春画にまつわる素朴な疑問その1
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「春画」と言えば、着物を半分まといながらのアクロバティックなくんずほぐれつ、誇張された巨大な性器…といったものがまず思い浮かびます。春画に特有なこれらの描写、実はそれぞれに深い意味合いがあるのをご存じですか?
『[カラー版]春画四十八手』(知恵の森文庫)の著者で江戸文化にも詳しい車浮代さん(http://kurumaukiyo.com/)が、同書刊行を記念し、より深く鑑賞するために知っておきたい「春画にまつわる素朴な疑問」にお答えします。
奥深い春画の世界、“知ってから見る”とまた違う地平が広がります。

 

喜多川歌麿・勝川春潮『会本妃女始』

 

Q1.春画の起源は? いつ頃から描かれ始めたのですか?

 

春画を単にエロティックな絵ととらえるなら、奈良時代に描かれた落書きが建造物に残っております。それらが鑑賞用に描かれ始めたのは、平安時代初期のこと。

 

「偃息図」(えんそくず/おそくず)と呼ばれる房中術(性愛の手引書)を描いた手彩色のカラー画集が、医学書と一緒に、唐から京の朝廷に渡って参りました。ちなみに「偃息」=「二人が横になって休む」という意味で、性行為を指しております。

 

「偃息図」を見た貴族や僧侶たちは色めき立ち、普段は掛け軸や襖(ふすま)絵、屏風(びょうぶ)絵などを描かせていた日本の大和(やまと)絵師(本絵師/本画師とも)たちに、性をテーマにした、ストーリー性のある絵巻物を描かせ始めたのが、我が国における春画の始まりでございます。

 

室町時代に入りますと、庶民も春画を楽しむようになり、桃山時代には明から『春宮秘戯図』(しゅんぐうひぎず)が伝わって参りました。「春宮」は黄帝を指しておりますので、これらはズバリ、黄帝と十二人の寵姫たちの閨房を描いた図、ということになります。

 

「春宮秘戯図」は別名「春宮画」とも呼ばれ、これが「春画」の語源という説もございます。

 

国のトップの性生活を描くなど、今なら大変な騒ぎになりそうでございますが、日本では貴族や僧侶ばかりでなく、戦国武将たちも「春宮画」に興味津々。
公家御用達の土佐派や、武家御用達の狩野派……といった本絵師たちに春画の巻物を描かせ、それらの模写版が、何人もの絵師たちによって、描き継がれてゆきました。

 

やがて木版画の技術が発達するに伴い、江戸時代初期には、京都で初めて、木版摺による「春本」(しゅんぽん=官能小説)が刊行されました。五年後には江戸でも発売され、やがて小説に挿絵が入るようになり、春画も巻物だけではなく、木版画で摺られるようになったのでございます。

 

大量生産できるようになった春画は「笑い絵」、「ワ印」(笑い絵の隠語)、「枕絵」、「秘画」などと呼ばれ、中でも冊子状になった春画本は、「笑本」(えほん)「艶本」(えほん/えんぽん)、「枕草紙」「好色本」などと呼ばれるようになり、実は江戸時代にはまだ、「春画」や「春本」という言葉は使われておりませんでした。筆者が浮世絵に興味を持ち始めた昭和60年代でさえ、「春画」という言葉より、「枕絵」という言葉の方が流通していたように思います。

 

余談ではございますが、性器の露出や結合までいかない、微妙なラインの浮世絵(接吻していたり、女性の胸がはだけていたり、女性の股に手を入れていたりなど)は「春画」ではなく、「あぶな絵」と呼びます。

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