヒマラヤの山岳ガイドが教えてくれる、「人間が見えない『道』」の話。

馬場紀衣 文筆家・ライター

『「シェルパ」と道の人類学』亜紀書房
古川不可知/著

 

 

エベレストの南麓、8000メートル級の山々を目前に望むネパール東部のソルクンブ群はトレッキング観光のメッカだ。ソルクンブ群の北部に位置するクンブ地方には、年間数万人もの観光客が訪れる。ここに暮らし、ヒマラヤ登山の手助けをして働いている人びとがいる。「勇敢で忠実な山岳民族」として知られるシェルパ族だ。ちなみにエレベスト地域には、ネパール各地からポーターやガイドの職を求めてさまざまな人が集まる。彼らもまた「シェルパ」と呼ばれる者たちだ。

 

著者の専門は文化人類学とヒマラヤ地域研究。山歩きには自信のある著者も、予備調査で訪れた標高2840メートルに位置するルクラ村では飛行場に降り立っただけで息があがり、その場にへたり込んでしまう。薄い酸素、平衡感覚を奪う山と谷のパノラマ。しかしシェルパの人びとは山腹や峠を縫うように走る細い山道を進んでゆく。シェルパという聞きなれない人びとの存在を通して浮かび上がってくるのは、私たちがまだ知らない人間と「道」の関係だ。

 

エベレスト山頂へ至るこの山岳地帯には、平坦な土地はほとんどない。強い雨が降れば土砂崩れが起きて山道は流失するし、冬には積雪で峠道は閉ざされてしまう。地域の人々の主要な生活空間である細い山道は、たとえ同じ道であっても自然の影響を受けてその形状や質感を常に変化させていく。だから山中を無事に歩きぬくためには、道を示す手がかりを的確に把握すること、そして身体や道具を扱う技術が求められる。

 

「まず道と歩く身体を物理的なスケールで考えてゆくことは、空気の薄さに喘ぎ、雨や雪に濡れながらエレベスト地域の山道を行き来する人々や筆者自身の経験を記述するうえで重要な手掛かりとなる。道の歩き方、あるいはのちに論じるような道の立ち現れを見ることによって、身体と環境とがそのつど取り結ぶ関係を道という可視的なかたちで捉えることができるのである。」

 

技術を身につけた登山ガイド、シェルパは岩場や氷壁を指さして「あそこが道だ」と教えてくれるが、著者にとってはただの壁にしか見えない。こんな場所で調査なんてできるのかと後悔する彼をよそに、山を縫うように走る細い道をゆくシェルパの身体は、一般人や観光客の身体となにが異なるのだろう。人間と道の在り方を、著者は次のように説明する。

 

「人々は道具を用いて自らの身体を拡張し、山中に道を作り出しながら移動してゆく。歩く過程では環境中の思わぬモノたちがそのつど『道』を構成し、そのとき自他の身体や事物のあいだに明確な境界はなく相互に浸透しあっていた。ここでは、主体たる人間が客体としての道を認知しながらその上を歩くのではない。移動するに際して、いわば自己は道であり、道は自己なのである。」

 

熟練のシェルパでも適切な道具と技術がなければそこは「道」とならない。著者は「道」とは、移動する身体とモノ、環境のアレンジメントの結果として立ち現れると述べる。

 

道と身体の関係について興味深いエピソードがある。隣村から帰宅した下宿先の子どもが山道を進んでいると、次第にひどく霧がかかって道が見えなくなってしまった。迷って疲れきっていると、彼の目のまえに大きなヤクが二頭現れ、濃い霧のなかで道を案内してくれたという。このエピソードは、たとえ歩き慣れた道でも天候によっては道を見失う状態になるということ、そしてヤクという他者の身体には道が立ち現れていることを示している。そして他者の足取りを追うことで再び道を見出すことができることも意味している。本書は人間と道の関係をめぐる論考だが、ヒマラヤの山間部を行き交うシェルパ族と職業としての『シェルパ』についての民族誌として読んでも面白い。

 


『「シェルパ」と道の人類学』亜紀書房
古川不可知/著

この記事を書いた人

馬場紀衣

-baba-iori-

文筆家・ライター

東京都出身。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。国内外の大学で哲学、心理学、宗教学といった学問を横断し、帰国。現在は、本やアートを題材にしたコラムやレビューを執筆している。舞踊、演劇、すべての身体表現を愛するライターでもある。

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