「談春七夜」【第31回】著:広瀬和生
広瀬和生『21世紀落語史』

21世紀早々、落語界を大激震が襲う。
当代随一の人気を誇る、古今亭志ん朝の早すぎる死だ(2001年10月)。
志ん朝の死は、落語界の先行きに暗い影を落としたはずだった。しかし、落語界はそこから奇跡的に巻き返す。様々な人々の尽力により「落語ブーム」という言葉がたびたびメディアに躍るようになった。本連載は、平成が終わりを告げようとする今、激動の21世紀の落語界を振り返る試みである。

 

「談春七夜」と題する7日間連続の独演会が10月3日から9日まで東京芸術劇場小ホール2で開催されることが発表されたのは、2006年の「大銀座落語祭」が終わって数日後のことだった。チケットの発売日は7月28日だったが、発表はその1週間前くらいだったと記憶している。

 

本格的な落語ブームが訪れている中での「談春七夜」開催は大きな話題となり、チケットは発売直後に完売。僕自身は頑張って全日程のチケットを確保したが、「取れなかった」と嘆く知人も多かった。1週間後には「10月8日午後2時から追加公演決定」と案内され、「今度は取れないかも」と焦ったが、何とか取ることができてホッとした。

 

事前に案内されていたのは各公演にテーマカラーが設けられているということだけで、演目やゲストなどの発表は一切なかったが、落語ファンはこのイベントが「志ん朝七夜」を模したものであると感じていたし、談春自身も「志ん朝七夜ごっこです」という言い方で、それを裏付けていた。

 

「ごっこ」とは言っても、それは談春が「俺が志ん朝のような存在になる」と宣言したのと同じことで、快く思わない向きも多かった。当時は関係者・落語ファンのどちらにも「アンチ立川流」が根強く存在していたからだ。

 

もちろん談春も「七夜」開催が不穏な空気を生み出すことは百も承知だったろう。それでも、あえて「七夜」というタイトルを打ち出したことは、彼自身のキャリアにとってのみならず、落語界全体にとっても大きな意味を持っていた。

 

「二十年目の収穫祭」で「志ん朝がいなくなった落語界における自分のあり方」を見つめた談春の、次のステップが「談春七夜」だったのである。

 

10月3日、「談春七夜」開幕。第一夜のテーマカラーは「東雲」。入口で受け取った和紙製パンフレットは三つ折りとなっており、「東雲」と書かれた東雲色の小さなシールで封がしてある。中を開けると談春自身による文章がしたためられており、そこにはこのイベントが「志ん朝七夜」を意識したものであること、東雲にちなんだ噺として『芝浜』をやることが書かれている。

 

番組表(演目欄は空白)を見ると、開口一番は柳家三三。談春は三三が二ツ目の頃から彼の技術を高く評価しており、この年の6月に紀尾井小ホールで開かれた「柳家三三真打昇進記念公演」にも出演して口上に並んでいた。その経緯から三三がゲストというのは納得だが、「小三治一門で将来を嘱望されている本格派」の三三がこの記念すべきイベントに参加していることは意味深く思えた。

 

開演すると、まずは談春がマイクを持って袖から登場、立ち姿で挨拶を述べる。

 

「この七夜を、伝説にしましょう。『名人談春のスタートラインは、あの七夜だった』ということにしちゃいましょう。放っておくとこの先、名人というのは出てきません。だったら、観客の皆さんがこれを伝説にしてください。私だって実は『志ん朝七夜』を観てないんですから。伝説は、観た人が創るもの。談春は名人だ、と皆が言い続ければそうなります。私は、もう逃げません」

 

堂々たる「名人宣言」だ。

 

以下、「談春七夜」全公演の演目を記しておく。

 

<第一夜:東雲> 10月3日

柳家三三『転宅』

立川談春『粗忽の使者』

~仲入り~

立川談春『芝浜』

 

<第二夜:雪> 10月4日

柳家小菊(俗曲)

立川談春『錦の袈裟』

~仲入り~

立川談春『除夜の雪』

立川談春『夢金』

 

<第三夜:闇> 10月5日

柳家三三『引越しの夢』

立川談春『首提灯』

~仲入り~

立川談春『妾馬』

 

<第四夜:緋> 10月6日

柳家三三『大工調べ』

立川談春『おしくら』

~仲入り~

立川談春『たちきり』

 

<第五夜:海> 10月7日

桂吉坊『蔵丁稚』

立川談春『桑名舟』

~仲入り~

立川談春『居残り佐平次』

 

<白昼祭:山吹> 10月8日昼(追加公演)

柳家三三『道灌』

立川談春『紙入れ』

~仲入り~

立川談春『木乃伊とり』

 

<第六夜:蛍> 10月8日

柳家三三『乳房榎:おきせ口説き』

立川談春『乳房榎:重信殺し』

~仲入り~

立川談春『棒鱈』

 

<第七夜:銀> 10月9日

柳家三三『突き落とし』

立川談春『小猿七之助』

~仲入り~

立川談春『庖丁』

 

最終日、『庖丁』が終わって幕が降りても誰も席を立たず、鳴り止まぬ拍手に応えてカーテンコール。「思ったほど、良くない日がなかった。お客様に助けられました」と振り返った談春は、「名人というのは、お客様に乗せられて創られる、ということを初日に言いました。皆さんの信頼を裏切らないようにしたい。万感の思いを込めて、ありがとうございました!」と、深々と礼をしてイベントを締めくくった。

 

7日間の演目とそれぞれの演出を振り返ったとき、「志ん朝七夜ごっこ」と見せたこのイベントの本質は、談志の弟子としての談春の「師匠の芸と理念を継承しつつ、それを超えたところを目指している」という決意表明だったように、僕には思えた。

 

だからこそ、「談春七夜」は「伝説」となり得たのである。

21世紀落語史

広瀬和生(ひろせかずお)

1960年生まれ。東京大学工学部卒。ハードロック/ヘヴィメタル月刊音楽誌「BURRN! 」編集長。落語評論家。1970年代からの落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に生で接している。また、数々の落語会をプロデュース。著書に『この落語家を聴け! 』(集英社文庫)、『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)、『談志は「これ」を聴け!』(光文社知恵の森文庫)、『噺は生きている』(毎日新聞出版)などがある。
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