akane
2019/01/18
akane
2019/01/18
前回、たっぷりと「豆腐」について思いの丈を綴らせてもらいました。中でも、自分のなかで存在感が大きすぎ、もはやひとつのジャンル。とてもまとめては収めきれなかった「肉豆腐」について、今回はたっぷりと語らせてもらいたいと思います。
居酒屋のメニューにあれば必ず頼むという人も多く、その味付けでお店との相性を見極める、なんてことも珍しくないのが「煮込み」じゃないでしょうか。
あれって、具材も味もお店によって千差万別なので、「煮込みが美味しい店はいい店」なんて説に反対する気は、これっぽっちもありません。
だけど、煮込みって時に、断じて個人的な話ですが「あ、ここの、ちょっと苦手だな……」というものに出くわすこともあるんですよね。要するに、モツの獣臭さがほんの少し気になるというパターンなわけですが。
なので僕の場合、どんな店に行っても必ず煮込みを頼みがちな酒場の常識に、若干の違和感を感じながら生きてきた。あ、もちろん大好きで、そこへ行けば必ず頼む煮込みもたくさんありますよ。
ところが、ある時に気がついた。自分にとってのそういう存在って「肉豆腐」かもな、と。
ご存知の通り、豆腐が大好き。もちろん肉も好き。その組み合わせである肉豆腐を頼んで、美味しくなかったことがない。
それから僕、食材として一番好きなんじゃないか? ってくらいの「豚好き」なんですが、肉豆腐には僕の大好きな薄切りの豚バラ肉が使われていることも多い。その旨味と甘辛~い汁が染み込んだ豆腐をつまみに飲むお酒の、幸せじゃないわけがないじゃないですか!
自分が肉豆腐好きを自覚したのはいつの頃からだろう? はっきりとは覚えていませんが、そう考えた時にぼんやりと頭に浮かぶのは、渋谷「細雪」の肉豆腐でしょうか。
もうなくなってしまったお店で、今思うとあれは幻だったんじゃないか? ってくらい、渋く、安く、「渋谷の奇跡」そのものといえる酒場でした。
そこの名物が肉豆腐で、お刺身を盛るような真っ平らの四角いお皿に、茶色く染まった一丁ぶんの木綿豆腐がどんと乗り、上にバラバラっと、同じ鍋で煮込まれた豚の薄切り片と飴色の玉ねぎが散らされ、はっきり言って見た目はものすご~く雑。なんだけど、その優しい味わいと、質実剛健なつまみ力の高さが頼もしく、行けば必ず頼んで、ナカの濃~いホッピーと合わせていました。
そんなふうに、なんとなく気になる存在だった肉豆腐に対しての意識改革が起こったのは、数年前、ひとりふらりと入ってみた、神田の「かんだ串亭」というお店で飲んだ日のこと。品のいいご夫婦が営む、気取ってはないんだけどちゃんと美味しいものが食べられる一杯飲み屋で、お酒は日本酒が中心。ここで何気なく頼んだ肉豆腐に驚いたんですよ。
透明度の非常に高いツユに浮かぶ、気品ある絹豆腐。具材は透明に煮込まれた玉ネギとしらたき。お椀のなかに一切の濁りなし。その上に、艶っぽく小ネギがパラリ。
感動しましたね。こんなにも上品な肉豆腐があるのかと。身体に染み入るようなダシと豚肉の旨味とともに、つるんとなめらかな豆腐をゆっくり味わい、ぬる燗で追いかける。この、どこか荒々しいイメージだった肉豆腐をつまみに飲んでいるとは思えない感覚。
肉豆腐って、ただハズレがないだけの料理じゃなくて、もっともっと奥深い世界なんじゃないか? そう気づいた瞬間でした。
好きな肉豆腐と言われてぱっと思い浮かぶのは、日暮里の「いづみや」でしょうか。大宮に本店がある正統派の大衆酒場ですが、日暮里店のほうが少しだけ身近なのでこちらで話を進めます。
半丁ぶんほどの木綿豆腐と、上品な脂身の乗った豚肉を、ほんのりと甘い醤油ベースのダシで煮込んだもの。いわゆる、僕が思い浮かべる一番オーソドックスなタイプ。ここに煮込むのではなく刻みネギが乗り、そのアクセントも含め、どこか優雅なイメージ。
これが本店になると、もっと朴訥な雰囲気なのですが、それもそれでまた良し。
正統派といえば、池袋の老舗「千登利」は外せないでしょう。
看板ではやきとんを謳っていますが、誰もが頼む一品が肉豆腐。カウンター内の一番いい位置の大鍋で、女将さんが目を配り続ける、グツグツと煮える肉豆腐。目の前の席に座れた日には、その湯気だけで飲めてしまうってもんですが、実際にいただいてもとんでもなく絶品。濃い醤油味の汁で煮込まれ、まっ茶色に染まった豆腐の上に乗るのは、とろりとした牛肉。その上に刻みネギ。半世紀以上にも渡るお店の歴史と相まって、それはそれは奥深い一品です。
なんだか連想ゲームみたいになってきますが、歴史を感じるといえば、なんと明治10年創業、北千住の「大はし」。
大衆酒場界の生ける伝説ともいうべき大将が丹精込めて仕込む「牛にこみ」の豆腐入り「肉とうふ」は、長年に渡って酔客たちを満足させ、そしていまだに毎日のように行列ができる人気店である理由が身にしみてわかり、ただただありがたい。
ところで大はしといえば、僕の尊敬する居酒屋研究家、太田和彦先生が提唱した「東京三大煮込み」のひとつ。あとのふたつは、森下の「山利喜」、月島の「岸田屋」ということになり、もちろん僕も一通りおじゃまし、どのお店も本当に素晴らしかったのですが、こと肉豆腐の好みという点において印象深いのが、岸田屋のもの。
上質な牛肉とザクザクとした食感を残したネギ、それがすき焼き風の味付けで煮込まれ、豆腐を覆い隠すようにこんもりと盛られた様には、威厳すら感じます。
近年、見せかけだけのレトロ感で飾りつけるのではなく、古き良き大衆酒場文化をきちんと研究し、それでいて現代感覚も兼ね備えた新たな大衆酒場が続々オープンしており、「ネオ大衆酒場」なんてくくりで語られたりしていますね。そんなお店のなかで特に好きなのが、中野の「コグマヤ」。誰かがネットにアップしていた写真に衝撃を受け、あわててお店にでかけていったんですが、いや~実物はさらにすごかった!
