「月」が放つ魔力は私たちの魂を奪い去る。小田雅久仁の描く神話的世界

横田かおり 本の森セルバBRANCH岡山店

『残月記』双葉社
小田雅久仁/著

 

 

月の光は、人の心を惑わせ誑かし、そしていつしか魂までをも奪い去る。
夜ごと空に浮かぶ月にこのような作用があるのだとしたら、人々は恐怖によって狂気の道へと進むことを止められないだろう。
美しさの象徴である月に冷徹な猟奇が秘められているとして「私」には関係ないことだと思い込んでいたとすれば、なおさら。
空に月が昇る限り、私たちはその傘下から逃れることはできない。
満ち欠けにたやすく左右され、重力に圧し掛かられた身体をもつ私たちは、赤子のように柔く脆い。逃れられない月の悪しき力は真実が覆い隠された世界でより一層の力を増し、その触手を伸ばしつづけている。

 

物語には、月によって同姓同名の他人と人生をすげ替えられた男の物語である「そして月がふりかえる」。
胸に月景石という石を埋め込んだ人々の世界と、現実世界の“私”がクロスする「月景石」。
そして月昂という忌まわしき疫病が蔓延る世界に生れ落ちた男の生涯を描く、表題作の「残月記」の三作が収められている。

 

「そして月がふりかえる」では、満月の夜、異様なまでに月を見つめていた家族が振り向いたときから「彼」の人生はあっけなく奪われたことを知る。
長年連れ添った妻、可愛い盛りの子どもたちは月に記憶を改ざんされたかのように、もう「私」を認識しない。何十年という月日を費やし手に入れたのものですら、ほんの一瞬目を離した隙に取り上げられる。絶望に打ちひしがれる男に手をさしのべる人などおらず、思い出を共有するものはもはや誰ひとりとしていない。
月によって家族を奪われ、人生を奪われた男はこれから「仲間」と出会ったとして、もう二度とあの日々を取り戻すことはできないだろう。
恐怖の底へと突き落とす物語は、その前で佇む私の日常にまでやがて影を落としていく。

 

「月景石」では、男と同棲しながらも自身の幸福について考えると漠然とした不安に囚われる女の現実世界と、石を胸に宿した人々が聖なる樹の復活のために捕らえられる幻想世界の二つの世界が「夢」を媒介としながら奇妙にリンクしていく。
石を胸に宿す人々は「石抱き」と呼ばれ、特別な能力を持つことで民衆に崇められている大樹へと近づく権利をもつ。しかし、実はそこには宗教支配による弾圧の様相が色濃くあり、魔女狩りにも似た彼らへの迫害や残虐行為がある。畏敬なる神への捧げものは石を宿してしまった人々の生身の身体であり、あたたかく流れる血だ。
しかし、最高の「生贄」を手に入れた樹が世界に再び根を張り茂らせるとき、捧げられた命は奇跡のように再び息を吹き返そうとする。
ここから始まる物語の行く先も結末も、私たちには想像のしようがない。けれど、壮大な破壊とともに表出した神話的世界が今まさに花開かんとする気配が感じられるようではないか。

 

「残月記」は、月昂という病に罹ることによって抱えきれないほどの情動と、特殊な能力を得る代償としての逃れられない「死」を背負ってしまった男の物語が描かれている。
月昂に罹患することが最大悲劇の世界において、感染者は人権をも剥奪され、隔離施設で死を待つだけの日々を送るしかない。
満月の力によってその病力が増すとき、性犯罪を犯すものもあれば、人を嬲り殺すものもあり、しかし芸術にその力を発揮するものは神の領域に迫る作品を遺すものもあった。
隔離施設で出会った「冬芽」と「ルカ」はある条件のもと夜をともに過ごす時間をえる。月の周期に翻弄されながら生と死の狭間で身体を重ねるふたりのあいだには、いつしか「愛」が芽生えていく。それは縋るしかない脆い命への求心であり、ここにいるたしかな私という自らの存在を証明するための心許ない命綱でもあった。
命の存続危機に晒されていない者には決してたどり着けず、口に出すと壊れてしまう愛の息吹がふたりの間に生まれ芽吹かんとする。国に愚弄され社会からもつま弾きにされたふたりにはともにいることが唯一の救済であり、居場所であった。
ふたりの道は分かれても、心に住まい続ける存在は生涯をもってその人を鼓舞し、命の糧を恵みつづける。究極の愛などと言うことすら憚れるような愛の姿が物語のなかにはあって、あまりに眩く鮮明な光をはなつ。

 

物語は、すぐ隣でひそやかに息を潜めながら、“こちら”の世界で生きている私たちの首に容赦なく鋭利な刃物を突き立てる残忍さを覗かせ、もう隠すことすらしない。冷たい刃物をかざされたら最後、逃げおおすことなどできないだろう。
時にはナイフになり、背中に伸びる影となるそれは、証拠を一切残さぬタイミングを計りながら、死の世界へ容赦なく引きずり込む。
私たちの眠りを、まぐわいを、すべての人々の夢をすべからく見つめる月が “その瞬間”を間違えるはずはない。
月が狙うのは、私たちの魂の死だ。
母のような眼差しを見出し崇め、そんなものははなから幻だったと餌食になった途端に気づくのだろう。母なるものの象徴としての月はその仮面をとっくの昔に葬っていた。なのにまだ、私たちは月の企みにも気づかず、やさしい母のままの頃の面影を想い、祈りを託す愚かな存在だったのだ。
しかし、物語の力によって私たちはいま足止めをくらっている。月明りによって朧げに立ちあがった世界を現実だと錯覚し、幻想を真実だと捉えたまま突き進んでいくことはあまりに危険なことなのだと、重くなった足が、霞がかった視界が教えてやいないだろうか。
月の裏側、砂漠が広がる側面では、何人たりとも生を続けることなどできない。
奪い導き、穿つもの。月の正体を知った私たちには、真実の物語を再びこの手にとり戻すほかに生き抜くすべは残されていない。

 

研ぎ澄まされた聴覚に真実の旋律が聴こえてくる。
この旋律を決して忘れることなきよう。
この鼓動を、二度と奪われることなきよう。

 

高らかな警鐘と溢れんばかりの祈りが同時に紡がれた物語は、心に深く根ざし大きな樹へと育っていく。

 

目醒めの世界への入り口を指し示すかのように悠然と。

 

この記事を書いた人

横田かおり

-yokota-kaori-

本の森セルバBRANCH岡山店

1986年、岡山県生まれの水がめ座。担当は文芸書、児童書、学習参考書。 本を開けば人々の声が聞こえる。知らない世界を垣間見れる。 本は友だち。人生の伴走者。 本がこの世界にあって、ほんとうによかった。1万円選書サービス「ブックカルテ」参画中です。本の声、きっとあなたに届けます。

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