akane
2019/07/05
akane
2019/07/05
大切な何かを失ったあと、一般的に「立ち直る」ことがよしとされ、まわりの人も早く立ち直ってもらいたいと願う。
では、「立ち直る」とはいったい何を意味しているのであろうか。
『日本国語大辞典』第二版では、(1)倒れたり倒れそうになったりしているものが、もとどおりしっかりと立つ、(2)悪い状態になった物事が、もとのよい状態になる、等々と記されている。
たとえば失恋のショックから「立ち直る」といえば、失恋によって落ち込んだ状態から脱し、普段の精神状態に戻ることだと考えられる。
しかし実際には、時間が逆戻りし、大切な何かを失ったという出来事そのものをなかったことにして、喪失以前と同じ状態に戻るわけではない。
死別の場合、亡き人が生き返らない限り、死別以前とまったく同一の状態に戻ることはない。
遺族にとっては、いくら時が過ぎようとも、亡き人の面影や思い出がすべて消え去ることもない。
悲しみから離れられる時間は増えていくが、日常のなにげないきっかけで亡き人のことが思い出され、涙が思いがけずあふれてくることもある。
また、大切な人の死によって取り巻く状況は変わり、そして遺族自身も変化している。
失恋であれば、相手と復縁する可能性はあるが、復縁したとしても失恋したという事実が消えるわけではない。
私たちは重大な喪失によって何らかの影響を受けており、喪失前の自分とまったく同じ自分にはなりえない。
「立ち直る」ということは、あたかも風邪が治り、本来の健康状態を取り戻すかのような印象があるが、何事もなかったかのごとく喪失体験を消し去ることはできない。
私たちができるのは、喪失から回復し、以前の状態に戻ることではなく、大切な何かを失った状況のなかで生きることである。
すなわち、喪失から「立ち直る」、あるいは喪失からの「回復」ではなく、喪失への「適応」が求められる。
「適応」という考え方は本来、生物学の概念であり、生物が生活環境に応じて、生存に適するように形態や習性を変化させていく過程であるとされる。
心理学では、環境からの要請と個人の欲求がともに満たされ、環境と個人との間に調和した関係が保たれている状態を指し、学校への適応、職場への適応、海外生活への適応などとも表現される。
喪失への適応を旅にたとえるならば、目的地は喪失前と同じ場所ではない。
一人ひとりが異なる風景を見ながら、決して平坦ではない道のりにおいて、自分のペースで旅を続け、やがて以前とは違う新しい場所にたどり着くのである。
喪失に適応するためには、失った事実を受けとめ、自分の気持ちや直面している困難と折り合いをつけていくことが必要である。
拭いきれぬ思いをいかに消し去るのかが大事なのではなく、その思いを抱えつつも、自分なりにどのように生きるのかが重要である。
一方で、喪失への適応は、当事者本人の問題と矮小化されるべきではない。
当事者を取り巻く人々や環境によって、適応が促されることもあれば、阻害されることもある。
たとえば、中途障害者の場合には、利用しにくい設備や制度、慣習や偏見など思いもよらぬ社会的障壁によって、生きづらさを感じることがあるかもしれない。喪失とともに生きる人の困難を増幅させない社会の姿勢も問われている。
重大な喪失は、みずからの価値観や生き方を問い直す機会でもある。
たとえば、命に関わる病気や怪我を自身が経験したことで、今生きていることのありがたさにあらためて気づかされ、「一日一日を大切に生きたい」と強く思うようになったり、今まで以上に健康に気を遣うようになったりする人は多い。
人によっては、これまでの生活を振り返り、「家族との時間をもっと大事にしたい」「自分が本当にやりたいことを考えた」など、人生で何が重要なのかの優先順位を見なおすこともある。
私たちは喪失の体験を通して、生きるうえで大切なことを学び取ることができるのである。
また、喪失の経験をきっかけに、今までとは異なる関心が芽生えたり、初めての活動に取り組んだりなど、自分の人生に新たな道筋を見いだすこともある。
その経験がなければ、知らなかった事実や出会わなかった人たちもあるかもしれない。
重大な喪失はいい意味でも、悪い意味でも人生に大きな変化をもたらし、まさしく人生の岐路であるといえる。
新しい関心や活動は必ずしも望ましい方向に向かうとは限らないし、決して強要されるべきものではないが、喪失は新しい何かにチャレンジする動機を与えてくれる機会でもあると捉えることができる。
詩人で画家の星野富弘氏は、中学教師になってまもなく、不慮の事故で手足の自由を失い、9年間入院した。
入院中に筆を口にくわえて描き始めた詩画は、その後、多くの人に感動を与え、彼の故郷の群馬県には「富弘美術館」が開設されている。
星野氏は、退院して病院から故郷の家へ帰る道中での心境を、著書のなかで次のように述べている。
少年の日、山に向かって夢みたような華やかなものは、なに一つ持って帰ることはできないけれど……、でも、胸を張って帰ろう。
たしかに形のあるものはなにひとつ持っていない。けれども数多くの、目にみえるものを支えている目にみえないもっとも大切なものを、長い苦しみと絶望の果てから与えられ、それが心の中で息づいているような気がする。(中略)
故郷を出て故郷がみえ、失ってみてはじめてその価値に気づく。
苦しみによって苦しみから救われ、かなしみの穴をほじくっていたら喜びが出てきた。生きているっておもしろいと思う。いいなあ、と思う。
まだまだこれからだ。
両手を広げてまっているあの山のふところで、これから、私にしかできない文字をつづっていこう。
星野氏はその著書のあとがきで、「夜があるから朝がまぶしい」という言葉を綴っている。
失ったことで見えてきたもの、気づいたものが喪失後の生きる糧となり、新たな生き方につながるかもしれない。
人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。(中略)すなわちわれわれが人生の意味を問うのではなくて、われわれ自身が問われた者として体験されるのである。
この有名な言葉は、アウシュビッツ強制収容所でのみずからの過酷な体験をもとに著した『夜と霧』において、オーストリアの精神科医であるヴィクトール・E・フランクルが述べたものである。
失ったものの大きさを前に、「人生にもう何も期待できない」と絶望の淵に沈む人もいるだろうが、フランクルによると、あなたを必要とする何か、あなたを必要とする誰かがあなたを待っているという人生が提起する問いに、私たちは答えていかなければならないという。
喪失後の人生をどのように生きるのかについて、一つの用意された答えがあるわけではない。
どのような生き方をしていくのかが、私たち一人ひとりに問われているのである。
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