関西のどて焼きのニュアンスを含みつつも、しつこすぎないという独自のバランスのダシで、肉串やさまざまな具材を煮込む「煮込み」が名物なのですが、その「豆腐」がすごいんですよ! もう、まっ茶色を通り越して、真っ黒。その見た目だけで誰もが笑ってしまう。が、見た目に反してくどくはない、ちょ~ど良い味わいでして、たった100円の豆腐だけで、最高に幸せになれてしまうんです。最近、そのバリエーションとして肉豆腐が導入され、これが牛ホルモン入りの濃厚こってり味で、ま~たまりません……。
先ほど、意識改革が起きたお店ということで、かんだ串亭を紹介しましたが、僕がさらに肉豆腐の世界の深淵にはまりこんでしまったのが、地元、石神井公園にある昔ながらの食堂「ほかり食堂」。
そこでは、ガラスケースから出してきた瓶ビールや缶チューハイを、「本日の定食のご飯抜き」とか、「カレーライス単品」なんかで飲むことが多かったのですが、ある時、小上がりで数人で飲んでいて、単品料理をあれこれ頼んでみようと、何気なく肉豆腐を頼んだんです。そしたら出てきたのが「え、これですか? 間違いじゃなくて?」っていう肉豆腐だったんですよね。
具体的に説明しますと、まず豆腐は荒く崩された木綿。で、その存在感が薄れるほどの量の、ニンジン、ピーマン、白菜などの野菜と、豚肉。これがちょっととろみのついた中華風のタレで炒められており、同席者に言わせれば、「これ『うま煮』って料理ですよね」とのこと。が、メニューに肉豆腐と書いてあるんだから肉豆腐に間違いない。
はい、完全にハマりました。俗に言う「肉豆腐沼」に。
最近印象深かった肉豆腐はというと、同じく石神井にある「天盃」という居酒屋。魚系が美味しくお手頃な店という認識で通っていたんですが、先日初めて肉豆腐を頼んでみてびっくり。オーソドックスな醤油味に煮込まれた一丁ぶんの豆腐の上に、これでもかと豚バラ肉が覆いかぶさっています。これには豚好きとして大歓喜。喜び勇んで箸でつっつくと、なんとその下からは、これまたたっぷりの薄切りの牛肉が……。
「こんなサプライズ、生まれて初めて!」ってなもんで、乙女のように感動して涙ぐむ始末でした。
長年池袋でよく飲んでいて、たまには入ってみたことのないお店へ、ということで寄った「田なべ」もすごかった。まずカウンターにつくと、目の前に吊るされた巨大なアンコウに圧倒され、「うちは予約なしでいつでもアンコウ鍋が出せるから、こんど食べに来てね~!」という大将のライトなノリに癒されます。その日はそんなにお腹が空いているわけでもなく、ふと目にとまった肉豆腐を頼み、これまた驚愕。
中型の土鍋にすき焼き風のダシ汁。そこに浮かんでいるのは、端正な形の揚げ出し豆腐。周囲にはくたくたのネギが浮かび、さらにはとろりとした半熟卵でとじられています。肉はどこぞ? と底を探ると、見るからに上質な牛肉がたっぷりと!
「肉豆腐」と聞いて、いきなりこんなメニューを想像できる人、います?
ね。「居酒屋の真髄は煮込み。肉豆腐なんて、しょせん肉と豆腐でしょ?」なんて思っていたそこのあなた。肉豆腐の幅広さにびっくりしたでしょう。その自由度はもしかすると、煮込み以上かもしれない。とはいえ、どっちのほうがすぐれていると主張したいわけでも、煮込み派対肉豆腐派でけんかをしたいわけでもありません。
普段はなんとな~く煮込みの陰に隠れている肉豆腐、たまには思い出して頼んでみると、意外な出会いがあるかもしれませんよ。
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