知ってしまったが最後。ミルハウザーらしからぬ、日常に潜む謎を描いた短編集――スティーヴン・ミルハウザー『私たち異者は』

馬場紀衣 文筆家・ライター

『私たち異者は』白泉社
スティーヴン・ミルハウザー/著 柴田元幸/訳

 

 

どこへ向かえばよいのかわからないまま歩くような、何をすべきか迷い続けているような、妙な手探り感のある日常を描いた小説で、それが得も言われず楽しい。

 

主人公たちは、気がつくとどこか奇怪な場所にいるのだけど、まるっきり別の世界に放り込まれたわけでも、深い穴に落ちたわけでもない。まぎれもなく昨日と地続きの、今日の物語なのである。

 

魔法に満ちた7篇の短編集は、通りすがりの謎の男がいきなり平手打ちを食らわせてくるという事件が続発する町の動揺を描いた「平手打ち」から始まる。

 

町の人々は、見知らぬ男の突然の平手打ちに、怒るでも泣くでもなく、ただただ驚くばかり。謎の男は、次はどこに出没するのだろうか。平手打ちをひとつの現象と捉えようとする住民たちは、戸惑いつつも理性的に平手打ちの特質を分析してゆく。そのことの自然さと不自然さ。人々はべつに殺されたわけでも、強姦されたわけでも、刺されたのでもない。ただ、平手打ちされただけなのだ。しかし、この単純な動作によってもたらされた出来事は、確実に人々の身体経験を変えてしまった。

 

ほかにも、いつのまにか町に現われ、急速に拡大し街を飲み込んでしまう大型店舗の侵食とか、大気圏外から侵入してくる黄色い埃に飲みこまれた町とか、書物の民と呼ばれる人々とか、ある日目を覚ますと、ベッドに横たわり動かない自分を見下ろしていた男とやがて出会ったある女性との奇妙な交流を描いた表題作など、ここには奇妙でおそろしい、と同時にありふれているのか異様なのかわからないエピソードがたくさんでてくる。

 

いつも一緒にいる仲の良い彼女が何か知っているのに、語るのを拒んでいる手袋がどうしても気になる〈僕〉を描いた「白い手袋」。彼が彼女の手に向ける執念深い視線は不穏で、どこか夢と現実の区別がつかない。手袋は動いているようにも、波打っているようにも、解放されているようにも、筋肉を伸ばしているようにも見える。この本の全体がそんなふうだ。

 

翻訳者の柴田元幸氏は、「ミルハウザーといえば、信じがたいほど精巧な自動人形とか、ありえない幻想的な出し物の並ぶ博物館や遊園地などの『驚異』がトレードマークとなってきたが、この短篇集では(中略)驚異性はむしろ抑制され、ごく平凡な日常生活に小さな異物を(あるいは異者を)挿入することで、日常自体に蠱惑的な魔法を息づかせ、と同時に日常自体の奇怪さを浮かび上がらせている」と、本書の魅力を述べている。

 

存在にはなにひとつはっきりしたものはない。人を魅了し、そのままにはしておけない神秘。知ってしまったら最後、決して逃げてごまかすなんてことはできない恐ろしさ。まるでびっくり箱のように、いままで見たことのない、驚きと魔法に満ちた7篇が収められている。

 

『私たち異者は』白泉社
スティーヴン・ミルハウザー/著 柴田元幸/訳

 

この記事を書いた人

馬場紀衣

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文筆家・ライター

東京都出身。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。国内外の大学で哲学、心理学、宗教学といった学問を横断し、帰国。現在は、本やアートを題材にしたコラムやレビューを執筆している。舞踊、演劇、すべての身体表現を愛するライターでもある。

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