後世に残すべき警告書!背筋の凍るような選挙戦の裏側『WHAT HAPPENED』

南美希子 TVコメンテーター・司会者・エッセイスト

『WHAT HAPPENED 何が起きたのか?』光文社
ヒラリー・ロダム・クリントン/著

 

オバマ前大統領の演説にはいつもながら唸らされる。先般、米中間選挙の応援演説の際にイリノイ州の大学での聴衆を前にオバマはこう言い放った。

 

「トランプ大統領は米国の歴史の暗い一面である。そして、彼は病気の原因ではなく、症状なのだ」

 

世界に蔓延する「過剰な孤立主義」という病。当然トランプ氏自身がその原因であるはずもなく、症状ともいえるトランプ現象は多くの国々に広がりをみせている。

 

就任当初は、「自由貿易体制を非難し、国民の生活水準を下げた元凶を告発した実利的政治家」などともてはやす専門家もいたけれど、TPPからの脱退・米大使館エルサレム移転・イラン核合意からの離脱・米中貿易戦争……と現在進行形で世界秩序が掻き乱され続けていく。国際情勢に疎い私でさえ、我が国にも類が及ぶのではないかと冷や冷やしながら傍観する毎日だ。

 

実利は一向に見えない、世紀のエンターテイメントショーを一方的に見せつけられたような6月の米朝首脳会談と言い、今のところ「いいこと・ためになること」は何一つも起こっていないように思う。特に昨今のトランプの政策は全て次の選挙目当てとさえ疑ってしまうのだ。

 

思えば、人類が馴染んできたこれまでの世界が今後も存続していくのだろうか怯えるようになったのは、すべてあの日が起点だった。そう、2016年11月8日。アメリカ大統領選におけるヒラリー・クリントンの予期せぬ敗北の日だ。いくら日本の同盟国とは言え、海の向こうの他の国の大統領選挙にこれほど関心を持ったのはあれが最初で最後かもしれない。何を隠そう私は、自己顕示欲の塊で政治経験も入隊経験もなく、女性をさげすむ発言を公然と発するあの薄情なオトコだけには勝たせたくない、と固唾を飲んで選挙戦の行方を見守っていた者の一人だ。そして、耳を疑うような結果に接し、思わず呟いたのは、奇しくもこの本のタイトル「何が起こったの?」という一言だった。

 

前置きがとても長くなってしまったが、敗北により世界を混沌へ導くことになったもう一方の当事者、ヒラリー・クリントンによる『What Happned』は513ページにわたる大作であることに少々怖気を抱きながらも、読まずにはいられなかった1冊だ。

 

まずは、あの世紀の選挙戦を追体験するような思いでぐんぐん引き込まれていく。世界的人気を誇るアーティストでさえ体験しきれないような苛烈なスケジュールをこなし、地球の全人類に近い数の人々の耳目に晒されるとはどういうことなのかがリアリティをもって描かれている。女性であるがゆえに注がれる視線もより好奇に満ちていたはずだ。熱烈な共感・待望の一方で、人格を打ち砕かれるような罵詈雑言。これほど激しい毀誉褒貶の狭間で、よくつぶれず狂わず生きぬいたものだと感嘆する。つまりは全てに持ちこたえ、打ち勝てる知力・体力・精神力を持った人間にだけ与えられるギフティドの物語なのだと思いながら本書を読み始めた。

 

ところで、「ガラスの天井」という言葉が80年代あたりからから頻繁に登場するようになった。女性の昇進を阻む男性優位の閉鎖社会を指す言葉だが、私自身が最も多くこの言葉を耳にしたのはヒラリー・クリントンの口から発せられた時だったように思う。

 

今回の敗北に際しても、「最も大きなヒビを入れることが出来た」と表現し、やはり彼女は「ガラスの天井」を持ちだして幕を引いた。当然ながら本書でも「ガラスの天井」は首尾一貫した争点だった。「性差別と女性嫌いが2016年の大統領選では重要な意味を持った」とはっきり書いている。メール問題をはじめ彼女の足を引っ張り続けた事象の数々を、「私が女性だからだと思うのだ」とまで言い切っている。

 

しかし、投票者の37%を占める白人女性に見放されたことが彼女の敗因の一つではなかったのか。彼女の超エリート的経歴と冷たい知的割り切りのイメージが反発を喰らったことは想像に難くない。女性に支持されない女性であるという皮肉は彼女が最も認めたくないところなのだろう。私がヒラリー・クリントンに同調できない点は、性差別を持ち出すところ1点だけで、個人的にはそれが残念でならない。ファーストレディという稀有な経験は女性でなければできないのであって、それがヒラリー・クリントンの政治経験の原点なのではないのかという自己矛盾をどうしても感じてしまうのである。傍から見ると、そのあたりをもう少ししなやかに割り切れないものかと思うが、彼女の直面する現実はもっと苛烈なのかもしれない。

 

と少々反発を覚える箇所も通過し、長い読書の旅が終章に差し掛かった頃、再び一気呵成に引き込まれていく。本書が後世に残すべき警告書として大きな価値を持つとしたら、この終章に書かれたことに注目すべきだろう。ずばり、それはこの選挙戦に対するクレムリンの介入についてだ。電子メール問題はヒラリー・クリントンのアキレス腱となり彼女を苦しめつづけたことは本書でもしばしば触れられている。

 

しかし、実際は電子メールのアカウントのハッキングとファイルの公表にだけにとどまらなかったというのだ。モスクワは精巧な情報戦を大規模に繰り広げ、ソーシャルメディアを操作し、宣伝やフェイクニュースをまき散らしたというのである。つまり、世界中の民主主義が洗脳にも似た巧みなフェイクニュースによって操られ破壊されることに今世界は直面しており、自分こそその被害者なのだとその戦慄すべき実態を彼女は訴えているのだ。その勇気に敬意を表したい。戦争は益々サイバー空間で行われるようになり、気付かないうちに選挙という民主的方法が破壊されていくとしたら……。背筋の凍るようなことがこの選挙戦の裏でなされていたとしたら。目を覆うような恐ろしい症状が世界を覆い尽くさない前に我々は立ち上がらなければならないという思いを喚起させられる。

 

さすがヒラリー・クリントンは転んでもただでは起きない人なのである。

 

ー今月のつぶやきー

ウィッグマニアの私。先日のヨーロッパ旅行には5つのウィッグ持参で。

 

『WHAT HAPPENED 何が起きたのか?』光文社
ヒラリー・ロダム・クリントン/著

この記事を書いた人

南美希子

-minami-mikiko-

TVコメンテーター・司会者・エッセイスト

元テレビ朝日アナウンサー。 フジテレビ「バイキング」・ニッポン放送「エンターテイメント・ネクスト!」などに出演中。美容・アンチエイジングに関する造詣も深い。supernovaのユナクファンとしても知られている。

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