2019/02/08
るな 元書店員の書評ライター
『我らコンタクティ』講談社
森田るい/著
年が明けて1月ももう半ば。半年も経たないうちにまた一つ年をとる予定だ。随分大人になってしまった。
去年から今年の年末年始は久しぶりに休みでゆっくり振り返ることができたのだが、やっぱり年末年始は皆休むべき。自分が休んでみて、1年を振り返ってまた新しい1年を思う時間は案外大事なんだなと思ったからだ。
そうやって振り返って読みたくなったのが『我らコンタクティ』だった。
自分で選んだ道で、ふと歩みを止めて周りを見渡してみると、いつのまにか周りを固められている。身動きが取れなくなっている。思っていた場所とはまるで違うところに立っているような気がする。
その瞬間瞬間で最善の選択をしてきたはずなのに、あの時こうしていればもっと高い場所にいたんじゃないか?こんな思いはしなかったんじゃないか?って、一瞬通り過ぎる茹だるような暑い夏の風みたいな、そんな瞬間が度々訪れるようになる。
それはまさに風のようにすぐにかき消されるのだけれど、忘れることができない。
わたしには後悔していることが、2、3ある。
でも、生きていればこんな少しの後悔と若干の後ろめたさもあるだろうよ。
……などと思いながらできた傷を時々撫でて考える。
過去は時間の手を借りれば変えることができると私は思っている。
それは事実自体ではなくその意識として。
事実にはいつも感情がくっついていて、その感情を認めて時間と握手できた時がその時だ。
後悔、嫉妬、怒り……自分が納得できない思いたちは、時間の手を借りなければ飲み込めない。
そうやって、私は納得できない苦い薬を「時間」という水で飲み込んできたけれど、
一度に全部は飲み下せていなくて、少しずつ少しずつ、残ってきた怒りや後悔の残りカスが心の端っこに積もり続けている。
「認めること」と「受け入れること」は違う。
認める事は、在ることを見つけるだけでいい。
受け入れることは、見つけたものを理解し、納得しなければいけない。
もし、受け入れられない自分を見つけてしまったら。
受け入れられない自分ごと、ただ認めるだけでいいんじゃないか。私はあの時の後悔をずっと忘れられないでいるよって。
そのままを、そのままで。
このコミックは、不器用に生きるエンジニアと多少人生に行き詰まった金の亡者の主人公が宇宙に巨大スクリーンを積んだロケットを飛ばしてあの時の夢を叶えるという話だが、登場する人物は皆、バグプログラムのような人間でウソがない。いろんな傷を抱えて、それを持て余して、それでも生きなくちゃ、と生きている。
1巻読みきりと短い中でも中盤から「ロケットは飛ぶのか?」と緊張感が増してきて、主人公がエンジニアの情熱に心動かされ、それが周りに伝播していく描写や、ラストに向けて加速していく感じはあっぱれだ。
今まで私は正しく、強く、理に適った人間になろうなろうとしてきた。でもそれはあまりにAI的だ。今からの人生はそんなのAIに任せて、私はAIからしたらバグプログラムような、人間らしさを抱きしめたまま、この物語の彼らのように生きていけばいいのではないかと思った。
でも、それでもどうしてもできないときは、ロケットで飛ばしてしまおう!
燃料は後悔の残りカス。心にいつも自分だけのロケットを積んだ我らコンタクティ。
そのロケットは、大気圏を突破したら明日の希望に変わる。
『我らコンタクティ』講談社
森田るい/著