第3回「編集者の仕事」
山口ミルコ『バブル』外伝

BW_machida

2020/09/30

幻冬舎創業期を支えた元ベストセラー編集者山口ミルコ、ボスとの出会いから別れまで――。同時代を生きた異業種の女性たちの発言を織り込みながら自らの会社人生を綴った異色のストーリー『バブル』(9月17日発売・光文社刊)には、書けなかったこと、書かなかったこと。<記憶>のなかの大切な人たち、場所、ことがらについて。

 

私は「編集者の仕事」を、いたく気に入っていた。
『バブル』の中で書いたように、ゲラ(校正紙の束)に赤字を入れるときは、しみじみと嬉しかった。
コピーはいくらでも考えられた。
作家やアーティストと会って企画について話したり、装丁家や写真家や画家と一緒に本のデザインを作るのも楽しかった。
さらに、いろんな人にインタビューをして、その原稿をまとめるのも、得意であった。
こうして挙げていくと、私が「編集者の仕事」のなかで嫌いなものは何ひとつなく、むしろ「好きだらけ」であるというのに、私は編集者を廃業した。その理由については、『バブル』に書いた。初めて、書いた。

 

私にとっては<編集者をやめる>=<会社をやめる>、<会社をやめる>=<編集者をやめる>であったので、鶏が先か卵が先かはどうでもいいのだが、会社をやめるときには、編集者をやめることだけ、が決まっていた。
編集者をやめて何をやるのか?
当時は退社にひどく傷ついて、なんにも考えられなかった。
ひどく傷ついて――などと自分で書くのは恥ずかしいことだと思いながら、しかしほかにちょうどいい言葉が浮かばないので、そのまんま書く。

 

 

なんにも考えられなかった私が、十年経って、本を「作る」から本を「書く」ことに。
前回、道上洋三さんのラジオ番組に出た話で、「インタビューの経験ということでは千本ノック的にやっている……」と書いたが、インタビューにおいても、話を「訊く」だけでなく、話を「訊かれる」ほうも、やるようになった。
ちょうどいま新刊が出たところなので、いくつかの、メディアの取材をお受けしている。いわゆる著者インタビューだ。
著者インタビューを受けると、たいていインタビュー中の表情を撮られる。そうした写真が私にも少しずつ増えてきたけれど、自分が<インタビューをする側>のときの顔写真という、紙媒体業者としてはめずらしいものを、私は持っている。

 

 

30年前、「月刊カドカワ」編集部にいた私が、徳永英明さんにインタビューをしている最中の、写真である。
撮ったのは、ハービー・山口さん。
ハービーさんが、私の知らないあいだに私を撮っていて、あとで焼いて、くださったものだ。いまはあちこち薄茶けて傷んでいるが、まちがいなく「編集者の仕事」をしていたときの、私である。

 

あの日、あの瞬間、どうしてハービーさんは私を撮ろうと思ったのだろう。
なんの迷いもなく一心に――誰かが自分の「好きで好きでたまらない仕事」に向かっている姿にちがいなく、私はこの一枚の写真を見るたび、そんな人に声をかけたくなるのである。

 

バブル
山口ミルコ / 著

illustration:飯田淳
毎週水曜日更新

ミルコの『バブル』外伝

山口ミルコ

(やまぐち・みるこ)
1965年東京生まれ。専修大学文学部英文学科卒業後、外資系企業勤務を経て、角川書店雑誌編集部へ。「月刊カドカワ」等の編集に携わる。94年2月、幻冬舎へ。幻冬舎創業期より編集者・プロデューサーとして、芸能から文芸まで幅広い出版活動に従事。書籍編集のほか雑誌の創刊や映画製作に多数かかわり、海外留学旅行社の広報誌の編集長等をつとめた。2009年3月に幻冬舎を退社。フリーランスとなった矢先、乳ガンを発症。その経験をもとに闘病記『毛のない生活』(ミシマ社、2012年)を上梓、作家デビュー。以降、エッセイ、ノンフィクションを執筆するほか、大学等で編集講義をおこなう。
公式HP:https://yamaguchimiruko.tanomitai-z.com/ Twitter:@MirukoYamaguchi
関連記事

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitterで「本がすき」を