akane
2019/06/20
akane
2019/06/20
障害を告知するとき、告知者のタイプは概ね二分される。というか、二分にしかなりようがない。すなわち、がりっと「障害ですね、覚悟してください」と言うか、「えーーーーーーーーーっっっっと。もうちょっと、様子を見てみましょうか。まだ(能力が)伸びるかもしれないし」と引き延ばし、患者側に察するように誘導するかだ。
ちなみに、ぼくも仕事で同じような選択を迫られることがある。「こりゃもうお手上げだよ。今年の卒業は無理だから、来年に向けて努力しようよ」と一撃でいくか、「う~~~~~~~~~ん、他の講義の成績の出方次第ではまだ可能性がある段階にいることもなきにしもあらずな気がする気配もあるかもしれず……」などと、気付いてくれオーラを出すかである。
もちろん話の重たさの度合いは違うのだが、決して疎かにはできない。場合によってはその学生が卒業する/しないの選択に直結してしまうので、こちらも必死だ。前者のほうが時間効率はいいのだが、それも時と場合や単位を落とした理由による。メンタルが弱っている学生には迂遠なようでも後者でいかないと、そのまま学校に来なくなってしまうこともある。なので、「お前はどうなのだ」と問われれば、人と状況によって使い分けていると答える。
病院の先生の場合は、シチュエーションよりは、先生の個性でどちらかに決めている場合が多いのだそうだ。私が告知されたときは、「あー、障害ですね」とばっさり斬られた。引き延ばされるよりはそちらの方がいいとは思うのだが、あまり良い想い出としては記憶していない。
そもそも主治医の先生が後者タイプだったので、さすがにしびれを切らして発達検査を受けたのである。同じJ医大附属病院でだ。で、担当の臨床心理士さんに、「あーーーーー、これは障害児と遜色ないですねえ」と言われた。
……なんていうか、もうちょっと言い方はないのか。っていうか、その「遜色」の使い方は誤用ではないのか。
もちろん、業務でやっていることであれば、忙しい。いちいち患者の気持ちになど寄り添っていたら、時間も足りなくなるし、精神ももたない。でも、プロとして、寄り添う振りくらいはしたほうがいいと思うぞ。
まあ、この臨床心理士さんは、たぶんばっさりいくのが親切だと考えているのだろう。そういう方針でやっているのだとは感じた。しかし、
「えっと、障害があるっていうことは、これから通う幼稚園や小学校も、普通級とは変わってくるということでしょうか?(そうなら準備しないとな)」
と聞いたら、
「あ゛あ゛―――っっっ、いるのよねえ、そういう親!! どうしても普通級に入れたいって考える親! あのね? ふつうに混ぜることが幸せとは限らないのよ?? 普通級がいいわけでもないの!」
そんなこと言ってないし。たまたま進学を考える時期だから、普通級と支援級のどっちを見学に行けばいいんだ? っていう指針が欲しくて聞いてるんだし。なんで、そう決めつけるのかなあ(でも、このあと幼稚園や役所などでも「障害児の親はこうだから」という決めつけには大量に遭遇したので、この人が特殊なのではないかもしれない。みんなこちらが何か言う前から、「こういうこと言い出すんでしょ?」って言ってくるのである。けっこう迷惑でめんどくさい)。
ひょっとしたら(そんなことないと思うけど)100人が100人同じことを言うから、聞いてるのが嫌になっちゃったのかもしれないけど、101人目は違う話をするかもって態度で人の話は聞こうよ(特に臨床心理士なら)。
で、なんだか説教モードに入ったらしく、ぼくの子がいかにダメか、障害児の親がいかに定型発達の親とは違った心構えで生活しなければならないかについて、かなり長時間にわたってご講義いただくことになった。そして最後に「だいじょうぶ。希望はあるわ。がんばりなさい」と、いままでと180度異なる発言と極上の笑顔で送り出してくれた。
たしかに最後の印象付けでクレームって減るっていうもんね! 大学の初級心理学で習った! この人、臨床心理士だしね。
とりあえず、この人の名前は一生覚えておこうかな、って思った夏の日の午後でした。
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