2020/12/03
坂上友紀 本は人生のおやつです!! 店主
『民俗学の旅』講談社
宮本常一/著
「本になってくれて、本当にありがとう!」と思わずお礼を言いたくなるような書物に出会えることがあります。「地球四周分を歩いた」なる民俗学者の宮本常一さんは、学者というよりも農民(や庶民)と同じ目線でもって日本各地を旅し、その土地土地の文化や風習を記録して今に伝えてくれたひと。そんな常一さんが七十歳を超え、来しかた行く末について書かれた自伝『民俗学の旅』は、読むだに人生に幅や深みを与えてくれます。「こういう物の見かたがある」ということを知っているだけでも、人生が切実なものになっていくような気がするのです。
物事に直面したとき、自分のなかにある視点や姿勢で、結果の受け止めかたと、そのあとの行動が変わります。原因があり、生まれた結果をどう捉えればより良いのかと考えた際、「できれば、このように」と強く望みたくなる性質を、彼は持っているのではないかと思うのです。
そう感じる理由として、「なんだかすごく信頼できる!」と言い切りたくなるような「物の見かた」や「人との接しかた」があり、その糸口が『民俗学の旅』を紐解いていけば、明らかになっていきます。一体どうすれば、常一さんのようになれるのか。そのことは、第三章「父」における父から子への「十の教え」に端的に著されています。以下、抜粋。
(1) 汽車へ乗ったら窓から外をよく見よ、田や畑に何が植えられているか、育ちがよいかわるいか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か藁葺きか、そういうこともよく見ることだ。……(中略)……そういうことでその土地が富んでいるか貧しいか、よく働くところかそうでないところかよくわかる。
(2) 村でも町でも新しくたずねていったところはかならず高いところへ上がってみよ、そして方向を知り、目立つものを見よ。……(中略)……高いところでよく見ておいたら道にまようようなことはほとんどない。
(10) 人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分の選んだ道をしっかり歩いていくことだ。
……ふ、深いーっ! この「十の教え」が、深すぎるーっ!!
私はこの本を読むまで、たとえば自分が汽車(ではなく電車だけれど)に乗った際、通過していく町々の景色を窓越しに見ても、(1)で言われているように色んな側面から背景までをも含めて物事を見るなんてことはなかったです。でも、そういう風に「意識すること」で初めて気づいた大切なことの多さに愕然としましたし、(2)で言われていることは、額面通りの意味だけではなく、これぞ真理!とでも言いたくなるようなものではないでしょうか。そして最後の(10)に関しては、なにをかいわんや……! こういう考えかたを十代で父から教えられていた少年が、長じてのちに思慮深い大人にならない訳がない。
彼のすごいところは、「日本各地を隈なく歩いたこと」ではなく、隈なく歩いた先で「(いかに偏屈なご老人たちからも)生きた話を採集できたこと」にあります。上っ面だけでは聞くことができない話は、本来ならその村の人々しか聞けなかったような出来事です。きっと皆初めて会ったのに胸襟を開いて、つい話し込んでしまうようなお人柄だったのだろうなぁと、代表作と言われる『忘れられた日本人』などを読んでいても、その端々から推察できます。
そして、『民俗学の旅』においては、常一さんのような人になれる理由とはこういうことかと腑に落ちる記述が随所にあるのです。生まれ育った「島」(注:山口県の周防大島)の成り立ちに始まり、「家」の歴史、祖父・祖母のこと、父・母のこと。「瀬戸内海の島の、こういう歴史を持って続いてきた家の、おじいさんやおばあさん、そして、お父さんやお母さんに育てられた人ならば、間違いない!」と「自分の話」をしてくれなくとも、その人となりが十分わかりもするのですが、実際に彼が経験した島での幼少期のことから大阪に出てきてのちの青年期の話。そして民俗学との出会いや、生涯の師ともなる渋沢敬三との出会いを経ての第二次世界大戦勃発。戦中、戦後……を読み進めれば、常一さんの歩んできた道のりとは、民俗学者になるためのというよりも、人としてより良く生きるための知恵で満ち満ちているように感じられます。
もちろん、彼の考え方の根本にはやはり「父の教え」があると思うのですが、その素晴らしい教えを含めたたくさんの経験を惜しげもなく伝えてくださっていることに、心から敬意と感謝を伝えたくなるのでありました☆
『民俗学の旅』講談社
宮本常一/著