いつの間にかの緊急事態。それでも続く毎日を隅田川のほとりで綴った作家の記録

金杉由美 図書室司書

『東京ディストピア日記』河出書房新社
桜庭一樹/著

 

 

緊急事態宣言下で昨年の緊急事態宣言下に書かれた日記を読む。
こんな悪夢のようなことが実際に起きるなんて、一年前は考えていなかった。
いや、もしかして?という不安はあったけれど、まさかね?程度のものだった。
夏になったらインフルエンザと同じで収まるなんて言われていたんだもの。
人生何が起きるかわからない。

 

これは隅田川近くで暮らす著者の、2020年1月26日から2021年1月9日までの「日常生活」の記録。
いきつけの喫茶店、近所のホテルのラウンジ、いつもの散歩道。
毎日の風景が少しずつ確実に変わっていって、気がついてみれば、街は、国は、世界は、緊急事態。
ドラッグストアの店頭からマスクが消え、オリンピックが延長になり、カフェの席はアクリル板で仕切られ、スカイツリーが赤くなる。
大きな声で話す人を見ると「怖い」と感じるようになり、街中ではちょっとしたことでキレる人が増え、著名人の死が毎週のように報じられる。
人間も世界も様々な意味で分断され、そのスッパリと分けられたどちらの側に自分はいるのか…と著者は自問する。街は、精神的にはざわついているのに物理的には静まり返っていて、ひとつひとつの出来事が実際以上に心に大きく響く。刺さる。

 

この日記で描かれている日々は私たちも過ごしてきた日々。
ほんの数か月前、間違いなく現在と地続きの話なのに、なにやら不穏な異世界ファンタジーを読んでいるような現実離れした気分になった。まさしく今まだここにある危機!だけど、まるでどこか他人事のような。
あー、んー、そうそう、そう言えばそんなこともあったよねえ。
あー、んー、アベノマスクね、あったあった。
いろんなことがありすぎて時間が猛スピードで流れて行った。
この非現実感は、逃避というものなのだろうか。
目が覚めたら全てが夢で、オリンピックは盛況のままに幕を閉じ、インバウンドも順調で、
あの人もこの人も元気に生きていればいいのに。
2020年はコロナの思い出だけで塗りつぶされ、そして2021年もすでに半分塗りつぶされている。
振り返ってみると、世界の底に呆然と立ち尽くして周囲がものすごい勢いでぐるぐる回っているのをなすすべもなく見上げていた自分が思い出される。そして今もその底に突っ立ったままなのを感じる。
仕方がないけどやりきれない。やりきれないけど仕方ない。

 

2021年1月20日に記されたエピローグ。
「歴史の渦中にいるいまのわたしたちには、まだ何もわからない」
日記はエピローグで締めくくられるけれど、ディストピアはまだまだ続く。
ひょっとしたら世界は終わってしまうかもしれないけれど、それでもとりあえず明日は来るし花は今年も咲く。
「そう、こうやって、いさましく歩くのだ」

 

こちらもおすすめ。

『火の鳥 大地篇』(上)(下)朝日新聞出版
桜庭一樹/著

 

火の鳥のもつ力で何度も時を巻き戻して自分の望みのままの世界を創ろうとする人間たちの物語。手塚治虫の構想していた「大地篇」の桜庭一樹的小説化作品。
作者はこのパラレルワールドを舞台にした物語を執筆しながらディストピアでの日々を送っていたんだなあと思うと感慨深い。どの時点でやり直せば緊急事態は防げたのだろうか。

 

『東京ディストピア日記』河出書房新社
桜庭一樹/著

この記事を書いた人

金杉由美

-kanasugi-yumi-

図書室司書

都内の私立高校図書室で司書として勤務中。 図書室で購入した本のPOPを書いていたら、先生に「売れている本屋さんみたいですね!」と言われたけど、前職は売れない本屋の文芸書担当だったことは秘密。 本屋を辞めたら新刊なんか読まないで持ってる本だけ読み返して老後を過ごそう、と思っていたのに、気がついたらまた新刊を読むのに追われている。

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