イスラムとの共存が多くの平和的文化遺産を創ってきた|宮田律『イスラムがヨーロッパ世界を創造した』
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ryomiyagi

2022/06/10

2001年9月11日(火)の朝、世界は一変した。アメリカ・NY上空に侵入した2機の旅客機はロウアー・マンハッタンのワールドトレードセンターへと向かい、それぞれノースタワーとサウスタワーへと突入した。直後に世界中に配信された映像は、まるでパニック映画のワンシーンのように衝撃的で、それがリアルな映像だとは容易に理解させないほどだった。
あの日から、世界はイスラム世界を敵と捉えた。そしてムスリムを、凶悪なテロリストとして警戒するようになった。しかし、果たしてそれは正しいのだろうか。果たしてイスラム社会は、またイスラム教を信奉するムスリムは、あの日思い知らしめたようなテロリストなのだろうか。どうもしっくり来ない。彼ら多くのムスリムは、決して他者を攻撃するような人たちではなく、どちらかといえば、他者の幸せを思い願う平和的な人たちのような気がする。

 

今からおよそ40年前、都内・某ホテルの客室階ロビーの一角で、床に敷いた敷物の上に膝まずき、あらぬ彼方に向けて何度も叩頭する外国人男性を見た。その時は、ただ不思議な光景でしかなかったあの男性が、中東あたりから来たイスラム教徒だったと知るには、それから何年かの時を必要とした。思い返してみれば、あれが、私が初めて目にしたムスリムだった。その後、都内の幾つかの場所に荘厳なモスクの存在も確認し、イスラム教とイスラム教徒の存在を確認するに至った。そして、コロナ騒動以前の東京には、ヒジャブで頭を覆ったマレーシア辺りの観光客をあちらこちらで目にするようになっていた。それにしても、あの少女たちは、故国と余りにも違う日本に対して、いったいどんな感想を持って帰ったのだろうか。また来てくれるのだろうか。私は、彼らムスリムに対して、珍しさ以上の何の偏見も持ってはいない。至極単純な、興味と好奇心しか抱いていない。そんなことを考えている時に、本書『イスラムがヨーロッパ世界を創造した』(光文社新書)を手に入れた。著者は、一般社団法人・現代イスラム研究センター理事長であり、イスラム地域の政治や国際的関係にまつわる著書を数多く出版している宮田律氏だ。私の興味に応えてくれるかもしれないと、さっそくページを繰ってみた。

 

今のヨーロッパの文化における基礎の一つは、イスラムの学術的成果や農業技術、工芸、食事文化などにルーツをもちます。ヨーロッパの中世から近代までの発展は、イスラム文明の文化・社会的影響や遺産抜きではあり得ませんでした。(中略)
本書でこれから明らかにしていきたいのは、ある歴史的な事実です。それは、中東とヨーロッパがいかに交わり、溶け合い、互いに寛容の心をもって共存を実現し、イスラム・ユダヤ・キリスト教が創った平和の文化遺産が多数存在するという歴史的事実です。

 

まずは、本書の袖書きにドキドキさせられた。中世ヨーロッパといえば、外には十字軍として幾度もイスラム世界を蹂躙し、内には悪名高い魔女狩り・異端裁判と、血塗れた暗黒の時代を髣髴とする。そんなヨーロッパ人にとって、異端・野蛮とした中近東・イスラム世界こそは、はるかに高い科学的知識と洗練された美意識を有する眩いばかりの文明社会だったに違いない。

 

今、欧米のキリスト教文化圏で「イスラム・ヘイト」が生じていますが、このヘイトはヨーロッパ側の「イスラム世界より優っている」という過剰な自意識から起きていることは紛れもないでしょう。(中略)
では、日本人はどうでしょうか。私から見ると、イスラムがもたらしたヨーロッパ文明への影響について知っている人はとても少ないように思えてなりません。

 

確かに、本書を開いた私の興味は、ただ道行く他人に対する程度の好奇心でしかなかった。本書が紐解く、イスラム世界が中世ヨーロッパにもたらしたとされる、学術的成果から食文化や芸術に至る多様な影響などは考えたこともなかった。
しかし、言われてみれば確かに、私たち日本人が日ごろから親しみ、かつ憧れるヨーロッパ文化の端々にイスラム文化の端緒を見出せる。
世の東西を問わず、今や多くの人が朝の日課とするモーニングコーヒーに始まり、星空に指を差した星座に至る天文学や壮麗な建築様式など、まるで西欧のキリスト世界がもたらしたように思っていた様々な文化にイスラム文明は圧倒的な影響を与えていた。

 

11世紀の末、西ヨーロッパにいる人々がキリスト教の聖地とされていたエルサレムをイスラム勢力から奪還しようとする動きが起こりました。(中略)
このローマ教皇の呼びかけに対して、西ヨーロッパでは諸侯から民衆までが団結。一大運動に発展し、やがて「十字軍」が結成されたのです。そして、キリスト教の聖地でもあるエルサレムの奪還をめぐる戦いが始まりました。約200年間、実施された遠征は7回になりました。(中略)
このときの影響は現代のヨーロッパにも残っています。2019年4月15日、フランス・パリのノートルダム大聖堂が焼失してしまいましたが、あのゴシック様式の建築物の起源は中東地域にあります。ノートルダム大聖堂を象徴するようなツインタワーや尖塔アーチ、バラ窓などの様式はまさに中東にあったものです。また、中世ヨーロッパではステンドグラスが盛んになったのですが、そのガラスの材料は中東から輸入されていました。

 

大挙して押し寄せ、力のままにイスラム社会を蹂躙しながら、中世ヨーロッパ人が、そんなイスラム教徒たちが築き上げた様々な文物の絢爛や高度な学術的見識に、どれほど驚いたことだろうか。なぜなら彼ら十字軍は、ある種の自然崇拝や民間医療を、魔術・異端として排斥する、極めて暴力的な世界から出てきた無知にも等しい田舎者だったからだ。
コーヒー・オリーブオイル・オレンジ栽培・香水・香料はもとより、天文学など様々な科学的な考察や豪華絢爛な建築様式など、その高い学識や美意識に圧倒されたに違いない。そんなイスラム社会を破壊することを旨とする十字軍の戦士たちが、いまだ未開に等しいヨーロッパ世界に文明をもたらすとは、なんとも皮肉なものである。

 

『イスラムがヨーロッパ世界を創造した』(光文社新書)は、未だに私たちの興味の根底に根差すイスラム・ヘイトの意識を、心地よく覆してくれる清く正しい一冊だった。
ローマやパリの美しさに心惹かれる多くの日本人に、是非読んで欲しい。

 

文/森健次

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