第十七回 ヘルマン・ヘッセ『青春はうるわし 他三篇』
関取花の 一冊読んでく?

最近お気に入りの公園があります。公園といってもブランコやすべり台といった遊具があるわけではなく、基本的には一面の芝生です。広場といった方がわかりやすいのかもしれません。夕方頃になるとランドセルを背負った子供たちが、色とりどりのそれを芝生に置いて、木登りなんかをして遊んでいます。私はここを通りがかるたび、いつもなんだか胸が熱くなります。スマホがなくてもゲーム機がなくても、別に何を話すでもなくても、そこに誰かといるだけで自然と時間が過ぎていく。少しずつ空の色が変わって、やがて日が落ち始めて、肌寒くなってきたあたりで、誰からともなく「じゃあまた明日ね」って言う。大人になるにつれいつの間にか消えていってしまった大切な何かが、たしかにそこにはある気がするのです。

 

とはいえいつも外から眺めるだけで中に入ったことはなかったのですが、先日ついに私もその公園デビューをしました。大好きな友人を連れて。彼女とは大人になってから仲良くなりました。私は正直、25歳を過ぎてから本当の友人ができるなんて思っていませんでした。それほどの友人に出会えるのは漠然と青春時代まで、そう思っていました。

 

理由は、それ以降だともうお互いある程度自分の見せ方だったりを理解している年齢なので、本当の意味で深いところまで潜って話を聞いたり聞いてもらったりができなくなると感じていたからです。相手にとってどういう自分でいたいか、どういう風に見てほしいかを頭のどこかで考えながらコミュニケーションをとるようになる……なんというか、この人と付き合うことで自分の人生にどんなメリットがあるか、あるいはデメリットがあるか、そういう損得感情はどうしても伴ってしまう気がしていました。悲しい考え方かもしれませんが、日々何かしらの宿題に追われ、たとえ休日でも本当に心が休まることなんて滅多にない大人になると、どうせなら何か具体的に自分の身になるものを得られる時間の過ごし方をしようと、逆算しながら人付き合いをするしかないのだろう、と。

 

でも彼女と出会って、そんなことばかりでもないと思えました。その場で起きている出来事や目に入る景色、食べたもの、聞こえた音、そういうあらゆるなんでもないことを共有している時間が、ただ無性に心地よかったのです。今を一緒に過ごしているというだけでずっと話が絶えなくて、どこに行く予定を決めなくても、きっとどこかに辿り着けるような気がしました。私たちは会うととにかく歩きます。なんなら、ひたすら歩きながら話しているだけです。それで自分の人生において今後活かせそうな何を得られているのかなんて、よくわかりません。でもひとつ言えるのは、彼女と過ごすかけがえのない時間をその瞬間得られているということ。それだけで、もう他には何もいらないんです。平面だった木々のざわめきが立体的になって聞こえてくる。空に浮かぶ雲の形ひとつひとつが何かに見えてくる。川は優しさの粒を乗せて走り、風は歌い、見慣れた景色がはじめて見る景色のように輝き出す。そう、青春時代、あるいはもっと手前、まだまだ世界がはじめてのことで溢れていたあの頃のように。

 

さてさて、先月はみなさんにこんな質問をさせていただきました。

 

今月の質問:「青春時代の思い出といえば?」

 

そもそも青春時代っていつからいつまでのことなんだって話ですよね。なんとなく世間的には15歳~18歳とか、そんなところなのでしょうか。でも本当はもっと抽象的な、それぞれの感覚によるものなんじゃないかなあと思ったりしたので、気になって聞いてみました。たくさん面白い回答をいただいたのですが、今回はその中からひとつ。

 

お名前:とむとむ
回答:青春時代の思い出って聞くと、思い浮かぶものもありますが、そもそも「青春」って、何なんですかね。
大学生の自分は今、青春してる? これから年をとっても、青春できる? 
花さんの大阪でのライブで、「最後の青」を聞きながら、そんなことを考えていました。

ちなみに、僕の青春時代の思い出は、やっぱり高校時代の恋ですね。
叶わぬ恋。叶わなかった恋。お相手は、今となってはいい友達です。
”恋”が”濃い”友情をつくってくれた、なんつって。おやじギャグで盛り上がっているようでは、もう青春ではないか……

 

大阪のライブに来てくださっていたんですね! ありがとうございます。そして、まさに「最後の青」をあの日弾き語りしたのは、とむとむさんのように、この曲を聴きながらそれぞれの青春に思いを馳せていただけたらと思ったからでした。
あの日歌いながら、私自身も自分の心に問いかけていました。「最後の青」っていつなんだろう、と。それこそこの曲を書いた時は、制服を着ているくらいの時期が過ぎたら終わっていくものだと思っていました。でも歌いながら思ったんですよね、私はまだまだ青春真っ只中だな、と。久しぶりのツアーは、何回もやってきたはずなのに、はじめてライブをした時のような感覚でした。知らず知らずのうちに身についてしまった“慣れ”や“こなす”といったものがリセットされて、すべてのものが目新しく感じました。照明の光も、お客さんの表情も、自分の歌声でさえも。

