第十三回 レイ・ブラッドベリ「たんぽぽのお酒」
関取花の 一冊読んでく?

ryomiyagi

2021/07/02

寝苦しい夜も増えてきて、もうすっかり夏ですね。毎年7月半ばくらいからは、ちょっと暑いとつい当たり前のようにエアコンをつけてしまう自分がいます。心の中で、「エアコンをつけてはじめて夏という季節が始まるのだ!」などといまいちな言い訳をしながら、文明の利器の恩恵を受けまくっているというわけです。

 

でも、一方でふとこう思ったりもします。いつから私はエアコンなしじゃ夏を乗り切れないやつになってしまったのだろうと。せっかく便利なものが目の前にあるわけだし、今は自分で電気代も払っているのだから好きに使えばいいのですが、エアコンをつけることで何か大切なことをどんどん忘れていってしまっているんじゃないか、そんな気持ちになることがあるのです。

 

子供の頃の夏休みの記憶をさかのぼると、そこにエアコンの姿はありません。思い浮かぶのは、母の実家でいつも回っていた昔ながらの青い羽の扇風機です。四角くて固い縦長の長方形のスイッチを押すあの瞬間に、私の夏はいつもはじまるのでした。兄と扇風機の前を取り合ったり、羽に向かって「あ゛〜〜〜」と声を出して宇宙人ごっこをしたり、お風呂上がりは丸ごと抱きしめるようにしてその風を感じたりしていました。畳に川の字になって寝ている時は、首振りが自分の方向に向いているその一瞬が永遠に続けばいいのにと何度思ったことか。

 

扇風機は、かゆいところまで手が届く代物かと言われたら、そうじゃありません。まるで空気が入れ替わったかのようにみるみる部屋を快適な温度にしてくれるエアコンとは違い、言ってしまえば、扇風機はただそこでぐるぐると空気をかき混ぜて、局地的に風を起こしているだけです。網戸の隙間から入ってくる生ぬるさも、蚊取り線香の匂いも、宙を握るだけで手のひらが濡れそうなほどの湿度も、全部周りに残したままです。でも、だからこそいいんですよね。扇風機から出てくる風は、人工的でもなんでもない、たしかにそこにある夏そのものなのです。

 

夏の思い出ってたくさんあるはずなのに、目を閉じて真っ先に浮かんでくるのは、そういうちょっとした記憶だったりします。何を見たとか食べたとか、誰とどこへ行ったとか、そういう具体的なエピソードはもちろんあるにはあるけれど、本当に大切なのはそこじゃない。忘れたくないのは、その時自分を取り囲んでいた音だったり、匂いだったり、感触、空気なんです。

 

すっかりエアコンにお世話になることに慣れてしまってからというもの、私は夏のそういういろいろを幾度となく見逃している気がします。大人になるとやることも考えることも増えて、どうしてもいろいろと効率的な方ばかり選んでしまいがちですが、そうじゃないところにこそ夏のきらめきは宿っている。五感ぜんぶをもっとフル稼働させて、夏特有のわずらわしさも含めてこの季節を楽しんだ方が、心は豊かになる気がするんですよね。

 

だから今年はエアコンを控えてなるべく扇風機で乗り切って、夏をもっと全身で感じたいと思っています。外に出かけるのは好きですが、海、プール、フェス、イエーイ! というタイプではないし、ここ数年は無理して夏にアクティブに動くと必ず貧血を起こしているので、あくまでも家の中で……ということで(笑)。

 

さてそんな私ですが、前回はみなさんにこんな質問を残していました。

 

関取花の今月の質問:忘れられない夏の思い出はなんですか?

 

私たちはみんな過ごしてきた場所も違えば、生きている年数もそれぞれです。どんな回答が集まるのかな? といろいろ予想しつつ、個人的にはやっぱり子供の頃の思い出が多いのかなと思ったりしていました。今回もたくさんのメッセージ、本当にありがとうございました。総じてやはり、小学校〜高校時代のお話が多かった印象です。素敵なエピソードがたくさんあったのですが、その中でもひときわ子供の頃の夏の「あの感じ」を思い出させてくれる回答があったので、今回はそちらを取り上げさせていただこうと思います。

 

お名前:ヒデ
小学校の自由研究ですね。
地元ゆかりの偉人について調べるため、仲良しで組んだ4人で資料館に行ったり、鳥の子用紙に研究の成果をカラフルにまとめたりしたのを覚えています。
子供の頃は行動範囲が狭いので、子供たちだけで電車に乗って知らない町に出かけること自体、ワクワクドキドキな経験でした!

