まるでババロアをひとくち口に入れたときのような、自然とたまらない笑みがこぼれる物語

竹内敦 さわや書店フェザン店 店長

『コロナと潜水服』光文社
奥田英朗/著

 

五十を過ぎたおっさんがババロアなんて言うのは気持ち悪いだろう。そこはご容赦願いたい。ババロアが好きなんです。似たようなものに牛乳のプリンや杏仁豆腐なんてのもあるけれど、違うんです。やっぱりババロア最高。この作品は五編の短編集で全編がちょっと不思議なお話。幽霊とか超能力って言ってしまうと風情が無くなるけれど、まあ、そういうものが出てくるファンタジーな現代劇。そういうファンタジーでちょっといい話なんてものはたくさんあるけれど、「コロナと潜水服」はモノが違う逸品だった、ということ。牛乳のプリンじゃなくババロアだった。もう最高なんです。

 

表題作の短編「コロナと潜水服」はコロナ禍で在宅勤務になり五歳の息子と過ごすパパのお話。どうやら息子にはコロナを察知する能力があると気付く。そしてついに自分が息子に指摘されて…。パパはいたって真面目なのに滑稽にも見えるユーモラスな展開が微笑ましい。ラストも素敵。一番気に入った「ファイトクラブ」は大企業の業績が下がり早期退職の勧告をされるが従わなかったためにやりがいのない無意味な部署に左遷された男たちのお話。なりゆきでボクシングをすることになり、ボクシングを通して人間本来の闘う本能や腹を据える勇気を取り戻していく。うまく表現できないけれど、出てくる幽霊とか不思議な現象は故人や自分の「思い」で、その「思い」に接しながら交流していくうちに、困った状況にある人が何かを得ていく。凝り固まった「常識」を捨て、何かを取り戻していく。あくまでも脇役。その佇まいがまたいい。

 

設定なんて単語は興ざめだけど、まず主人公の設定がいい。主人公の性格というのかな、非常に共感できて感情移入しやすい。奥さんのほうが強くても卑屈になるほどでもなくそのポジションに甘んじつつわかりやすい単細胞で少年のような行動もあり自分の子どもには弱く自覚はないが複雑なようで扱いやすいやっぱり単細胞、みたいな。もちろん全編それぞれなんだけれど、なぜか違和感が無い。無いことがあたりまえだと無いことの凄さに気づかない。わたしはけっこう意識している。というのも、米作りがテーマのとてもいい小説が主人公が元肉体派ヤンキーという設定でそこだけ強烈に感情移入できなかった、という経験から、主人公の設定って大事だよなあと思うようになったわけです。肉体派ヤンキーが読めば共感できるのかも知れないけれども。テレビやマンガならありだろうけれども。ドラえもんならやっぱりのび太なんだよな。本を読む人がお客さんだからなあとか考えたりしたわけです。個人の好みの話です。
奥田英朗の「家日和」が好きならこの小説も好きになると思う。そっちの方の奥田さんだから。

 

『コロナと潜水服』光文社
奥田英朗/著

この記事を書いた人

竹内敦

-takeuchi-atsushi-

さわや書店フェザン店 店長

声に出して読んだら恥ずかしい日本語のひとつである「珍宝島事件」という世界史的出来事のあった日、1969年3月2日盛岡に生まれる。地元の国立大学文学部に入学し、新入生代表のあいさつを述べるも中退、後に理転し某国立大学医学部に入学するもまたもや中退、という華麗なるろくでもない経歴をもって1998年颯爽とさわや書店に入社。2016年、文庫のタイトルを組み合わせて五七五を作って遊んでいたら誰かが「文庫川柳」と名付けSNSで一瞬バズる。本を出すほどの社内のカリスマたちを横目で見ながら様々な支店を歴任し現在フェザン店店長。プロ野球チームでエース3人抜けて大丈夫か?って思ってたら4番手が大黒柱になるみたいな現象を励みにしている。

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