春画にまつわる素朴な疑問その2
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「春画」と言えば、着物を半分まといながらのアクロバティックなくんずほぐれつ、誇張された巨大な性器…といったものがまず思い浮かびます。春画に特有なこれらの描写、実はそれぞれに深い意味合いがあるのをご存じですか?
『[カラー版]春画四十八手』(知恵の森文庫)の著者で江戸文化にも詳しい車浮代さん(http://kurumaukiyo.com/)が、同書刊行を記念し、より深く鑑賞するために知っておきたい「春画にまつわる素朴な疑問」にお答えします。
奥深い春画の世界、“知ってから見る”とまた違う地平が広がります。

 

 

Q2. 春画の役割とは? 何のために描かれたのでしょうか?

 

明治時代にキリスト教の思想が入るまで、日本は性に対しておおらかな国でございました。聖母マリアの処女性を尊ぶ欧米に対し、伊耶那岐命(いざなぎのみこと)と伊耶那美命(いざなみのみこと)が交わることによって誕生したとされる我が国は、太古から「男女和合」を子孫繁栄につながる“目出度い”行為だと考えていたのでございます。

 

長野県の諏訪大社の御柱(おんばしら)祭は、巨大な御神木を男性のシンボルに見立てたもので、神奈川県の金山神社のかなまら祭りや、愛知県の田縣(たがた)神社の豊年祭は、巨大な男根そのものを神輿に担いで町を練り歩くというお祭りでございます。

 

また地方には夜這いの習慣があり、祭りの日のフリーセックスは当たり前でございました。

 

とある地方の有名な盆踊りは、遊女の胴抜きのような薄い絹の着物で、赤いしごきを腰に締めてゆらゆらと垂らし、長い編み笠で顔を隠して踊るさまは、幽玄かつ妖艶そのもの。昔はこの盆踊りが一晩中続き、近隣の村々から集まってきた男性は、器量や年齢ではなく、踊る腰つきを見て女性を選び、踊りの輪から連れ出して暗闇に消えて行ったのだそうでございます。

 

勇壮なお囃子に乗せる歌詞は、方言を読み解くととてもエロティック。年に一度の祭りの日に、村の中での血が濃くなりすぎないよう、よそ者の血を入れることが目的で、その時にできた子供は、神様からの授かりものとして、大切に育てられたとか。

 

江戸の町におきましても、壁一枚隔てただけの長屋で、お隣に筒抜けの環境で致しますし、浴槽が混浴になっている湯屋(銭湯)では、痴漢や逢い引きが横行し、湯屋でうっかりできた子供を「湯子(ゆご)」と呼ぶなど、珍しいことでもなかったようでございます。

 

女性に性欲があることも当然と考えられていたため、女性がむし返し(複数回の性交)を迫る……といった春画も多く残っており、性に対して、どちらかというと後ろめたさを持つ現代人の感覚で、江戸の性を推し量ることはできません。

 

そのような時代の春画の役割としましては、欲情を掻き立てるために見たり、相手に見せたりするのはもちろんのこと、性のハウツー本として、商家ばかりか大名までもが、娘の嫁入り道具に持たせておりました。

 

その一方で「笑い絵」などと呼ばれ、仲間内で見せ合って、笑い楽しむものでもありました。

 

さらに「勝ち絵」とも呼ばれ、戦の弾除(たまよ)けに甲冑に仕込むものであったり(この習慣は日露戦争の頃まで残っており、ヘルメット内側に、春画を折りたたんで入れたそうでございます)、長持ちに入れて虫除けにしたり、蔵に置いて火事避けにしたり……といった用途も担っておりました。

 

江戸中期に上方で火災が起こった時、ただ一つ燃え残った蔵の中から、月岡雪鼎(せってい)の春画が出て来たことから、たちまち雪鼎の春画の値段が十倍に跳ね上がった、という記述が残っております。

 

かように春画は、江戸の人々にとって目出度いものであったのでございます。

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