国境を易々と越える二次元キャラ【第12回】岡嶋裕史
岡嶋裕史『インターネットの腐海は浄化できるのか?』

かつてインターネットがユートピアのように語られた時代があった。そこは誰もが公平に扱われ、対等な立場で建設的な議論ができる場のはずだった。しかし現在、そんな戯言を信じる者はいない。ネットは日々至る所で炎上し、人を騙そうという輩が跋扈し、嘘の情報であふれている。黎明期から知る人間は誰もが思うはずだ、「こんなはずではなかった……」。ネットはいつから汚染された掃き溜めのような場所になってしまったのか? それとも、そもそも人間が作り、人間が関わる以上、こうなることは約束されていたのか? 黎明期からネットの世界にどっぷりハマってきた、情報セキュリティの専門家である中央大学国際情報学部開設準備室副室長の岡嶋裕史氏が、ネットの現在と未来を多角的に分析・解説する。

 

 

それはまた、国境の超えやすさ、という特性をも形作っている。もともとのクラス(定義)にはひょっとしたらあったかもしれないナショナリズム的な文脈が、インスタンス(定義から導かれた実体)をリロード(召喚)する際に、利用者固有の属性を上書きし中和されるからである。

 

実際に国境を越えた例をいくつか紹介しよう。

 

このリンク先のトップ画像を見てほしい。
http://news.ltn.com.tw/news/politics/breakingnews/1514517

 

これは何か。

 

蔡英文である。言わずと知れた台湾の総統だ。

 

蔡英文はいったい何をしているのか。戦艦霧島(リンク先の中央左を参照)のコスプレをしている。

 

………。

 

もう少し説明が必要だろう。

 

連載でも何度か触れてきたが、艦隊これくしょんは、旧帝国海軍の艦艇を擬人化したソーシャルゲームである。ゲーム自体は、オーソドックスといってもよいカードバトル形式のものだ。カードを蓄積し、よい手札(デッキ)を揃え、対戦(現時点では、演習以外に人間対人間で戦う仕組みはないので、相手はシステムが務める)をし、その結果如何によっては、さらに貴重なカードを入手して手札を改善することができる。

 

艦隊これくしょんでは、そのカードの元ネタが海軍艦艇なのだが、これがかなりマニアックなのである。

 

リンク先で、艦これの戦艦大和のキャラクタを見てほしい。
http://games.dmm.com/

 

戦艦大和のキャラクタの簪(かんざし)は二号一型電探、いわゆる21号電探と呼ばれる対空レーダーで、実際に海軍の簪と呼ばれていたもの、左腕の腕章はZ旗で、左手に持っているのは九一式徹甲弾に見える。右のニーソックスがずり落ちているのは、坊ノ岬沖海戦の被弾状況を表している。

 

ここではたまたま大和を取り上げたが、艦これのイラストは、どれも見る者に、何故ここはこう造形されているのだろう、と考えさせるフックが用意されていて、それを調べるうちにその世界観にどっぷりはまり、海軍艦艇にも詳しくなるしくみになっている。

 

実際、2013~2016年にかけて、男子中高生は相当海軍艦艇に詳しくなった。

 

今や子ども向けの戦闘機図録や艦艇図録を見かけなくなって久しい。戦後70年もたてば当然のことである。子どもたちの間から、ひいては大人からも、大和や零戦の知識は失われていくのだろうと思われ、現実にそうなりつつあった。

 

しかし、現時点の大学生は精深な艦艇知識を、それもかなりエッジの効いた知識を常備しているのである。

 

軽巡阿武隈と軽巡北上の接触事故など、普通は知らない。相当な海軍マニアでも知らない。接触事故そのものが、艦艇に関連して覚えておくべき知識として優先度が低いし、そもそも演習中の事故である。地味なのだ。

 

だが、彼らは知っている。キャラクタの阿武隈さんと北上さんの仲が悪いさまが描写されるからである。何故だろうと調べていくと、必ずあの接触事故に行き着くのだ。

 

他にも史実に沿ったキャラクタ設定や造形、描写がふんだんに盛り込まれている。見た目は可愛いが、かなり濃ゆく帝国海軍を連想させる作品なのだ。

 

この作品がリリースされた当時、眉をひそめた識者が一定数存在した。こんなに海軍色の強い作品を、(ベンダは禁じているとは言え)世界のどこからでもアクセスできるインターネットサービスとして提供して良いのか、アジア諸国をはじめとして、拒絶反応が生じるのではないか、と危惧したのである。

 

