美しい毒「水銀」に翻弄される男たちを壮大なスケールで描く大河ドラマ

横田かおり 本の森セルバBRANCH岡山店

『竜血の山』中央公論新社
岩井圭也/著

 

 

重く鈍いきらめきが、この世に存在することがすべての悲劇のはじまりだっただろうか。
その重みに選ばれ導かれるように、栄華と衰退を辿った者がいた。
その輝きに憑りつかれ、焦がれながらも決して手に入れることのできなかった者がいた。
「水銀」という鈍く光る物質に魅入られた男たちは、運命とともに絡み合いながら落下していく。
けれどもいつか、私たちの知らない場所で――この世を超えた場所で“奇跡”へと二人が辿り着いているならば、銀色を抱き笑っているだろうか。

 

物語は北海道に未開の水銀鉱床が発見されたことからはじまる。
昭和13年、道東にある山麓で正体不明の石が発見された。
鉱山技師として新鉱脈の発見に奔走する那須野寿一は、赤黒く血のような色をしたそれを、ひと目で硫化水銀が含まれているものだと悟った。見ただけで高純度の水銀が含まれているのが分かる。さらに、地下から湧き出た自然水銀の水溜まりを発見するという驚きの僥倖を目にする。
水銀は軍需物質として高い価値をもつが、国内の産出量不足により外国からの輸入に頼っている状況だった。純度の高い水銀、ましてやそれが大量に眠る鉱山があるという予感は、莫大な富を生む金の卵そのものであった。

 

長年培ってきた職業的勘と、そして、水銀の魔力にすでに侵されていたのだろう――
寿一は、辺気沼付近の小さな町でさらなる調査を進める。その場所で出会った少年が彼の運命を、いや互いの人生を大きく変えることになる。
山に分け入り鉱床を探す一行は、不自然に下草が踏み固められた形跡を発見する。地元の人々もこの先には集落などないと言っていた場所だ。不審に思いながらも進んでいく最中、藪の中から唐突に顔を覗かせた少年がいた。年は、寿一の息子と同じ頃だろうか。彼の瞳は薄い褐色を宿し、透き通るように輝いていた。
瞬く間に姿をくらました少年の足取りを追ううちに、地元民もその存在を知らない集落へとたどり着いた。その場所で再会したのは、探し続けていたあの少年だった。
榊芦弥(サカキアシヤ)という名の少年が、寿一をさらなる水銀世界へ引きずり込むことになろうとは誰が予測できただろうか。

 

外界との接触を断ち閉ざされたその集落は、老爺が村を牛耳る形でひっそりと運営がされていた。彼らの存在を知るのは町医者のみで、産地をごまかした「みずかね」を売り細々と生計を立てていた。
それだけでなく、この集落の人々には驚くべき秘密があった。年に一度、彼らにとっての聖地である〈湖〉の水銀が含まれた水を、みなが口にするのだと言う。それは湖の底に眠るとされる大蛇である主への誓いであり、一年の息災を祈る儀式であった。
しかし、「普通」の人間が、水銀を口にすることなどありえない。水銀は人体に有毒な物質で、水銀による中毒症により現場を離れる多くの鉱夫がいることがその証拠であり、後年に重大な公害事件の原因ともなった猛毒である。
水銀を口にしながらも平然と暮らしている人々がいることは、その理の外で指を加えるしかない多くの者にとって、「水銀に愛されている」と考えざるをえないことであった。

 

この山は何かがおかしい。他の世界とは異なる法則に支配されているようだった。

 

大量の水銀が――竜の血が枯れることのなくこんこんと湧くこの地は、神に守られた場所であるがゆえか。そして、水銀の毒に侵されない特異体質をもつのは、神に愛されるがゆえのことか。
それとも。

 

外部からの侵入を拒絶する老人たちと、危機感を抱く若い世代の間で相容れない部分はあった。しかし、水銀に類まれなる耐性を持つ〈水飲み〉たちに特別な待遇をすること、聖地である〈湖〉に部外者は一切立ち入らないという条件の下、村は解放され、近代産業の介入を受け入れることとなった。
アイヌ語で赤い岩という意味を持つ「フレシア」と名付けられたこの地は、こうして長きに渡り閉ざされていた門戸を開いた。

 

昭和17年、フレシアで所長に任命された寿一と、部落から〈水飲み〉として派遣された16歳になったアシヤは水銀採掘に邁進していく。学校へ通っていないため読み書きはできない、けれど高給を取る水飲みたちへの他鉱夫からの嫉妬は激しいもので、馬鹿にされ蔑まれてもフレシアに愛されているのは自分達なのだという尊厳のみが彼らを奮い立たせる。
戦争が激しさを増す一方、人員不足に喘ぐ現場の疲弊がピークに達した頃だった。アシヤの幼馴染でもある親友が落盤事故によって命を落とした。誰よりもまっすぐな眼差しをもつ〈水飲み〉たちのリーダーであり、どんな時もアシヤに力強く助言をしてきた男の落命は、アシヤのみならず、ともに育ってきた仲間たちを落胆させ、燃え上がる怒りの炎に十分すぎるほどに火を点けた。

