akane
2018/10/25
akane
2018/10/25
市川 椰月さんのどこが具体的にすごいかっていうのを、ここからはダラダラと言っていきます。
――付せんの量がすごいですよ、これは。後で画像をのっけましょう。
市川 ディテールがいちいち素晴らしい。ポエティーなんですよ。
幻冬舎さんから出ている『その青の、その先の、』の冒頭で、全く本編に関係のない久保田くんという人が、教室から景色を見ているんですね。彼は眼鏡をかけているんですけど、『眼鏡のレンズについた脂汚れが虹色に見える』っていうくだりがあって。僕はこれで、この作品にやられちゃって。高校生で脂汚れって忌み嫌うものなんですよ。
椰月さん そうですね。
市川 すっごい気にするじゃないですか。例えば「自分のニオイって大丈夫かな……?」とか「足臭くないかな」とか。
――なんとかペーパーとかスプレーとか。ものすごく気にする年頃ですよね。
市川 そう。で、当然、眼鏡についた脂汚れっていうのは絶対に負の要素。だけれど、実はそれって、大人になって振り返ってみたら虹色に映って見える。
椰月さん その通りです。
市川 これが何気なく書かれているというのが、ものすごく豪奢(ごうしゃ)な小説だなと。
椰月さん ありがとうございます。すごい何気なく書きました。
――今市川さんが言っているところまでは特に考えずに、さらさらと書かれている?
椰月さん そうですね。意味付けしてくださるのは読者の方だと思っているので。自分はそこまで、その時に考えてはいないですね。
――他にも例えばどういった描写がありますか?
市川 大好きなくだりで、KADOKAWAから出ている『明日の食卓』で加奈っていう女性がいます。シングルマザーですよね?
椰月さん はい。
市川 家庭が大変で、子供が2人いて夕飯を作るんですけど。
椰月さん 子供は1人ですね。
市川 あ、ごめんなさい。で、オムライスと味噌汁を(作る)。『加奈はオムライスと味噌汁を手早く作り台所のテーブルに並べた』というくだりがあって。
椰月さん 弟が遊びに来た時ですね。
市川 これ、オムライスと味噌汁というチョイスが大好きで。なんて言うんだろう、例えば作品の中で(出てくる)メニューを見て登場人物の生活水準がわかる、というのはあると思うんですけど、加奈のサイコロジーまでこれでわかる気がして。
だって、オムライスと味噌汁ってチョイスすごくないですか?オニオンスープとかにしないであえて味噌汁にするところが、(加奈の)実利を取る性格だったりとか、きっとケチャップがスプーンにこびりついているのを構わずに、味噌汁の具をすくっているんだろうなあとか、すごい想像、妄想できる。ディテールのすごさというのがこれだけで伝わると思う。
椰月さん その話を市川さんから前に聞いたとき、本当に気を引き締めて書かなきゃと思いました。
――読者はそこまで見てるぞと。
椰月さん (加奈は)貧困家庭なので、オムライスに味噌汁だなと思って書いたんですけど、スプーンについたケチャップを味噌汁で洗うところまで、そういう風に読む人がいるんだ!って。本当に背筋が伸びました。
市川 作品のストーリーが面白いというのは当然あるけど、日常の切り取り方。場面を切り取ることで、切り取ってない部分まで想像できるというか。それが椰月さんの作品の一番の魅力、他の作品と違うところだと僕は思っています。
椰月さん ありがとうございます。
市川 『14歳の水平線』なんかは14歳の子どもたち、中学生が沖縄でキャンプをする話なんですけど、真ん中で結構悲しい、重大な出来事が起こる。
ですけど、一番最後にもってくるのが、子どもたちがキャンプが終わって、あんまり言っちゃうとネタバレなるけど、わあわあじゃれ合うようなやり取りをするくだりがあるわけですよ。
やっぱりどうしても、ストーリーに直接関係のある重大事って一番最後にもっていきがちだと思うんですけど、椰月さんの作品はそれが真ん中に来ていることが多い。最後の方は何気ないやり取りをしている。
例えば双葉社から出ている『るり姉』だったりとかも、(最後は)みんなで車に乗っていちごと練乳のくだり。詳しくはぜひ読んでください。
そういうたわいないやり取りが感動に結びついていくのは、ディテールのこだわりが何層にも重なっているから。人物造形というか。くっきり浮かびあがった状態で最後にそういうやり取りを見ると、涙してしまう、感動の物語になるんだなって思っています。
椰月さん 書いている時は感覚的。あまりプロットとかを立てないんです。書いてみないとわからない。もちろんストーリーはわかるけど、組み立て方は最初からはわからなくて、書いていきながら探っていく感じ。体感的に書いているので。でも今言っていただいたのは、本当にそうですよね。
――書いていくことで何かが見えてくる、ということだと思いますが、それによって「実はこのキャラクターってこういう人だったんだ」とか、自分の中で新しく気付かれることは?
