海外放浪、路上生活、スモールハウスを経てたどり着いた、現代の「森の生活」

三砂慶明 「読書室」主宰

『僕はなぜ小屋で暮らすようになったか 生と死と哲学を巡って』同文舘出版
高村友也/著

 

知らない街にいくと、いつも駅前にある地図をみて、本屋をさがします。
私は基本的にはあまり家の外にでないので、旅行することはほとんどないのですが、行くときはほとんどワンパターンです。本屋にいって気になる本を買って、名物を食べて帰る。だから、はじめて鳥取に行ったときは、「タルマーリー」でパンとコーヒーをいただき、名高い「定有堂書店」に深呼吸をしに行きました。

 

駅をおりて、商店街のアーケードを歩き、川をこえてから、街角にたたずむ扉を押すと、雑誌、文庫、新書の新刊が出迎えてくれます。壁面の棚板にはりめぐらされたメッセージを読みながら、独自に編集された本棚から本を選ぶのは至福の時間。お会計のとき、失礼を承知で、棚をみていて気になったことを、店主の奈良さんにたずねてみました。
「西村佳哲さんの『自分の仕事をつくる』のとなりに、高村友也さんの『スモールハウス』があるのはなぜですか?」
奈良さんの答えは明解でした。この本がコロナ後の生き方を照らす本だから、です。
定有堂書店で一番売れている本だとも教えていただきました。

 

私にとって『スモールハウス』は、『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』(佐々木典士著)などのミニマリストの本に注目が集まっていたときに、書店の店頭でよくみかけた本でした。文庫『スモールハウス』の解説も、佐々木典士だし、その文脈の本かと考えていたら、奈良さんの言葉で蒙がひらけました。
帰宅してから、実際に高村友也の本を読みはじめると、奈良さんのおっしゃったとおりでした。

 

高村友也の著作は3冊で、デビュー作が、小屋ブームをつくった『Bライフー10万円で家を建てて生活する』(2011年秀和システム刊。現在は『自作の小屋で暮らそう』ちくま文庫に改題)。「テントだろうが何だろうが、そこに10年でも100年でも寝転がっていられると思うと嬉しかった」という著者のみずみずしい実感が率直に綴られていてひきこまれました。

 

続く『スモールハウス』(2012年同文舘出版刊。現在は『スモールハウス』ちくま文庫)は、「大きすぎる家屋は、家というよりは、債務者の監獄だよ」というアメリカでスモールハウスムーブメントを起こしたシェファーのつぶやきが印象的で、この二つの本に共通しているのは、「マイホーム」って高すぎませんか? という著者の資本主義に対する痛烈なカウンターです。
実際、日本の家(新築一戸建て)の平均価格は土地とあわせて4000万円で、それにローンの利子や手数料、税金にメンテナンス費用をあわせると6000万円以上かかります。とても高いし、どう逆立ちしても私には払えません。著者がすごいのは、これを仮に100万円にできたら世界がどう見えるのかを、山梨の山林の奥地に実際に土地を買い、実践したことです。『Bライフ』、『スモールハウス』と読み継いできて、感動が高まり、爆発したのは2020年11月17日に復刊された『僕はなぜ小屋で暮らすようになったか』(2015年同文舘出版刊)を読んでです。

 

まとめて読んだので、うかつにも途中まで気づかなかったのですが、高村友也は哲学者でした。略歴にもしっかり、東京大学哲学科を卒業し慶應義塾大学大学院哲学科博士課程単位取得退学と書いてありましたが、見落としていました。研究者が、大学に背をむけ、ホームセンターで工具を買い、釘と金槌を使って、たった一人で小屋をつくる。その理由はなぜなのか? 『僕はなぜ小屋で暮らすようになったか』には、こう綴られています。

 

「無限の自由が欲しい。全体性を持った孤独が欲しい。そのためには、自分の生活の全体を投じるしかない。生活そのものが放浪でなければならない。」

 

著者の独白は、哲学者の宣言ではなく、本物の実践です。
はじめは、ドヤ街のドミトリーに。
ついで安宿やユースホテルに場をうつして、海外にも足をのばしはじめます。
放浪を繰り返しているうちに宿すらも煩わしくなり、寝袋をかついで公園で野宿をするようになります。日本に戻ってからは、アパートを解約し、路上に総工費100円で施行したダンボールハウスから大学院に通いはじめます。
ただし、路上生活をつづけていると、想定していなかった妨害にあいます。ダンボールハウスにカッターナイフで無数の穴をあけられる悪戯をされたり、役所の人に「撤去通告」の貼り紙をはられたり。過度な脱所有や脱社会生活は、必ずしも自由に至る道ではないと気づくと、やはり「マイホーム」が必要であることを実感し、山林を買い、セルフビルドで小屋を建築しはじめるのです。

 

目の前にある当たり前を疑い、疑うだけでなく、行動によって仮説を検証し、実践してみて結果どうだったかを思索する。圧倒的な自由と孤独の不自由。この軌跡は、まさしく現代のソローです。これから先、どうやって生きていけばいいか。正解はありませんが、この本を読んで目の前が明るくなりました。

 

『僕はなぜ小屋で暮らすようになったか 生と死と哲学を巡って』同文舘出版
高村友也/著

この記事を書いた人

三砂慶明

-misago-yoshiaki-

「読書室」主宰

「読書室」主宰 1982年、兵庫県生まれ。大学卒業後、工作社などを経て、カルチュア・コンビニエンス・クラブ入社。梅田 蔦屋書店の立ち上げから参加。著書に『千年の読書──人生を変える本との出会い』(誠文堂新光社)、編著書に『本屋という仕事』(世界思想社)がある。写真:濱崎崇

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