 

過酷な労働下に置かれた〈水飲み〉への待遇の改善、そして亡き友への謝罪を求め、アシヤは寿一を人質にとる。しかしそこで、アシヤの計画を食い止め、また人質になった寿一を解放したのは――
寿一の息子であり、アシヤとは全く違う出自と立場にありながら、水銀に魅入られてしまった若き青年、那須野源一だった。
アシヤと源一の人生は、加速度を増しながら奇妙に入り組みはじめていく。

 

会社存続のため、さらにはアシヤの特殊能力を買ったうえで、人質事件を不問にしたことに不満を募らせる鉱夫に嵌められ、忘れ去られた立杭に取り残されたアシヤ。落ちていた鎌の刃は錆びついており、丸腰のアシヤには脱出など不可能だと思われた。しかしアシヤの決死の行動がきっかけで吹きだした大量の自然水銀に命を永らえさせられ、奇跡のような脱出を遂げた。命からがら抜け出たアシヤをいち早く見つけ救助したのは、他でもない源一であった。
「不死身の鉱夫」と呼ばれ、羨望の眼差しを受けるようになったアシヤと、その命を救った源一。
山に愛された男と、その男を助くる使命を授けられた男。
いつしか、二人の人生はフレシアの山と一蓮托生になっていった。

 

戦争の激化による、採掘量のさらなる増大。過酷な労働はつづくが、東洋一の水銀採掘場となったフレシアは、町を形成し、多くの人々が暮らす場所になった。
けれど、社会情勢に容易く左右されるこの場所で、やがて来る敗戦の影響は避けられず水銀の市場価格は暴落した。また同時期、乱掘により悲鳴を上げはじめた山から水銀が採れなくなり、業績不振による大規模な人員整理は避けられなかった。
復活と衰退を行き来するフレシアにおいて、ただの〈水飲み〉であったアシヤは組合長へと祭り上げられ、源一は父を超えんとするかのように幹部へと昇り詰めていく。
しかし、男たちの背中には、亡き親友の影が張りつき失踪した父の像が揺らめく。そして、フレシアに魅入られ巣食われるほどに、その肩には罪と秘密が圧し掛かる。
すべては、水銀が毒だから。
けれど、美しくきらめく毒に罪を擦りつけ逃げおおす道など、二人の前にはなから存在しなかった。

 

二人の受難はつづく。
朝鮮戦争の勃発による特需景気もつかの間、再び冷え込む市場。小さな山のなかで繰り返される内部闘争という名の権力争い。そして、フレシアの息の根を止めるがごとく起こった戦後最大の公害事件である水俣病の発生。

 

たった30年で山は絶え、その間に多くの人々の命が犠牲になった。
父、母、親友。ともに育った友。ささやかな幸せを分かち合った家族。
大切な人ほど己の手の平から零れていった。
あんなにも豊かな血を流し涙を零していた竜が棲まう地、ここにはもう誰一人として大切な人は残っていない。

 

アシヤと源一。美しい毒に翻弄された二人の男が最後に求めた場所。
そこでは、喪われた人々が何の憂いもなく暮らしていると信じた。今この時もこんこんと湧きつづける未開の鉱床があると夢見た。信じなければ、縋らなければ、生きていくことはあまりに辛かった。
二人の妄想であり、最期の願いを託した夢。銀色にきらめくほとりで、再びみなと暮らせたなら。時代に潰され、水銀に生涯を奪われた二人が目指したのは、桃源郷ともいえる夢の場所だった。
その夢を、その願いを、どうして笑い飛ばすことができようか。
愚かな道を選んだ二人だった。破滅へと自らが突き進んだゆえの結末だった。
しかし、それは人間なら誰しもがもつ愚鈍さと浅薄さであり、また心があるがゆえに迷い惑ってしまっただけではないか。
二人の一生を「不幸せ」だったと決めつけることなど、どうしてできよう。

 

あまりにも壮絶な男たちの人生だった。手触りまで感じられるほどのリアルさで迫りくる物語を衝撃とともに受け止めることしかできず、言葉が奪われてしまったかのような日々を過ごした。ここに辿り着くまでに、失ってしまったものも多分にあっただろう。
けれど、この物語はこれから私とともに生きていく。いつか内側から浸食されるかもしれないという危険性を感じとっていてもなお、手放すという選択肢は私のなかに存在しない。

 

ともに生き、ともに焼かれ。
残る白骨に宿る鈍いきらめきの美しさを、私はすでに知っている。

 

『竜血の山』中央公論新社
岩井圭也/著

この記事を書いた人

横田かおり

-yokota-kaori-

本の森セルバBRANCH岡山店

1986年、岡山県生まれの水がめ座。担当は文芸書、児童書、学習参考書。 本を開けば人々の声が聞こえる。知らない世界を垣間見れる。 本は友だち。人生の伴走者。 本がこの世界にあって、ほんとうによかった。1万円選書サービス「ブックカルテ」参画中です。本の声、きっとあなたに届けます。

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