 

私が思う青春とは、まだまだ知らないことだらけで溢れていたあの頃、その中で手探りながら、世界の不思議を知ろうと毎日を全力で生きていたあの時の自分。そんなイメージです。だからまだまだ知りたいことがあるうちは、あるいははじめての気持ちを取り戻せる出来事があれば、いくつになっても青春できるんじゃないかな、と思います。それはきっと恋においてもそうなんじゃないですかね。

 

ということで今回は、そんな青春という、言葉はありながら決して一言では言い表せないものを、物語を通して見事に描き出しているお気に入りの一冊をご紹介したいと思います。

 

ヘルマン・ヘッセ「青春はうるわし 他三篇」(岩波文庫) です。

 

「青春はうるわし 他三篇」
ヘルマン・ヘッセ/著、関 泰祐/訳
1965年、岩波書店刊

 

南ドイツの小さな街に牧師の子供として生まれたヘッセは、文学だけでなく、絵画や音楽などさまざまな芸術を愛した人でもありました。「春の嵐」「デミアン」「車輪の下」「クヌルプ」「メルヒェン」「荒野のおおかみ」など、ヘッセの作品を読むたびに思うのは、感情のゆらぎや葛藤の描き方の素晴らしさです。特に、主人公が自分の中に芽生えた何か新しい感情に気づいた時の表現には、いつも心を引き込まれます。

 

この本には四篇の物語が収められています。表題作である「青春はうるわし」は、他国から故郷に帰ってきた主人公の、ひと夏の恋と出来事を描いた作品です。はじめは一目見て心奪われた美しい少女に思いを寄せる主人公でしたが、やがてもう一人の、まったくべつのタイプの少女へと思いは移っていきます。やさしくあたたかい心の持ち主であるこの少女といる時は、思い切り笑える自分がいること、構えず自然にふざけたり話したりができること、そういったことに少しずつ気づき、やがて恋をしていると確信するのです。

 

けれども私は、世の中にはほかに何ひとつ重要なことがないかのように、恋の小旗をひるがえしながら、ほとんど気づかぬほどに減っていく日々を船を漕ぎ進めていった。私は毎日黄金の希望を荷積み、昂然として、日が来たり、かがやき、去っていくのを見るだけで、それをとめようとも惜しもうともしなかった。

 

「恋の小旗をひるがえしながら」、「毎日黄金の希望を積み」といった比喩表現は、恋をしたことのある人間なら誰しも感じたことのある胸の高鳴りを見事に表現していますよね。誰かを好きになった時の感情の源流に、読者である私たちを連れていってくれるようです。

 

そういった瞬間の感情を描き出すのはもちろん、過去を振り返る時の表現もまた、なんとも言えず美しいのです。二篇目に収録されている「少年時代」は、主人公が当時を振りかえるところから始まります。

 

あのころは、木々がいかにもうれしそうに強情に空につっ立っていた。あのころは、庭のスイセンやヒヤシンスが輝くばかりに美しく芽を出していた。それに私たちがまだよくは知りあっていない人びとまでが、私たちをやさしく親切に遇してくれた。人びとは、私たちのすべすべした額の上にまだ神々しいものの息吹を感じたからである。

 

誰もがまだ、それぞれ特別な何かだったあの頃。まだ何も知らない、天使のような額を持ち、みんなに平等に光が降り注いでいたあの頃。その当時私たちにとって世界がどのように見えていたか、あるいは世界から私たちがどう見えていたか、その心象風景をやさしく丁寧に紡ぎ出すことで、セピア色になった思い出にまた色が付いていき、時がそっと戻っていくようです。忘れかけた何かを取り戻すようにこれらの物語を読み、本を閉じる頃には、いつもの景色も違って見えてくるはずです。最後に収録されている「秋の徒歩旅行」では、こう書かれています。

 

青春時代の土地に再会することの、なんと不安にも喜ばしい気持であることだろう! かずかずの思い出が雑然とひらめき出てきて、人は夢のようにあわただしく、今までのわが全発展のあとをもう一度心に生き返し、とりもどすすべなく失われたものが、なつかしく、せつなく、じっと私たちを見まもるのである。

 

「秋の徒歩旅行」は、主人公がかつて青春時代を過ごした土地を訪ねる物語ですが、実際にそういった土地に足を運ばなくても、同じような思いに駆られることはあるはずです。なんか懐かしいなあとか、なんかあの時の気持ちを思い出すなあとか。そう思わせてくれる出会いがある限り、私たちの青春が完全に終わることはないんじゃないかな、と思います。私にとってのそれは、ライブだったり、友人との時間だったりするわけです。みなさんにもきっとあるはずです。この本を読んでからあらためて自分の周りにいる人や環境に思いを馳せてみたら、見えてくるかもしれませんよ。

 

 

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めっきり寒くなっちゃって、毎日風邪をひかないかビクビクしながら過ごしています。気温の変化ももちろん怖いですが、これからの季節怖いのは乾燥ですね。毎日加湿器2台使いで寝ています。最後に、今月も私からの質問です。いやあ、そうなってくると、もうそろそろこの季節ですね。

 

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