新規事業が成功するためには? −−−−ものづくりを支える「世界最強の裏方産業」を例に考える(2)
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NCというテーマ

 

前回のコラムでは、1956年、富士通の技術担当常務だった尾見半左右が、当時主力事業だったコミュニケーション分野以外にコンピュータとコントロールという新しい事業分野に進出することを決め、池田敏雄と稲葉清右衛門をそれぞれのプロジェクトリーダーに任命したことに触れ、池田がコンピュータの開発に取り組んだ一方で、稲葉はコントロール分野で新規分野を模索していたことを述べました。

 

その稲葉には開発のテーマがなかなか決まらなかったのですが、あるとき、突然、NC(数値制御)というテーマが現れたのです。

 

今回は、NCの歴史上、重要な2つの発明について触れましょう。

 

「代数演算パルス方式」と「電気・油圧パルスモータ」

 

富士通でのNC開発は、川崎にある中原工場の一角に設けられた実験室で小さなプロジェクトチームとして始まりました。

 

当時稲葉は、まだ30を少し過ぎたばかりで、電気と機械の技術者、4、5枚からなるプロジェクトチームを率いていました。その後、人員は10倍ほどに増えて、1957年には社内組織上、正式な「電子技術部自動制御課」として発足し、稲葉は課長に任命されます。

 

NCにとって重要なのは、数値計算を行う論理演算機構と、モータを制御するサーボ機構です。この2つの機能の性能と安定性をいかにして高めるのかということが実用化のための肝でした。

 

実用化を目指して数々の試作品が作られましたが、1959年、NCの歴史にとって重要な2つの発明が生まれることになります。

 

それが、「代数演算パルス方式」と「電気・油圧パルスモータ」です。

 

富士通は、これらの発明で、国内外の数々の賞を受賞します。この2つの発明によって、NCの性能は飛躍的に向上し、安定性がそれまでよりはるかに増したのです。このうち、「代数演算パルス方式」は、大学との共同研究によって生まれました。

 

稲葉は次のように述べています。

 

今度は実用化を目指して、回路にしてもサーボにしても、もっと安定性、信頼性のあるものをつくろうということになりました。そしてたまたま、当時東大工学部電気の助教授の本岡達先生と、その下で助手をやっておられた現在東大生研教授の山口楠男先生の二人が非常に興味をもたれたものですから、我々の方から、−−−−当時自動制御課という名前でしたが−−−−技術者を一人出しまして、いわゆる頭脳部の開発をご指導いただくことになりました。(『黄色いロボット』)

 

ファナックは、創業当初から、現在でいうところの産学連携に極めて積極的でした。技術者を大学の研究室に派遣するという方式は、いまでも行われている最も古典的な産学連携の一つのやり方です。

 

一方で、サーボ機構を担う電気・油圧パルスモータは、稲葉自身が発明します。稲葉はこの発明をもとにして、「電気・油圧パルスモータを使用した数値制御系」というタイトルで学位論文を執筆し、1956年に東京工業大学から工学博士号を取得しています。

 

つまり、1959年のこれら2つの技術革新によって、NC装置の性能と安定性は飛躍的に高まり、ようやく実用の水準に達したといえるのです。1956年からプロジェクトチームとして開発を始め、1957年には組織上の正式な自動制御課として発足してから約2年が経過していました。

 

※以上、『日本のものづくりを支えた ファナックとインテルの戦略』(柴田友厚著、光文社新書)から抜粋し、一部改変してお届けしました。

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