2020/05/18
馬場紀衣 文筆家・ライター
「アレ」とか「あそこ」とか、英語なら「プーキ」「プープ」「プーチ」と呼ぶそう。これほど多くの呼び名を持つ器官も珍しいけれど、どれもたったひとつの場所の呼称だ。それも、女性にとってもっとも大切な部分、すなわち「ヴァギナ」。
私たちは、一人一人、個別の肉体をもっているけれど、普段の生活で生身の血と脂肪と筋肉と骨の感触を思いだすことはあまりないかもしれない。グロテスクなまでに身体の深奥に潜んでいる器官ならなおさらだ。
「わたしは「ヴァギナ」と言う、この言葉を口にするようになってはじめて、自分がいかにばらばらで、心と体がどれほど離れてしまっていたか、はっきりと気づいたから」と語る著者がこの本を書いたのは、ある女友達との会話がきっかけだった。彼女が自分のヴァギナをまるで汚らわしいもののように語ることに驚いた著者は、女性たちにヴァギナについてインタビューすることを思い立つ。その数、なんと200人以上。
本書は、年齢や人種や職業もさまざまな女性たちへの問いかけとその答えで構成された一人芝居の戯曲で、卑猥さはまるでない。1996年にソーホーの劇場で作家自ら演じ、翌年にはオフ・ブロードウェイでオビー賞を受賞したこともあって、これまで世界30ヵ国以上で上演されてきた。
からだは、自分とこの世界をつなぐ接点だ。からだについて考えることは、自分を知ることでもある。からだに触れたり触れられたりすることは、愛するという単純な行為なはずなのに、それについて語るのには少し勇気がいる。しかも、その行為を可能にする部分について堂々と口にするのは簡単なことじゃない。
「ヴァギナ」というたった4文字が、持ち主である女性ばかりでなく、子供からお年寄りにまで不安や嫌悪、ときには軽蔑を引き起こすさまには驚くばかりだ。
だからまず、そっと口にしてみる。著者によれば、大勢の女性たちが口にすればするほど、禁句とされた言葉はやがて私たちの体の一部となり、心と結びつき、魂のエネルギーとなってゆく。
「わたしはこの言葉を言う、なぜなら口にされなければ目に見えず、認められることもなく、忘れ去られてしまうから。口にされないものは秘密になり、秘密は恥と恐れと迷信を生む。わたしはこの言葉を言う、わたし自身がいつの日か、恥ずかしさも疚しさも感じることなく、平気でこの言葉を口にできるようになりたいから。」
ずっと処女を通してきた老婆。ボスニアの難民女性。6歳の女の子など、登場人物は実に多彩だ。彼女たちは時に詩人のようにヴァギナを愛で、性的な苦悩に涙を流し、秘めたるエピソードを赤裸々に語り、笑いあう。読者はページをめくるごとに彼女たちの愛や幸せに巻き込まれ、自分を大切にするプロセスを一つひとつ見つけることになるだろう。
『ヴァギナ・モノローグ』白水社
イヴ・エンスラー(訳)岸本佐知子