2021/02/09
坂上友紀 本は人生のおやつです!! 店主
『アランの戦争』 国書刊行会
エマニュエル・ギベール/著 野田謙介/翻訳
『アランの戦争』は、フランス人の漫画家・エマニュエル・ギベールによるB・D(「バンド・デシネ」の略。フランス語で「漫画」の意)です。フランス在住のアメリカ人、アラン・イングラム・コープに、彼が若かりし頃に従軍した第二次世界大戦とその後の人生について聞いた話に基づき描かれました。ちなみに二人が初めて出会った時、ギベールは30歳でアランは69歳で、以降アランが亡くなるまでの約5年のあいだ、何度も話を聞き、それを漫画にしています。
「書物」にするにあたり(日本版も含め)、使用する紙やインクなどはすべて、「記憶に似るように」すみずみまで気が配られています。その絵のタッチを言葉で説明するなら、一色刷りの木版画のように輪郭のみで描かれている感じで、ただ、例えば棟方志功のように力強い線ではなく、もっと柔らかな線で、個人的な感想を言えば、少し高野文子さんを連想させるような……? 違っていたらすみません! 色味は、最後の数ページを除けば、全体としてはグラデーションのついたモノクロ(セピア色っぽい)です。
「記憶」というパーソナルなものを表すがゆえ
「あらかじめ断っておくが、これは歴史家の書いた本ではない。資料はほとんど参考にしなかった。アランが語ってくれたときに思い浮かんだ最初のイメージを大切にした。その光景こそ、私に物語りたいという欲求を与えたものだった」
とまえがきでギベールが書く通り、少なくとも私が歴史の授業で習った「第二次世界大戦」よりも、「アランが語る戦争」からは、もっと自由な明るさを感じました。
所属する部隊や場所が変わるたび、行く先々で友達もできればスポーツもし、あまつさえ恋までしているアランです(訓練はアメリカで受け、従軍先はパリを皮切りにヨーロッパ各地)! ちなみに、二十歳の誕生日を戦地で迎えるという青春真っ盛りなお年頃ではあったのですが、敗戦国(日本)と戦勝国(アメリカ)との違いや国民性もあるかもですが、第三者(私)が教科書から想像した戦争と、当事者(アラン)のそれとの間で、こんなに大きな違いがあるなんてーっ! また
「君が私の物語を好むのは、私がただ本当のことを、それも理解する必要もない瞬間を、そのままに選びとってるからなんだ。それに、これは君が描くクロッキーにもそのまま当てはまるはずだよ」
と記されてもいるのですが、聞き書きにおいて最も重要な「聞き手と語り手との相性」、今回で言うなら、アラン側の何を伝えるかの取捨選択と、ギベール側のそれを伝えるために生み出した雰囲気(手法)は、実に絶妙です! 結果として読者である私が受け取った印象は、「戦争」というよりもむしろ、アランの「青春」の話であるかのようでした。
終わり近くにこんな言葉があります。
「私の戦争の話は、なんと呼べば良いのだろう。
ピグミー族の風習で好きなものがひとつある。
彼らは語り部のまわりに集まり、お題を投げかけるという。
たとえば、だれかが“愛!”と叫ぶと、語り部は話しはじめる。“愛? それはこういうものだ…”
“憎しみ!”とだれかが叫ぶと、“憎しみ? それはこういうものだ…”
そして語り部は物語をつむぎはじめる。
私の話もそれに似ている。
“戦争? それはこういうものだ…”ってね。
もちろん、君の好きなように
呼んでもらってかまわないよ」
……まさにその「なんて呼んでもらっても構わないけれど、語り部であるところのアランにとっての戦争」という感じ。そして
「戦争がこういうものだとは想像もしていなかった。外国を訪れるために高い金を払う人々がいる。ところが僕は戦車の上から、たとえそれが戦争だとしても毎日旅行をたのしんでいたようなものだ」
と、時に驚きのマイペースぶりを発揮するアランは、特別な感性と運の良さとで当時を生きたのかもしれませんが、彼をさておいたところで、戦争の始まりから終わりまで1分1秒たりとも楽しい時間なんて過ごさなかった!という人もいないのかもしれません。100%の悪や正義というものが有り難いように、戦争という不自由さの中でも、自由や輝く瞬間は誰もにあったのだと思いたい。
教科書に書かれたことともまた異なる戦争の姿のひとつが語られていくのですが、それは良いとか悪いで判断するものでもなく、ただそういう事実も存在したことを伝えています。
ところで、アランが体験した戦争について語られることの中で最も印象に残ったのは、「わからない」という言葉。「どこに向かっていくのかはあいかわらず」わからなかったり、自分たちの装備が「どこにあるのか」もわからない。今いる場所も次やるべきことも、あるいはこの命令が正しいのかどうかすら、一兵卒であるアランには、基本的にはわからない。
そんなわからないことだらけだった戦争も終わり、それからは自分で選んだ人生を何十年も歩んだはずだと思っていたある日、
「(略)私は私の人生を生きていなかったという結論にいたった。
私が生きていたのは私自身の人生ではなく、他人がのぞむ私の人生だった。
それはちがうものだ。
そんな人はどこにもいなかったのに」
という衝撃的な感情がやってきます。でも、そう意識してからはすぐさま行動に移し、「自分がのぞむ人生」を生きるべく、昔の友人たちと連絡を取り合います。結果として晩年に自らの人生を語りたい相手(ギベール)にまで出会えていることのすごさです!
「去年のことだったか、アランは私にこう言った。『いいかい、私は君に興味がある。それが大切なんだよ』。たしかに。それが、私たちにとって、大切だった。彼は語り、私は聞いた」
ギベールの絵で物語られるアランの「記憶」、ぜひとも「書物」でお読みいただければ幸いです☆
『アランの戦争』 国書刊行会
エマニュエル・ギベール/著 野田謙介/翻訳