ryomiyagi
2021/08/06
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2021/08/06
みなさん、聞かれると困る質問ってありませんか? 私はあります。昨年発売したエッセイ集「どすこいな日々」の中にも書いたのですが、まず一つ目は「あなたにとって音楽とはなんですか」です。音楽は自分にとって最愛のものであり、最大の敵でもあります。それによって幸福を感じることもあれば、とんでもなく憎くなる時もある。いろんな思いが溢れ過ぎてとても一言では言い表せないので、聞かれるといつも困ります。そして私が考えに考えて出した結論は、「うんこ」でした。ふざけているようですが、超真面目に考えて出した答えです。なぜそうなったかは、ぜひ本を読んでいただけたらと思います。
そして最近、もう一つ聞かれたら困る質問があることに気付きました。それは、「あなたの一番好きな動物はなんですか」です。いやあ、これめちゃくちゃ難しくないですか。ちなみに私は30年間生きてきて一度もペットを飼ったことがありません。だから犬も猫もハムスターも象もペンギンもみんな同じくらい好きです。言葉では動物という一括りにはできますけど、それぞれに感じるいいなと思う部分が異なるので、どれが一番とか決められないんですよね。
もしかしたら家でペットを飼っている人ならすぐに答えられるのかなと思って、先日猫を飼っている友人に同じ質問をしてみました。私はもちろん猫と即答するだろうと思って聞いたのですが、すると意外な答えが返ってきました。「えーわかんない、決めらんない」そう言って友人は笑っていました。そこは猫じゃないのかと聞くと、「猫というより私はジョジョ(友人の飼っている猫の名前)が好きなだけなの」とのことでした。「猫だからジョジョが好きなんじゃなくて、ジョジョだからジョジョが好きなの」と言いながら優しく愛猫を撫でる友人の横顔は、とても優しい顔をしていました。オンラインでの会話だったので画面越しではありましたが、美しかった。心から愛しいと思う相手に向ける笑顔って、なんであんなに泣けてくるのでしょう。
そのあと一人でお風呂の湯に浸かりながら、私はその友人の言葉を反芻しました。真理だなあと思いました。私は人間が好きです。でも、たしかに全員好きかと言われたら違います。厳密に言うと、「私は私の好きな人間が好き」なだけです。こういうとなんだか閉鎖的に聞こえてしまうかもしれませんが、そういうことではありません。カテゴリの分類だけで何かを愛するのは野暮だというだけです。その人だからその人が好きなのであって、人間だから無条件に好きとか、こういう仕事をしている人だから好きとか、こういう見た目の人だから好きとか、そういうんじゃない。これってすごく大事なことだなとあらためて思いました。
この日以降私の中で、街中で動物を見かけた時に感じるものも少し変わりました。以前は犬とすれ違えば無条件に「あらワンちゃんだ、かわいい」となっていたのですが、今はちょっと違います。なんというか、「あらこの子、かわいい」と思うようになりました。飼い主さんに送る目線、歩き方、表情。同じワンちゃんでもよく見ると全然違っていて、よく見ていると人間と同じで、なんだか妙にキュンとするというか、自分のツボにグッとくる仕草をする子が時々いたりするんです。よく「ペットは出会いだ」なんて言いますけど、きっと本当にそうなんだろうなと思います。犬ならなんでも、猫ならなんでも飼えればいいなんてもんじゃない。その子だから好きなんですよね。動物園でしか見られない動物たちだって、よく見たら同じ種類でも全然違うはずです。「象は象でも、〇〇動物園の△△ちゃんが好き」とか、そういう風に思えたら、ちょっと動物園に行くのも何をするのも、楽しく心豊かに過ごせそうですよね。
というわけで、前回はみなさんにこんな質問をさせていただきました。
関取花の今月の質問:一番好きな動物はなんですか?
聞かれると困ると自分でわかっていながらみなさんに質問してしまった私を、どうかお許しください(笑)。いや、この質問をした時はまだ友人と話す前だったんです。よく聞かれる質問だけど、どれが一番かって決められないよなあなんて思いながら、単純にみんなはどんな動物が好きなんだろうと軽い気持ちで質問してみたのでした。たくさんのご回答をいただいたのですが、一際目を引く回答があったので、そちらを紹介させていただきます。
お名前:まな
回答:馬
いやあ、シンプルでいいですね。私はこの回答を見て、きっとまなさんにとってなんだか無条件にグッとくる動物が馬なんだろうなあと思いました。馬って美しく強い印象もあるのに、どこか憂いがあるところがいいですよね。
私も以前那須どうぶつ王国へ行った時、何十分も馬だけを見ていたことがあります。その時私は、勝手に馬に人間の姿を重ねていました。競馬なんかで何頭もの馬がバーっと並んで駆け抜ける姿を見ていると、とにかく華やかで血気盛んな動物に思えますが、一頭に近付いて見てみると、瞳はつぶらだしのんびりしていて、とても同じ動物には思えないというか。それがなんだか、人前に出る時は頑張るし明るく振る舞うけれど、一人になった途端静かにただただぼーっとしてしまう人間とどうにも重なってしまって、どうしようもなく愛しくなりました。私も結構そういうタイプなので(笑)、「おお、同志よ」と思って無性にホッとして、しばらくそこにいましたね。近付いて観察してみるとまた違った魅力が見えてくるのも、動物の面白いところです。そこでみなさんに今回ご紹介したい本があります。ジュール・ルナールの「博物誌」です。
「博物誌」新潮文庫
