「疑い」が我々の商品だ――「地球温暖化懐疑論」に引き継がれる「たばこ戦略」
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前回のコラムでは、地球温暖化への懐疑論が根深い背景を知るために、保守系シンクタンクとして有名な「ハートランド研究所」(中西部イリノイ州シカゴ郊外)に取材で訪れた様子に触れ、ジョセフ・バスト所長の話などを紹介しました。今回のコラムでは、科学に疑問を差し挟む戦略を取る企業の例などを見ながら、引き続き、地球温暖化を疑う人たちの実態を見ていきましょう。

 

「疑い」を差し挟むのは、最も有効な手段

 

「まだ科学者の間で議論は続いている」という印象を与え、科学的な研究成果が突き付ける対策を先送りにする手法は、地球温暖化問題が初めてではありません。

 

ハーバード大学のナオミ・オレスケス教授が、米航空宇宙局(NASA)の科学技術史研究者エリック・コンウェイ氏と2010年に出版した『Merchants of DOUBT(邦題・世界を騙しつづける科学者たち)』は、産業界の代弁者となる科学者たちの実態を描いた作品です。

 

彼らは、たばこの健康被害や酸性雨、オゾン層の破壊、地球温暖化など様々な問題で、「合意ができていない」と異議を差し挟み、対策を遅らせてきました。たばこや地球温暖化など、テーマは変わっても、異議を唱える科学者の顔ぶれは同じでした。

 

同書をもとに、たばこ会社の戦略を見てみましょう。

 

1959年に「全米がん学会」が「喫煙は肺がんの主な要因である」と公式に認めるなど、1950年代後半から1960年代にかけて、たばこの発がん性が科学的に明確になりはじめました。

 

たばこ業界の内部文書を調べたカリフォルニア大学の研究者によると、たばこ会社内部の科学者も1960年代前半までに、喫煙が発がんにつながることや、ニコチンが中毒性を持つことを突き止めていました。米連邦政府の報告書でも喫煙と発がん性の関係が明らかにされるなか、たばこ業界が取った戦略は、そうした科学に疑問を差し挟むことでした。

 

1969年にたばこ会社の幹部が書いたとされるメモは、その戦略を象徴しています。

 

カリフォルニア大学のデータベースに残るメモは、次のように語ります。

 

疑いが我々の商品だ。なぜなら、一般市民の心にある「事実」に対抗するには、疑いを差し挟むのが最も有効な手段だからだ。それはまた、論議を引き起こす手段にもなる。(中略)ただ、疑いにも限界がある。残念ながら、私たちは「反たばこ」運動に明確に反対する立場を取ることはできない。たばこは健康にいいと言うことは出来ない。そのような主張を支える事実はないからだ。

 

「たばこ=害」を全面的に否定できないので、疑問を差し挟み、結論を先送りする戦略です。

 

「たばこ」を「地球温暖化」に書き換えてみるとどうでしょう。

 

これは、現代の温暖化懐疑論の戦略になるのではないでしょうか。

 

「地球温暖化はでっちあげ」と全面的に否定する人はいるものの、全面的な否定ではなく、「地球温暖化は認めるが、人為的かどうかはわからない」「温暖化がもたらす悪影響の程度はわかっていない」などと疑問を差し挟む人は多くいます。ハートランド研究所の主張もそうでした。そこには、かつての「たばこ戦略」が引き継がれているように私には思えました。

 

目障りな存在

 

疑いを差し挟む人たちにとって、疑うことをやめた人は目障りな存在となります。

 

保守系の政治資金団体が、地球温暖化に理解のある共和党議員の当選を阻む活動をしています。

 

共和党下院議員(南部サウスカロライナ州選出)だったボブ・イングリスさんは2010年の選挙の前に、地球温暖化を疑うことをやめました。そして、共和党の候補者を決める予備選挙で新人に敗れます。予備選で敗れれば共和党の候補として戦うことができず。議員への道は事実上、絶たれることになります。現職が予備戦選で敗れるのは異例でした。イングリスさんが地球温暖化対策に乗り出したことが落選の一因とされました。

 

もともとは地球温暖化を疑っていたイングリスさんでしたが、3つの段階を経て、地球温暖化は現実のことで、対策が必要だと考えるようになったのだといいます。

 

まずは第1ステップ。

 

2004年の選挙の前、投票できる年齢になった長男からこう言われたといいます。

 

「パパに投票するけど、環境に関してもっと良い行動をしてね。愛しているよ、もっと良くなれるよ」

 

イングリスさんは、「これが最初の一歩だった」と、私の電話インタビューで答えてくれました。つまり、まずは家族が背中を押したのです。「愛しているよ、もっと良くなれるよ(I love you and you can be better.)」という会話にアメリカの親子らしさがにじみ出ています。

 

第2のステップは、議員活動の一環で南極を視察した時の経験です。

 

南極の氷に残された過去の大気中の二酸化炭素濃度の記録を見て、長期間安定だった二酸化炭素濃度が産業革命後に急上昇していることをイングリスさんは知ります。「証拠は明確だった」とイングリスさんは当時を振り返って話しました。

 

そして、第3のステップ。

 

それは、再び議員活動での視察でした。オーストラリアのグレートバリアリーフを訪れた時、イングリスさんと信仰を共有するオーストラリアの気候科学者スコット・ヒーロンさんと出会いました。

 

一緒にシュノーケリングに出かけている間に、「スコットと信仰のことなどをたっぷり話した」とイングリスさんは言います。シュノーケリングでは白化したサンゴの無残な姿を実際に見て、その原因を教えられました。

 

「行動を起こす時だ」――。白いサンゴを目の当たりにして、イングリスさんの決意は固まったそうです。

 

サンゴの白化とは、サンゴに共生している褐虫藻という植物プランクトンがサンゴからいなくなってしまい、色が白くなることを指します。海水温が上がって褐虫藻にストレスがたまるのが原因とみられていて、地球温暖化がもたらす生態系の変化を象徴する現象とされます。

 

イングリスさんの地球温暖化を疑う思いを改めて考えてみると、まずは長男の言葉、次は現場で目にしたこと、最後に信仰を共有する研究者の解説によって覆されたことがわかります。

 

この時のことをイングリスさんは「イングリス2・0、新しい自分になった」と振り返ります。

 

「2・0」になったイングリスさんは2009年、化石燃料などに課税する炭素税を米下院で提案するなど、地球温暖化を防ぐための活動に本格的に乗り出しました。

 

しかし、前述したように、2010年の予備選で落選したのです。

 

(つづく)

 

※本稿は、三井誠『ルポ 人は科学が苦手』(光文社新書)の内容の一部を再編集したものです。

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