akane
2019/02/01
akane
2019/02/01
会社勤めをしていて最もつらいことのひとつが「残業」であることは疑う余地がないと思います。そして、たっぷりと残業をせざるをえなかった日の夜のせめてもの救いといえば「おつとめ狩り」であることは以前にも書きました。
ところが実はもうひとつ、残業を終えてから閉店間際のスーパーにたどり着くまでの間に、プチな幸せというものが存在するんです。
それが「スピード晩酌」。
あ、「存在するんです」などと勝手に世の中にあるもののように断言してしまいましたが、無論「僕の中にだけ」なのでご了承ください。
スピード晩酌とは何か。
以前、各界の著名人のみなさんに、晩酌に対するこだわりや楽しみについてを入り口とし、それぞれの酒観から人生観までをも伺ってしまおうという対談集、『晩酌百景 11人の個性派たちが語った酒とつまみと人生』という本を出版させてもらいました。そのあとがきを、対談本らしく、僕と、飲み友達であるスズキナオさんとの対談形式で収録したのですが、僕のとある発言に対しナオさんが「それってスピード晩酌ですね」という返答をし、以来、自分の中で定着してしまった言葉であります。
どんな行為かというと、誰しも、仕事をしていて定時をすぎる。つまり、残業に突入する。その瞬間から確実に、自分の中にゲージのようなものが出現し、刻一刻とポイントが加算されていきますよね。
ポイントとはつまり、焦り、悲しみ、疲労、ストレス、諦め、どこにぶつたらいいかわからない怒り……それらを煮詰めた感情。「大変遺憾である」という表現が最もふさわしいかもしれません。
その「遺憾ポイント」が黄色〜オレンジ〜赤へと変化し、ゲージのMAXに到達するまでの間、秒単位で倍増してゆく想い、それは「酒が飲みたい」です。
あくまで僕の場合。
普段ならばとっくに帰宅し、好きななつまみをテーブルに並べてのんびりと晩酌を始めているはず。もしくは大衆酒場ののれんをくぐり、ホッピーセットのナカをおかわりし、すでに気持ち良〜くなり始めているはず。そんな究極のリラックス状態とは正反対の現在の自分の状況が悔しくて悔しくてたまらず、あぁ、1分1秒でも早く、自分のふがいなさに対する儀式として、けじめとして、お酒が飲みたい。あとこれだけ片付けてしまえばようやく帰れる……。残り5、4、3、2、1、終了!
そんな時にですよ?
いつも通り粛々と帰路につき、風呂に入って体制を整え、「さて、飲むか」なんて悠長なことをやってられますか?
もしくは夜の街にくりだし、「今日はお魚の気分だから、ちょっと足を延ばしてあの店へ行ってみるかな」なんて優雅なこと考えてられますか?
念のため言っておきますけど、30分や小一時間じゃない。少なくとも3時間以上の残業後ですよ!?
僕には無理。
ではどうする?
まずは可及的速やかに帰り支度を済ませ、足をもつれさせながら会社を飛び出します。その姿を見た人はきっと、「“まろび出る”とはあのことか」と感じることでしょう。
で、最寄りのコンビニに飛び込む。
横で商品を物色しているうら若き女子が思わず「キャッ」と悲鳴をあげてしまうような逼迫した表情で、酒類の棚から500mlの缶チューハイをつかみとる。こんな時は、いつもなら積極的には選ばないストロング系も辞さない。甘い系も辞さない(脳に糖分が補給されそうな気がするから)。
で、何かひとつ、つまみを調達する。
まぁ、レジ前のホットスナックコーナーが間違いないでしょうなぁ。こちとら、極度の興奮状態です。男子高校生が歓喜してむさぼり食うような、がっつりとしたもので飲みたい気分なのです。
ファミチキ系のチキンを選びましょうか。赤い、辛い味のやつとかあれば尚良し。
支払いを済ませ、それらをコートの両ポケットに突っ込んだら(夏場やポケットがない服の場合は適宜持ち歩き方を調整してください)、一直線に最寄りの公園へ。
この時、小走りで向かいたいのは山々なんですが、自分の中で「早く酒が飲みたいから走るというのは人としてさすがにどうかか?」という最後の理性が働いた結果、競歩で。
さぁ、夜の公園には空いてるベンチがいっぱいだ!
遺憾ゲージもMAXだ!
もうおわかりですよね? これから始まるのが、スピード晩酌です。
実はこの時点で、少しだけ気持ちに余裕が戻ってきています。
飲食の話をしているのにこの例はどうかとも思うんですが、ほら、おしっこをがまんしてがまんして、やっと見つけたトイレに駆け込み、これでもう一安心、さぁ、いつでも自由の身になれるぞ! って瞬間、「ふうっ」と一度、安堵のため息をついてから、我が身を開放への道へと前進させたりしません? あれと似ている。
自分の手元にはお酒とつまみがある。仕事中でもない。くつろいだ体制でベンチに座っている。
焦ることなんてひとつもないじゃないですか?
なのでもう、ものすごい勢いでチキンの包み紙をひっぺがしたりはしません。
まずはもらったお手拭きで入念に手を拭き、右手に缶チューハイ、左手にチキンを持ち、心の中で「ありがとう」と呟きながら、今一度眺めてみましょう。見れば見るほど頼もしきコンビです。
ゆっくりとタブを引き起こし、「プシュ」という祝福音を聞き届けたらば、ゴクリと一口。
それはもうジワァ〜っと、喉から胃、そして全身が、無上の酔い心地で満たされてゆきます。
おもむろに、チキンをサクり。
過剰なまでに刺激的な旨味と塩気、心地よい衣の食感、「何か違法なもの入ってないよね?」と疑いたくなるジューシーさ。
この世に、こんなにうまいものが他にあっただろうか?(いや、ない)(いや、あるけど、今この瞬間に限ってはない)
カラカラに乾いた心と体に、普段の数倍のスピードで染み渡る、酔いと満足感。
行動を始めてからここにいたるまでの、スピード感。
これこそが、残業のあとの小さな幸せ、スピード晩酌というわけです。
さて、缶チューハイ1本とチキンひとつを平らげたあなたは、憑き物が落ちたように穏やかな顔になっていることでしょう。あれ? さっきまでは自分のこととして話してましたっけ? まぁいいや、とにかく、スピード晩酌を経てすっかり人心地ついたらば、「さてもう1缶」なんてことは考えず、さっさと帰路につきましょう。
あとはスーパーで「おつとめ狩り」をして、ゆっくりと晩酌をするも良し、好きな酒場に寄って帰るも良し。
スピード晩酌はあくまでスピード命。切り上げるのも早めが粋ってもんですよ!
……えぇ、「そんな飲み方をしてるお前が、粋を語るな」というご意見は重々承知しています。
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