タコやイカにも知性がある?海の中に住む不思議な生き物が私たちに投げかける「問い」 

馬場紀衣 文筆家・ライター

『タコの心身問題 頭足類から考える意識の起源』 ‎みすず書房 
ピーター・ゴドフリー=スミス/著 夏目大/翻訳

 

 

本書の原題は“Other Minds”。“Minds”と複数形になっていることに注目してほしい。“Other”が示しているのは人間とはべつの生き物、ここではタコやイカといった頭足類のことである。タコやイカに心もしくは知性らしきものがあるなんて、ちょっと信じられない。その身体的特徴からして、人間のように脳で思考しているとも想像しにくい。しかしタコにも人間と同様に心臓があるし(ちなみにタコには人間よりも余分に2つの心臓がある)、そのうえ人間規模の大きな神経系を持っている。もちろんタコには脳だってある。彼らもまた、ものを考える生き物なのだ。

 

著者は科学哲学者のピーター・ゴドフリー=スミス。スキューバーダイバーでもある。研究対象であるタコとは海の中で出会った。タコの学習は決して早くはない。それでも簡単な迷路くらいならすぐに通り抜けられるようになるし、自分の元いた場所への正しい経路を見つけたり、食べものを取り出すために瓶の蓋だって開けられるようになる。

 

こうしたタコの複雑な行動を可能にしているのが膨大な神経系だ。頭足類の身体が私たちの良く知る今の形状へと進化するまでにはいくつもの進化の過程があった。タコ(マダコ)の身体には、合計で約5億個ものニューロンがある。そのニューロン数は小型の哺乳類と同じくらいで、犬にかなり近いらしい。「タコは脳の重量、ニューロン数のどちらを見ても、無脊椎動物の中では身体の大きさに比して大規模」なのだ。興味深いのは、頭足類の重要な神経系が身体のあちこちに分散しているということ。脳の中にあるのはごく一部で、ニューロンの多くは腕に集中している。そのニューロン数は、脳にある数の2倍というから驚かされる。タコの脳は、だから腕にもあるということになる。

 

となると、脳と腕に膨大な神経細胞を持つタコがどのように世界を経験しているのか気になってくる。著者曰く、心理学の世界では近年ロボット工学に影響を受けた「身体化された認知」という理論がもてはやされているという。これによると、動物が世界に対処する「賢さ」を担うのは脳だけでなく、身体も賢さの一端を担っているらしい。デカルト以降、私たちは心と身体を切り離して捉えてしまいがちだが、タコの感じている世界はもしかすると人間の想像をはるかに超えているかもしれない。

 

「周囲の環境がどのようになっているのか、またそれにどう対処すべきか、といった情報は、実は身体にも記憶されている。身体の構造それ自体が記憶なのだ。だからすべての情報が脳に記憶されているわけではない。たとえば、私たちの手足の関節のつくり、ついている角度などは、歩行などの行動を自然に生むようになっている。適切な身体を持っていれば、正しく歩くための情報のかなりの部分がそこに記憶されている。」

 

タコに「身体化された認知」理論があてはまるかどうかに著者は懐疑的だ。というのも、この理論が成り立つためには身体に形状がなくてはならないし、タコはといえば、ご存知のとおり定まった形状を持たない動物だ。そもそもタコはどこからどこまでが脳なのかすらはっきりしていない。それでもタコの身体にはとりあえず実体がある。血が通い、肉で作られ、何かしらの認知能力もあるようだ。この海の中に住む不思議な生き物は、私たちに心と知性について、さらには身体について数多の問いを投げかけてくれる。

 

 

『タコの心身問題 頭足類から考える意識の起源』 ‎みすず書房 
ピーター・ゴドフリー=スミス/著 夏目大/翻訳

この記事を書いた人

馬場紀衣

-baba-iori-

文筆家・ライター

東京都出身。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。国内外の大学で哲学、心理学、宗教学といった学問を横断し、帰国。現在は、本やアートを題材にしたコラムやレビューを執筆している。舞踊、演劇、すべての身体表現を愛するライターでもある。

関連記事

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitterで「本がすき」を