椰月さん そういうのもあります。最初にどういうタイプの子かは決めているんですけど、書いていって、動きがないと。そこで発見することもすごく多いです、私の場合。
市川 実際に動かしていって「そんなにメインに絡む子じゃなかったんだな」と思ったり。
椰月さん そうですね。「こういう面もあったんだな」と思ったり。
――市川さんが「豪奢な」と言っていましたけど、色んな人が出てきて色んな経歴、考え方があって。読者によって好きな人物がいると思いますが、椰月さんの中では平等ですか?それとも思い入れの差はあったりしますか?
椰月さん あ、でも平等ですね。心底悪い人は出したくないというのがあって。必ず誰にでも良いところはある、というのを常に思って書いています。
――市川さんが言っていた「絶妙な距離感」という話にも通じる。近くもなく遠くもなく。
椰月さん 冷静ですね。思い入れはありますけど、この人に!っていうのはないですね。
――読者の「このキャラが好きなんです」「この人物に似ていると思いました」「この人に感動しました」といった感想もバラバラだったりするんですか?
椰月さん そういう風に(色々な感想を)言っていただけることもあってすごく嬉しいんですけど、「あ、そうですか」って感じですね(笑)
市川 そこじゃないですよね。読んでほしいところは。
椰月さん 読み方は色々あるので、そういう風に思ってくれたら、それはそれで嬉しい。
――市川さんから見て、ディテールの描写以外ではどういったところが椰月作品の魅力ですか?
市川 今お話にあったように、キャラクターとの距離感。椰月さんの作品って、ユーモアもあるので落語に近いなといつも思っていて。
――というのは?
市川 立川談志さんが「落語は人間の業の肯定」と言ってらしたんですけど、椰月さんの作品ってどんな人間にも良いところがあったり、悪いところがあったり。どちらもそんなに、「この人はすごく悪いです!」という描かれ方はしないけど。どこかシニカルに、笑いに持っていくようなくだりが多くて。それこそ落語の「芝浜」じゃないですけど。なんとなくニュアンスですけど、そういうところが伝わってきて。『その青の、その先の、』は落語の話が登場しますが、全編に伝わっているなと。
※立川談志……古典落語を現代的価値観・感性で表現し直そうとする野心的努力が高く評価された。その荒唐無稽・破天荒ぶりから好き嫌いが大きく分かれる落語家。落語のみならず、講談、漫談をも得意とするなど、芸域の広さで知られた。「談志教」とも言われた熱狂的なファンを持ち、時に奇矯な行動で異彩を放った。
※芝浜……古典落語の演目の一つ。夫婦の愛情を暖かく描いた屈指の人情噺として知られ、大晦日に演じられることが多い。
椰月さん 私も落語は大好きなので、そのことを市川さんに言っていただいて本当に嬉しい。なんでしょう、やっぱり「業の肯定」というか、そういうのは常に(考えている)。
言葉にしてもらえるまで自分では考え付いていなかったんですけど、そういうのを描いているんだなって腑に落ちた感じ。やっぱり人間肯定、人間賛歌を描いていきたいなという感じ。
――落語は詳しくないのでわからないのですが、『ジョジョの奇妙な冒険』みたいな。荒木飛呂彦さんは人間賛歌を描くためにあの壮大な漫画を描いている。
※ジョジョの奇妙な冒険……荒木飛呂彦による日本の漫画作品。略称は「ジョジョ」。少年漫画の基本を押さえながらも、個性的な表現方法とホラーサスペンス的な不気味さで独自の世界観を築き上げている。ふるえるぞハート!燃えつきるほどヒート!!
椰月さん そうなんですか?
――根底にあるテーマ。だから『ジョジョ』は悪人がすごくカッコいいんですよ。悪人にも理由があって。国のためだったり、私利私欲だったり、「こういうことがしたいんだ」という明確な意志の下に悪行を働くキャラクターがいっぱい出てくる。まさに「人間の業を肯定する」。
市川 人間賛歌なのにスタンドが出てくるんですね?
※スタンド……ジョジョシリーズに登場する架空の超能力。パワーを持った像(ヴィジョン)。Part3『スターダストクルセイダース』で初登場。漢字では「幽波紋」と表記される。スタンド使いはタバコの煙を少しでも吸うと、鼻の頭に血管が浮き出る。
――あれは人間の精神力の賜物なので。心の強さがスタンドとなって出てくる。脱線してしまって申し訳ないです。
椰月さん ウチの子どもも大好きです。ジョジョ部屋になっています。
市川 え、もう好きなんですか? 早熟ですね。
椰月さん そうですか?
――それは素晴らしいお子さんですよ、本当に。
市川 僕は子どもの頃、よくわからなくて読み飛ばしてましたよ。すぐに『すごいよ!!マサルさん』見てました。
――「人間の業の肯定」というのは面白いですね。落語の話が出てきましたが、好きとはいえ、書いている時に具体的に意識されることは特になかったですか?
椰月さん そういう意識はないですね。でも何作か書いてきて、自分が書いているのは人間賛歌、人間肯定なんだなっていうのを、ある時気が付いた。
誰かに言ってもらったのかもしれない、市川さんに言ってもらったように。ああ、そうなんだと思って。それからも、常に頭にあるわけではないけど、書いてみるとそうなっている。
【後編へ続く】
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