2019/07/08
るな 元書店員の書評ライター
『種まく人』亜紀書房
若松英輔/著
毎日のように色んな出来事が起こり、次から次へと押し寄せては流れていく。
責め立てたり、陥れたり、ねじ伏せたり排除したり嘘をついたり。
そういう大きくて騒がしいうねりの中で生きている。
ふと、今流れていったのはなんだったかなとその中に手を入れて掴んでみても、引き上げた両の手には何もない。聴こえるのはいつも大きな声だけで、小さな声は聞こえない。
聞こえていたがなり立てる大きな声もいつか騒音に変わり、やがてそれすら聞こえなくなっていく。
ひと昔前は確かに情報量の多さは強みだった。でも「#情報氾濫」時代となった今は多さと引き換えに質が落ち、もはや多さは何の力も持たず、寧ろ弱みになり得るかもしれなくなった。
求められるのは量ではなく質になり、溢れ返る情報の中からより正しさの割合が多いものを選ぶ力と、ないなら自分で探しにいく力が必要になった。
それは集めるだけでよかった時代より、はるかに人間力が試される時代。
公正さに拠った衡平な判断力で選り分ける目がなければならず、しかしそれを遂行するにはあまりに大きな声しか聞こえない。
新聞やテレビなどのメディアが大きな声ならば、書物は小さな声ばかりだと思っている。
主人公がポツリと呟いたひと言が、作家の心の中の聞こえない言葉が本の中にはあって、書店員はその小さな声と言葉にならない声を聴きながら働いている。
人気書店は人だらけで騒がしいけれど、やはり棚の前では騒ぎ立てる人は少なく、皆、本からの声を注意深く聴きながら自分の心と会話をしている。この静かで穏やかなやり取りのなされる場所はなくしてはいけない。
リアル書店の存在意義の「小さな声」はこんな理由だと思っている。
聴こえる人は、少なくなってしまったけれど。
本書は私の好きな若松氏のエッセイ。
彼の声も小さくて聞こえない声だけれど、確かに在って力強く、内側から立ち上る言葉だと思っているから好きなんです。
本書では、プラトンや河合隼雄などの叡智の言葉を導きの糸として、溢れ返る騒がしさ、過ぎ去るだけの日常に少しだけ立ち止まり、その向こう側へ想いを馳せさせてくれる。
穏やかに切実に綴られる若松氏の言葉が、紙にインクが滲むように染み渡ります。
言葉は種だ。
たくさんの話す言葉や書く言葉は、言葉を贈ることと同じだ。
受け取ってくれた言葉たちが万に一つ花を咲かせてくれたならと、そういうきっかけの1粒の種を蒔くような気持ちで今書いています。
人々は咲いた花に目を奪われるけれど、一番大切なのはもちろん種子なのだ。
自分の内から立ち上る言葉で作った種でないと花は決して咲いてはくれない。私の蒔いた種が、これを読んでくださる方に何かの花を咲かせることがあったら、たとえ毒花であってもありがたい事だと思っています。
そして、読書もまたその静かなやり取りで手に取った時に種をもらい、読みながら育てて花を咲かせるもの。細やかで、それでいて確かに力強い言葉の旅にこの本で出かけてみてください。
何気ない日も、心が求めていた言葉に出会えた瞬間、決して過ぎ去ることのない永遠の1日になる。
相変わらず若松英輔さんの本は超おすすめです。
『種まく人』亜紀書房
若松英輔/著