2020/07/15
るな 元書店員の書評ライター
『手帳と日本人』NHK出版
舘神龍彦/著
私は手帳と縁遠い人生を送っている。
正確には、使い方が分からない。というと、あんなにたくさんの手帳のガイドブックがあって、SNSでは皆がこぞって手帳活用法を投稿しているんだから分かりそうなものだけど、と言われるが、数年前に買ったほぼ日手帳なんて一回で終了して、今はインテリアの一部だ。
以前、完全内勤で月に15〜20も〆切のあった時代でさえ使わないままだった。
そうやって今まで手帳を使わずに働いてきだけれど、憧れがないわけではない。手帳ガイドブックだって買っては読んできた。けれど、結局今も私は手帳を使っていない。
書店員をしていた頃、初めて手帳の担当になった時の、その入荷量に言葉を失ったことは忘れられない。
手帳版元二大巨頭の高橋手帳とNOLTY(当時は能率手帳)だけで、とんでもない入荷量で、
他博文館、ディスカバー21、宝島社などなど色々を合わせたらもう…(遠い目)。
でも、絶対売れ残るだろうと思っても、シーズンが終わるころには大体売れてしまう。
お客様からの問い合わせももうすごいのなんのって。
手帳のガイドブックも、あの手この手のコラボなどでクラスチェンジしつつある。
手帳市場は安定して人気で、なおかつ細分化や特化もしていて今後も衰えることはないだろう。
しかし、手帳を必要としない人間からすると、七不思議にしか思えないので、本書を読んでみた。
手帳の文化、歴史を遡ることは、「日本人の時間感覚と精神を知ること」だと著者は言う。
それは、引いては暦、社会を考えていくこと。本書では日本の暦の歴史から当時の時間感覚を探り、次に企業のあり方、手帳の種類、現在…と展開していく。
確かに、手帳は時間感覚で大体二分化できるように思う。
仕事用の手帳に使われるシステム手帳は、社会全体で共有している時間感覚で割ときっちり作られていて、ほぼ日やらジブン手帳やらパーソナルな手帳は、自分だけの時間感覚で作れるよう、自由度が高い構造やデザインになっている。
それら両方を同時になんとなくカバーする手帳もあるし、書店員手帳、歴史手帳のようなごくごく狭い範囲の手帳もある。そして、それぞれの手帳にはそれぞれの精神が乗っかっている。
だから、どんな手帳を使っているかで、その人の時間感覚と何に重きを置いているかがわかる。
本書にも登場するアメリカ合衆国憲法起草者のベンジャミンフランクリンは、「Time is money」(時は金なり)と言った。
確かにそうだが、今やそれは時間そのものだけではなく、その時間の中で自分が何をするのか、どう考えて使うのかも含まれていて、自分と自分の行動は、お金もしくはそれと同じだけの価値があると考えられているような気がする。
利便性を追求している割に、手帳を書いている時の人間の行動は、ひどくアナログで、やっぱり日本人には、そういった不便益のようなものを愛する精神が横たわっているのだと思う。
また、話題に上ると毛嫌いされることも多い「お金」も、わかりやすい利益として使うだけで、例えば自分が理想とする人間像でもいいわけだ。
そういう風に考えてみると、手帳に向かっている時、私たちは、時間を大切にしながら手と頭を使って、自分自身の輪郭をなぞっているのかもしれない。
本書は、読み進めると目から鱗というか、目から鱗雲出るか目ごと落ちるかどれかする。
読み終える頃には新しい目になっていて、目には見えないはずの自分に流れる時間と社会の時間と、自分自身の端っこが見えるようになっている。そして、猛烈にサザンの『勝手にシンドバッド』を聴きたくなる。そんな本だった。
来年あたり、また手帳にチャレンジしてみようと思う。
『手帳と日本人』NHK出版
舘神龍彦/著