ジュール・ルナール/著、Jules Renard (原著)、岸田 国士 (翻訳)
ルナールといえば小説家として名作「にんじん」が有名ですが、この本では詩人、観察者、そして生活者としての彼の考えや着眼点の鋭さを余すところなく味わうことができます。簡素だけれどハッとさせられる言葉選びはまさに唯一無二。あらゆるものへの深い好奇心と洞察力があるルナールならではの目線で、彼の身の周りにいる生き物たちとそこでの生活を、時に淡々と時に詩的に、鮮やかに描き出してくれています。彼の眼にはどのように景色が映りそれをどうやって捉えているのか。冒頭の「影像の猟人」にはこう書かれています。
朝早くとび起きて、頭はすがすがしく、気持ちは澄み、からだも夏の衣装のように軽やかな時にだけ、彼は出かける。別に食い物などは持って行かない。みちみち、新鮮な空気を飲み、健康な香を鼻いっぱいに吸いこむ。猟具も家へ置いて行く。彼はただしっかり眼をあけていさえすればいいのだ。その眼が網の代わりになり、そいつにいろいろなものの影像がひとりでに引っかかって来る。
はじめてこの文章を読んだ時、私は一瞬で引き込まれました。彼の生きた時代も場所も見ている景色も何もかも知らないはずなのに、まるで目の前にその匂いや温度、空気、すべてが広がるようでした。そして、この本は「さあ読むぞ」と決めて読むものではないな、と思いました。自分自身が影像の猟人の心を持っている時に読むべきだと。知識を得ようとか、ノルマ的に一冊読もうとか、そういう変な目的はいらない。ぼんやりと眺めるように読んでさえいれば、自然に言葉が心の網に引っかかって来ます。そうして自分も観察者の目になってこの本を読み進めて行くと、より深く楽しむことができるのです。まなさんの好きな馬についても、もちろん書いてありましたよ。
「馬」
しかし、こいつは、私をしんみりさせる。いつまでも私の用を勤めながら、一向逆らいもせず、黙って勝手に引き回されているということが、考えれば考えるほど不思議でしようがないのである。(中略)だから、私も彼には燕麦でも玉蜀黍でもちっとも惜しまず、たらふく食わせてやる。からだにはうんとブラシをかけ、毛の色に桜んぼのような光沢が出るくらいにしてやる。鬣も梳くし、細い尻尾も編む。手で、また声で、機嫌をとる。眼を海綿で洗い、蹄に蝋を引く。
いったい、こんなことが彼には嬉しいだろうか。
わからない。
彼は屁をひる。
これだけでルナールと馬の関係性がよくわかりますよね。愛情を持って日々相手の様子を観察しながら共に過ごしていると、自然と「何を考えているのだろう」と思うようになる。相手が馬であっても人間であっても、それは同じです。
彼を見ていると、私は心配になり、恥ずかしくなり、そして可哀そうになる。彼はやがて半睡状態から覚めるのではあるまいか? そして、容赦なく私の地位を奪い取り、私を彼の地位に追い落すのではあるまいか?
彼は何を考えているのだろう。
彼は屁をひる。続けざまに屁をひる。
「屁をひる」が、ものすごくいい味を出していますよね。対等な目線で観察していなければ普通に見過ごしてしまうようなことかもしれません。何も言わない、でも屁はひる。そこに人間臭さというか、馬からの無言のメッセージが込められているような気がしてきます。そうかと思えばあまりにもあっさり済ませてしまうのもあり、思わず笑ってしまうことも。
「驢馬」
大人になった兎。
いやマジか。でもたしかに言われてみれば、ロバのあの妙に疲れた感じとか、兎よりもう少し筋張った感じとか、色味とか、そんな気もしてきます。
「蚯蚓」
こいつは精いっぱい伸びをして、長々と寝そべっているー上出来の卵饂飩のように。
ミミズと卵うどんを重ね合わせるなんて、まったく私の頭にはありませんでした。どちらかというと少し気持ちの悪い印象が強かったですが、これを読むといろんな意味でちょっと愛情が芽生えてきますよね。
「蛇」
ながすぎる。
うん、そうだね。たしかにそうだ。あいつは長すぎる。てらいのない直感的な表現も、ルナールの魅力のひとつです。そして最後に、これぞルナールという私が最も胸を打たれた一行を紹介させてください。
「蝶」
二つ折りの恋文が、花の番地を捜している。
あっぱれです。もう何も言うことがないというか、言いたくありません。小手先の比喩表現ではない、詩人、そして観察者としての彼の豊かさゆえのあまりにも美しい言葉選び。そして岸田国士氏の日本語訳がまた素晴らしいですよね。たった一行に、季節、動き、私たちが蝶を見かけた時に感じる胸の高鳴り、そのすべてが凝縮されています。ぜひ一度、声に出して読んでみてください。目の前の景色に、あなたの唇の上に、心に、ひらひらと蝶が舞って来るはずです。
この本を読んでいると、人に対しても、動物に対しても、自然に対しても、はたまた自分自身の心に対しても、本質を見抜くためには、ただ黙ってじっくりと向き合うということがどれだけ大切かがよくわかります。そうすることが個への本当の興味の始まりになり、やがて愛情になり、尊敬になり、自分の人生の養分となるのです。そう、私たちはただしっかり眼をあけて、観察していさえすればいい。その眼の網に引っかかったものたちを焦らずひとつひとつ拾い集めて行ったら、自分が何に愛しさを感じるのかが自然とわかってくるはずです。自分の一番好きな動物は、やっぱり私にはまだわかりません。でも日々この心を忘れずに生きていたら、一際グッとくる運命の何かに出会う日も来るかもしれませんね。
この連載の感想や私への質問は、
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