実際、不愉快に感じた人もいたろうが、それ以上に多くの海外ユーザが艦これをプレイした。そもそも艦これのベンダは海外からのアクセスを禁じているので、プレイそのものが違法であるし、特に中国のユーザにはグレートファイアウォール(中国における世界最大級のネット検閲システム)があるので、VPN(仮想専用線。通信を暗号化できる)を通さなければ艦これにアクセスできない。こういった、かなりの技術的障壁があるのだが、それをものともせず彼らは遊び、その様子をYouTubeなどにアップし続けている。

 

未だ戦後の傷は癒えず、周辺諸国との心理的障壁は残存しているが、二次元のキャラクタはそうした呪縛を易々と無効化した。

 

その極点が、先ほどの蔡英文であろう。

 

冒頭のリンク先の蔡英文の写真は、もちろんコラージュである。艦これに登場する戦艦霧島に容貌が似ているとの指摘が相次ぎ、台湾のユーザがコラを作ったのだ。

 

それだけならば、よくある話ではある。

 

しかし、驚くべきことに、蔡英文陣営はこれを選挙運動に使ったのだ。蔡英文自身も選挙中に、「今ではずいぶん霧島に詳しくなった」とコメントしている。

 

いかに親日国とはいえ、日本統治時代の記憶を残す難しい歴史を抱えている国である。その国の国家元首が帝国海軍艦艇の意匠をまとうことなど、二次元キャラクタの越境性がなければ成立しない現象だろう。

 

もう一つの例は、ISISたん(アイシスたん)である。

https://www.huffingtonpost.jp/2015/07/21/isis-chan-anonymous_n_7845338.html

 

これはISISを二次元女子へと擬人化したキャラクタである。ISISが日本人を人質に取った事件が進行するさなかでつくられた。自然発生的に生まれたものだが、そこにはおそらく「汚染しやすいインターネットの特性」を利用して、ISISへ対抗しようという意図があった。

 

なぜなら、ISISたんが人気コンテンツとなって、ISISと検索したときに彼女の検索結果しか上がってこなければ、本物のISISはネットでは事実上存在しないことと同じになってしまうからである。ISISは(一般的な行政府にくらべれば)ネットの活用が巧みと言われているので、これは冗談の域を超えてダメージを与えうるのだ。

 

そもそも、大真面目に武力行使をしている武装組織を萌えキャラ化するなど、周囲にとっては滑稽以外の何ものでもなく、ISISにしてみれば挑発と敵対行動以外の何ものでもない。イメージ戦略の点からも、許容する訳にはいかないのだ。

 

ISISたんが登場した当初の評価はひどかった。戦争を茶化すなというわけで、これは当然のことではある。しかしその後、恐怖による支配を進めたいと考えている主体に対して、効果的な、いかにも日本らしいレジスタンスだとCNNは報じた。

 

東京ローズ(太平洋戦争時代の女性アナウンサー。日本において、連合軍に向けたプロパガンダを行った)の時代から、こうしたプロパガンダは存在したが、現代において同じことを実行するには困難が伴う。生身のアイドルにISISのコスチュームを着させることも不可能だろう。

 

しかし、二次元キャラなら、この窮屈な時代にも国家やトライブを越えて浸透させる能力がある。国家レベルから個人レベルまで、コミュニケーションや相互理解を推進させるファクタにも、また阻害するファクタにもすることができるだろう。二次元キャラと結婚したがる利用者は、その表出のしかたの一例である。

 

もちろん、こうした利用者がマジョリティになることはないだろう。しかし、漸増の一途を辿ることは間違いないし、ここまで議論してきたように、二次元キャラクタに執着を持つ利用者が出てくるのはある意味で自然なことだ。

 

そうした傾向が今後どんどん強まっていき、生身の人間とのリアルな恋愛が成立しなくなれば、人類が滅ぶようなこともあるかもしれない。そのときの墓碑銘には「我々は仮想世界というエデンを見つけた」が相応しいだろう。

インターネットの腐海は浄化できるのか?

岡嶋裕史(おかじまゆうし)

1972年東京都生まれ。中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程修了。博士(総合政策)。富士総合研究所勤務、関東学院大学准教授・情報科学センター所長を経て、現在、中央大学国際情報学部教授、学部長補佐。『ジオン軍の失敗』(アフタヌーン新書)、『ポスト・モバイル』(新潮新書)、『ハッカーの手口』(PHP新書)、『数式を使わないデータマイニング入門』『アップル、グーグル、マイクロソフト』『個人情報ダダ漏れです!』(以上、光文社新書)など著書多数。
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