性と生のあいだを揺れ動く、女たちの人生を垣間見る

馬場紀衣 文筆家・ライター

『なめらかで熱くて甘苦しくて』新潮社 川上弘美/著

 

 

ゆっくりと告白するように綴られた、ある女たちの人生。性に目覚め、人を愛し、子どもを産み、老いていく。そんな最中の激しい心の揺れや暴力性を含んだ物語が、不穏な雰囲気を漂わせながら綴られる。

 

五本の断片的なエピソードにはすべてラテン語のタイトルがつけられている。『aqua』では、田中水面(みなも)と田中汀(なぎわ)という名前と姿のよく似た、まるで分身のような少女たちの思春期が描かれる。小学生のときに水面が汀のいる小学校に転校してきたことをきっかけに、二人の少女は次第に仲良くなっていく。小学校ではミリ単位まで一致していた身長や、同じ長さの髪の毛のせいで姉妹か双子のように見えていた二人の人生は、成長していくにつれて分岐していく。

 

同じ見た目をしていても、家庭環境や進学先など二人の少女の差異は決定的だ。高校生になった水面は想像の中でセックスを体験し、一方、汀はシンナーを吸うようになり悪い噂が水面の耳にも入るようになった。「世界は大きくてあたしたちは小さすぎる」水面は汀がいつか魅入られたようにそう口にしていたのを思い出す。ここにいるのは自分だけ、そんなふうに考えながら佇んでいると声をかけられ、振り向くと汀がいた。高校生になった二人の身長と体つきはほとんど一緒だ。日常の対話から、二人の少女の差異と重なりが見えてくる。

 

『terra』は、女の自由を奪っているらしい謎の紐についての語りから始まる。紐の正体は、納骨の旅に出た男子大学生の沢田とその後輩の会話を辿っていくうちに解き明かされる。現実と非現実のあいだを行ったり来たりするような物語だ。

 

『aer』は、出産を経て自分の動物的な肉体を認識する女性が主人公。自分の体内から生まれ出た子どもとの母子関係を通して、心身の段階的な変化が克明に綴られていく。「アオの身はすべてわたしを経たものからできあがっている」との言葉が母子という独特な関係を物語る。『ignis』の「わたし」は未来ではなく遠い過去へと想いを馳せ、『mundus』は震災を想起させる物語だ。

 

ラテン語で『aqua(水)』『aer(空気)』『terra(土)』『ignis(火)』と四つの元素を意味するエピソードが最後に『mundus(世界)』へ集約されていく。物語に登場するのは年齢も生活空間もばらばらの女性たちだが、読み進めていくうちに作品を横断する共通点も浮かび上がってくる。性と生を経験しながら今一度自分を見つめ直していく、そんな彼女たちの身体経験は愛おしく、ときに痛々しい。

 

『なめらかで熱くて甘苦しくて』新潮社 
川上弘美/著

この記事を書いた人

馬場紀衣

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文筆家・ライター

東京都出身。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。国内外の大学で哲学、心理学、宗教学といった学問を横断し、帰国。現在は、本やアートを題材にしたコラムやレビューを執筆している。舞踊、演劇、すべての身体表現を愛するライターでもある。

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