プロローグ 一九九六年 夏 培養室(2)
谷村志穂『過怠』

ryomiyagi

2020/06/19

『移植医たち』では移植医療、『セバット・ソング』では児童自立支援施設。谷村志穂が次に手がけるテーマは最先端の生殖医療。
幸せをもたらすはずの最先端医療が生んだ“かけ違え”。日本と韓国、ふたつの家族、母と娘……二人の女子学生の人生が未来が翻弄される――――。

 

プロローグ
一九九六年 夏 培養室(2)

 

 

 第一号の患者は無事に妊娠を果たし、何の問題もなく赤ちゃんを出産した。論文は、何一つ間違っていなかったのだ。妊娠に失敗するたび、排卵誘発剤を打ちに通う日々から、患者たちは解放された。一度の受精が叶えば、あとは幾度でも移植ができるようになったのだ。
 第一号が成功したとき、そのときばかりは、嬉々として父にも告げた。建て替え前の産院は古いままで、冷風機が音を立てていた。
 自分が行いたいのは、そんな最先端の生殖医療なのだと熱弁したのを、父は静かに聞いていた。
 人の操作や選別が入る体外受精に、父は当初から否定的だった。医師を創造主にさせてしまう行為だと考えていた。
 だがその父が最後には、杖をついて培養室を覗きに来て、こう言った。
「長年不妊に苦しんできた患者さんたちを、お前なら救えるのかもしれないな」
 そして、こうも付け加えた。
「だがね、医師は神ではないのだから、それ以上の野心は持ってはいけないよ。そうすれば、過ちも起きるんだ。頼んだよ」
 そう、口にしたきり、父は長年の付き合いのある家族の出産にだけ立ち会うようになった。

 

 
 二つ目のシャーレ奥側を引き寄せ、顕微鏡の下に置く。宋(ソン)ファミリーは、韓国籍夫婦の患者である。すでに成功を収めて帰国した同胞の患者夫婦からの紹介で、やってきた。
 夫はソウル近郊で貿易会社を営んでおり、日本とを頻繁に行き来している。
 戸籍上二人にはすでに長女、次女がいるがいずれも養子であり、これまで実子は授からずにきたという夫婦だった。
 夫の精子の運動率は低かったが、何とか顕微受精で受精はかなって、受精卵の凍結保存までは順調に進んだ。今回がはじめての胚移植となる。
 夫のミンジュンは長身で、流暢で品格の高い日本語をすでに身につけていた。
「先生、成田とソウル、わずか二時間半です。ですけれど、妊娠できるまでは、いかにもその距離を遠く感じますね。しばらくは、こちらで生活したらいいんじゃないか、そういう風に私たち考えています。よろしくお願いします」
 夫の話を、黒々とした情熱的な目で、妻カウンはじっと聞いていた。その目はすぐに涙ぐんだ。
 こちらから訊いたわけではないが、夫は妻の小さな背を撫でながら続けた。
「私の姉の夫婦は、交通事故で、急に亡くなりました。その子どもたちを、私たちで育ててきました。二人が、悲しまないように、妻は今まで愛をたくさん、与えましたよ。でも二人は十分に育ちました。ですから次は、私たちの子どもが欲しいです」
 明日来院する両家の様子は、家族の愛情深さのようなものが、対照的といってもよかった。
 いずれもの新しい命の光が、シャーレの中にある。

 

 

 母体には、専用チューブで胚移植を行う。
 移植した胚が注入されていき、母体の子宮という、ふかふかしたゆりかごで育っていけば、この顕微鏡下の体外受精による妊娠は成立となる。
 無事赤ん坊が産声をあげたときに、ようやく人は生命の誕生を喜ぶが、本当はすでに命は、ここに始まっているに決まっているのだ。自らが採取した、選りすぐりの卵子と精子による命が。
 今もシャーレの中でどんな傷も負わずにうまく融けた胚の状態に満足し、看護師を内線電話で呼んだ。明日の手配の確認がしたかった。
 移植の際には念には念を入れて、一度に三つも五つも胚を移植する医師たちがいるが、これが三つ子、五つ子となる可能性を呼ぶことになる。
 ここ数年義哲は、一つきりしか戻さない。いつも、一つに賭ける。
 すぐに応答しない看護師に、普段以上に苛立ったのは、疲労ゆえだった。顕微鏡から目を離すと、とたんに疲れが広がった。ほとんど他人を立ち入らせることのない培養室は、はっきり言って論文や資料でひどい有様だ。そのうち片付けねばならない。そういう余計なことも気になってくるので、準備が終わったら、いち早く帰って休みたいのだ。昨夜立ち会った出産は難産で、結局朝になった。無事に生まれてくれてよかったわけだが、本来自分が無心になれる時間は、父とは違ってこの培養室にある。
 応答がないので、一旦部屋を出て、トイレに立った。

 

次回に続く(毎週金曜日更新)
photos:秋

谷村志穂『過怠』

谷村志穂

tanimura shiho 1962年北海道札幌市生まれ。北海道大学農学部にて応用動物学を専攻。1990年ノンフィクション『結婚しないかもしれない症候群』がベストセラーとなる。1991年『アクアリウムの鯨』発表し、小説家デビュー。紀行、エッセイ、訳書なども手掛ける。2003年北海道を舞台に描いた『海猫』で第10回島清恋愛文学賞を受賞。作品に『余命』『黒髪』『尋ね人』『ボルケーノ・ホテル』『大沼ホテル』『移植医たち』『セバット・ソング』など。『海猫』は故森田芳光監督により2004年、『余命』は生野慈朗監督により2009年映画化される。最新刊に『りん語録』。北海道・七飯町(大沼国定公園)観光大使、はこだて観光大使、北海道観光大使も務める。
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