2020/08/31
吉村博光 HONZレビュアー
『ザ・ロイヤルファミリー』新潮社
早見一真/著
新しい生活様式ということがいわれている。歴史的にみても、戦争や宗教、感染症などで人々の生活様式が変わるのはよくあることのようだ。従来の楽しみを手放すことは辛いけれど、私たちは前を向いて新しい楽しみをみつけていくに違いない。
運が良いことに、私は父親から多くの楽しみを教えてもらった。私は3月に仕事を辞めたので、いまは浅く広くだったその「楽しみ」を深堀する作業をしている。外に出ることもままならない寂しい時期だが、立ち止まって眺めるには最適な時だ。
読書や映画、音楽、野球観戦は、多くの人が知っている楽しみだろう。ストーリーを追う楽しみや、音楽の興奮もわかる。スポーツだって、勝った負けたを見るだけでも十分面白い。でも、スルメを食べるみたいに、もっと味わい尽くせるようになりたいと思っている。
父に教えてもらった「楽しみ」の第一は何といっても競馬である。観るだけでなく、ベットして自ら競技に参加する素晴らしさがある。そのうえ私は、共同馬主として毎年3~4頭の馬を買うことで、「馬主」としての醍醐味も味わわせてもらっている。
前置きが長くなったが、本書『ザ・ロイヤルファミリー』は多数の馬を所有する「馬主」を中心に、人馬それぞれの「継承」をテーマにした物語である。2019年度のJRA馬事文化賞受賞作だ。著者は、デビュー以来父子の物語を多数書いている早見和真氏である。
馬をとりまくロマンあふれる小説というだけで、食指が動く人もいるだろう。さらに、本書には膨大な取材によって支えられた迫真性がある。馬産地の状況がリアルに伝わってくるのだ。私のように「楽しみ」を深堀したい方にはぴったりの本だ。
正直いって、一気に読んでしまうほど面白かった。書くことは楽しいだけの作業ではないが、きっと著者は夢中になって楽しみながら書いたのではなかろうか。文章にはそんな勢いが感じられた。登場する馬たちの勝負も、決して安っぽくなく現実味を帯びている。
本書を読む特典として、馬主であるワンマン社長のマネージャー目線で、競馬場の馬主席に入ることができる。ダービーや有馬記念に出走する愛馬を目の前で応援することができるのだ。生産者でも馬主でもなく一般人の目線であるため、とても物語に入りやすい。
どこにでもいる一般人。彼がワンマン社長に振り回されながらも、裏切ることなく忠誠を果たしていく内面も面白い。彼には、亡くなった父への果たされなかった約束があったのだ。その父の面影をワンマン社長に重ねている。私にはその心情がよく理解できる。
私の父は、私にもっと腕白であって欲しかったんだと思う。でも、厳しい父に反抗することは許されなかった。アンビバレントな思いを抱えたまま、私は読書好きでインドアな大人になってしまった。父を亡くした今でも、私には父の期待に応えたい気持ちがある。
イベント自粛が続く中、中央競馬が続いていることを不思議に感じている方も多いだろう。しかしこの本を読めば、政府の財源確保だけが開催継続の目的ではないのがわかるだろう。途切れさせたら、終わってしまうのだ。
競馬は血の歴史である。馬は人よりも約4倍速く年を取る生き物だ。競走馬としての旬は短く、私が生きている間にも何世代もの血が交配されてきた。学生の頃に活躍していた馬の血は、現役馬の血統表の何世代も前に組み込まれている。
地球目線でみると、今は人類の天下だが、以前は恐竜が支配していた。人間目線で見ると、今はディープインパクトの天下だが、以前はノーザンテーストが支配していた。人生が競馬の比喩であるという言葉も、私には説得力がある由縁だ。
馬主や競馬ファンから大金が流入し、それによってこのロマンは支えられている。ほとんどの人が損をしているにも関わらず、なぜ続けるのか。そもそも、なぜ始めたのか。本書を読むと、その微妙な勘所にも目を向けることができる。あぁ、なんて素敵な本なのだ。
この小説の舞台のひとつである北海道のノザキファームは、日高地方にある零細牧場だ。私は日高地方の牧場が集まった共同馬主クラブに入っている。もう15年にもなる。牧場にも何度か足を運んだ。どれだけの時間とお金を費やしてきたのだろう。
一方、馬産地では別の地域にある大きな生産牧場グループの天下が続いている。巨人も北の湖も嫌いだった私は、競馬沼に入って以来、小さな生産牧場を応援するようになった。本書に日高地方に寄り添う気持ちを見出して、非常に強い共感を覚えた。明けない夜はないと信じたい。
そんな私が50歳を機に会社を辞め「新しい生き方」を始めた。つまり今、「新しい生き方」×「新しい生活様式」の暗中模索状態なのだ。手探りではあるが、そこに一筋の光を見出すことができるとしたら、それは私を虜にしてきた数多の「楽しみ」しかないと思う。
もしかしたら、今目の前に父の面影を宿したワンマン社長が現れたら、忠誠を尽くしてしまうのかもしれない。これだと思った人を、裏切らない自信が私にはある。金にも左右されず、地位にも名誉にも女にも、絶対に左右されることはない。
翻って、新しい時代に若者は何を目指すのだろう。まさか今更「良い大学、良い会社」でもないだろう。私は50歳になって懸命に前を見据えている。「楽しみ」を深堀した先に見えてくるはずの手綱を、しっかり捕まえて生きていきたい。
『ザ・ロイヤルファミリー』新潮社
早見一真/著