 

自由研究、懐かしいですね! 私もいろいろやりました。その年の夏休みに起こった出来事をスクラップブックにまとめたり、紙粘土で大きなクジラの貯金箱を作ってみたり。兄は、窓に紙を貼って日焼けして行く過程を観察したりしていました。あれ面白かったなあ。

 

ヒデさんの自由研究も楽しそうですね。ちなみにもしかして、ご出身は愛媛県だったりしますか? お恥ずかしながら、「鳥の子用紙」という言葉をはじめて知りました。調べてみたところ、いわゆる模造紙のことを愛媛県ではそう読んだりするのだとか。きっと大きな紙を仲良し4人組で囲んで、わちゃわちゃしながら研究成果をまとめていたんだろうなあ。鳥の子用紙(模造紙)ってすぐに端っこが丸まってきちゃうから、必ず四隅に重りを置いておかないとダメなんですよね。適当なものがない時は、「大丈夫、私が足で踏んどくから」って言い出す子がいたりして、「あんたそれ立ってるだけで何もしてないじゃん!」って笑い合ったり。

 

電車に乗るのも子供の頃は一大イベントでした。私は先頭車両に行って、運転手さんの背中ごしに外の景色を見るのが好きでした。そこから見る線路はどこまでも続いて行きそうで、トンネルに入る時は異世界の入り口みたいでワクワクしました。それこそ今ではあまり見かけませんが、昔は電車内でも扇風機が回っていました。あれをじーっと眺めているのもなぜか好きでした。汗で額に張り付いた柔らかい前髪が時々風に当たってふわーっとなる瞬間は、時が止まったようでした。

 

ああ、なんだかこうしていつかの夏の小さな思い出たちを書いているだけで、胸の中で忘れかけていた何かがまた熱を帯びて行くようです。あの時そこに溢れていた音が、匂いが、感触が、空気が、色褪せることなく蘇ってきます。ということで今回は、まさにそんないつかの夏のすべてを詰め込んだような一冊をみなさんにご紹介したいと思います。

 

レイ・ブラッドベリ「たんぽぽのお酒」です。

 

「たんぽぽのお酒」(ベスト版)
レイ・ブラッドベリ/著、北山克彦/訳
1997年、晶文社刊

 

「SFの抒情詩人」「イメージの魔術師」とも言われるレイ・ブラッドベリの書く文章は、そのたたみかけるようなみずみずしい表現がとても魅力的です。そして何を隠そう、私がこの世で一番好きな作家です。大学生の頃たまたま古本屋で手に取った「ウは宇宙船のウ」という短編集をきっかけに、発売されているあらゆる本を読み漁りました。

 

ブラッドベリの本は、あれからもう何度読み返したことでしょうか。私は原稿を書く時や歌詞を書く時など、考えすぎてどうしても頭でっかちになってしまうことがあります。上手く書こうとかもっとわかりやすくとか、感性よりも先に変な「ねらい」みたいなものに取り憑かれてしまう時は、必ずブラッドベリの本を読み返すようにしています。なぜならそこに並んでいる言葉たちは、子供たちが目をキラキラさせながら話している、あの勢いと鮮やかさ、温度がまるでそのままあるからです。そんなブラッドベリが夏という季節を描いたらどれだけ素晴らしい作品になるか、もう説明しなくてもなんとなく想像できるかと思います。

 

「たんぽぽのお酒」は、とある街に住む少年ダグラスの12歳の夏のお話です。ダグラスのおじいちゃんは、毎年夏になるとたんぽぽのお酒を仕込みます。ところで、たんぽぽのお酒って? 本の中にはこう書いてあります。

 

