人間が動物を愛するということ――「既存のセックス観」に再考をうながす一冊

馬場紀衣 文筆家・ライター

『聖なるズー』集英社 濱野ちひろ/著

 

「動物性愛」とは、人間が動物に対して抱く感情的な愛着や、性的な欲望のあり方を指す。本書は動物と人間の性愛について書かれた異色のセクシュアリティ本。とはいえ、セクシュアリティは今世紀最大の問題で、すべての人類が今一度考え直さなくてはならない課題でもある。

 

タイトルにもなっている「ズー」とは、動物性愛者を意味するズーファイル(zoophile)の略語だ。著者は、彼らと日常生活を共にしながら互いの理解を深めていく。たとえば、ドイツのミヒャエル(ズーのひとり)家の暮らしについて。

 

この家ではシーツや絨毯、カーテンにまでしっかりと動物の匂いが染みていて「私が犬と暮らしていたころの実家よりも、動物の気配は格段に濃厚」だったと著者は振りかえる。なにより驚いたのが、動物との近さだという。一般的に人間同士が話している空間では騒ぎでもしない限り、ペットは人間同士のやりとりに加わったりしない。しかしミヒャエルは会話の最中にも犬や猫たちと頻繁に目を合わせ、その視線の網が部屋の中に緻密に絡み合っているのだという。その空間の在り方は「ズーの家では、人間と動物がともに、まったく同等の強さで存在している」という一文に凝縮されている。

 

本書を読み進めていけば、ズーの話がセックスの話だけに留まらないことが理解できるはずだ。ズーたちは、種を超えた関係を人間社会で実現するために「動物との対等性」について考え続けている。

 

最近では、アメリカの性科学者のハニ・ミレツキを中心に動物性愛を病理的ではない性的指向のひとつとして捉える動きも生まれている。動物解放論で知られる哲学者のピーター・シンガーは、暴力行為を伴わない限り動物との性的な接触は容認されてもよいとも受け取れる論文を発表した。動物性愛にまつわる近年の世界的な議論では、その行為が動物への虐待になるかどうかに焦点が当てられることが多いという。批判的な言説はもちろん多いが、こうした状況は動物性愛がさまざまな面から議論されるセクシャリティの一側面であるという近年の動向を示している。

 

つまるところ、動物への性愛が病理的なものか、それとも性的指向なのかは見解が割れているのだ。それでも「人々が求めるセックスの背景には、さまざまな欲求がうごめいている」と文化人類学におけるセクシャリティ研究が専門の著者は語る。

 

「嫌悪感に基づいて短絡的に彼らのセックスを思考から追い出してしまえば、議論をそれ以上深めることはできなくなるだろう。考えるべきは、人間の本能的な部分が社会とのかかわりのなかでどのようにして齟齬をきたすかということ、また、社会の一部分であるはずの私自身が、なぜ特定の性的実践を受け入れられないのかということだ。」

 

動物との性行為に関するオンライン・コミュニティは1980年代から1990年代にはすでに形成されていた。ウェブの匿名性が偏見にさらされる恐怖感を拭い去ったのか、自身の性的関心事について語ることを可能にし、後押しするかたちで広がりをみせていったと著者は語る。結果、明らかになったのは動物との性行為がけっして特殊な文化や一部の地域に残された因習などではないということ。それどころか、ヴァーチャルなコミュニティは動物を性的な欲望の対象とする人びとのよりどころになったという。

 

ズーたちの動物への関心事は多義にわたる。たとえば一般的なペットの飼い主にとっては当たり前の「しつけ」についての是非や正しさについて、ズーは考える。言葉を使わない動物たちと人間の対等なやりとり。セックスから身体的な手応えが抜き取られたその先にはなにがあるのか。既存のセックス観を疑わずにはいられなくなる一冊だ。

 

『聖なるズー』集英社
濱野ちひろ/著

この記事を書いた人

馬場紀衣

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文筆家・ライター

東京都出身。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。国内外の大学で哲学、心理学、宗教学といった学問を横断し、帰国。現在は、本やアートを題材にしたコラムやレビューを執筆している。舞踊、演劇、すべての身体表現を愛するライターでもある。

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