この言葉を口にすると舌に夏の味がする。夏をつかまえてびんに詰めたのがこのお酒だ。それにダグラスが、自分が生きていることを知り、ほんとうに知って、世界を転がりまわってそれをすっかり、膚で目で感じとったいま、彼のこの新しい認識のいくらかを、この特別の収穫日のいくぶんかを、封じこめてとっておき、雪が降りしきり、何週間も何ヵ月も太陽をおがむこともなく、おそらくはあの奇跡のいくぶんかはすでに忘れさられて、再生を必要としている一月の日にあけられるようにしておくことこそ、ふさわしい、適切なことであった。

 

そうです。とある夏の一日一日の小さな思い出たち、それこそがたんぽぽのお酒の素なのです。その時はわからなくても、月日が経ったある日にそのびんの蓋を開けたら、ひとたび蘇るあの夏の香り。ずらりと並んだそれぞれの日付のたんぽぽのお酒は、一見全部似たり寄ったりだけど、一つ一つ異なります。12歳という多感で未完な時期に経験する数々の出来事は、少年にとってあまりに濃厚で新鮮なものばかりでした。

 

夏を駆け抜けるために新しいテニスシューズを手に入れたり、大好きな友人が引越ししてしまったり、親しくしていたおじいさんが亡くなってしまったり……。他にも一夏に起きた出来事はたくさんありますが、そのどれもから感じとれるのは、ありふれた物事にこそ奇跡や物語は潜んでいるということです。特に私が好きだったのは、「タイムマシン」のお話です。個人的にはこれぞブラッドベリ! という感じですね。SFの世界観はありつつ、そこで語られていることはものすごくアナログというか、本当に大切なものは何かを問いかけてくれる、心温まるお話です。説明するのも野暮なほど素晴らしい、一言では言い表せない内容なので、ここではほんの断片だけ。

 

「トム」ダグラスが小声でいった。「ありとあらゆる旅をしなきゃいけないな。見られるものはなんでも見てやるんだ。とりわけフリーリー大佐のところに週一、二回は行かなきゃ。彼はほかのすベての機械よりいいよ。大佐がしゃべり、ぼくたちは聞くんだ。(以下略)」

 

フリーリー大佐というのは、街に住むとあるおじいさんのことです。タイムマシンとは何か、勘のいい方はもうなんとなくおわかりいただけたのではないでしょうか? ……おっと、これ以上は本の中に委ねたいと思います。

 

全体的に文章の表現が独特で、読む人によってはもしかしたらまとまりがないと感じるかもしれません。わかりやすくストーリーを追いたいという方にとってはやや読みづらい部分もきっとありますが、読み終わると、なぜブラッドベリがこの作品においてそういう書き方をしたのか、その意味もわかってくると思います。

 

夏の思い出って、まとまった綺麗な一つの記憶として簡単に語れるものでは決してないんですよね。特に子供の頃の思い出は。細かいいろんな出来事があって、そこに流れる愛しい時間があって、抱いた感情があって、一見不必要ともとれる小さなかけらさえ一つ残らず拾い集めて、はじめて見えてくるその夏がある。そう、それこそが「たんぽぽのお酒」なのです。この本を読んで、ぜひみなさんそれぞれのいつかの夏へ、旅に出かけてみてください。

 

 

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関取花

関取花

1990年生まれ 神奈川県横浜市出身。
愛嬌たっぷりの人柄と伸びやかな声、そして心に響く楽曲を武器に歌い続けるソロアーティスト。
NHK「みんなのうた」への楽曲書き下ろしやフジロック等の多くの夏フェスへの出演、ホールワンマンライブの成功を経て、2019年ユニバーサルシグマよりメジャーデビュー。ちなみに歌っている時以外は、寝るか食べるか飲んでるか、らしい。
ラジオと本をこよなく愛する。
神奈川新聞と、いきものがかり水野良樹さんのウェブマガジン「HIROBA」にてエッセイも執筆中。 2020年11月、初の著書となるエッセイ集『どすこいな日々』(晶文社)を上梓。
2021年 3月、 メジャー1stフルアルバム「新しい花」発売。

関取花ホームページ https://www.sekitorihana.com/
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