沖縄・市場界隈へ、アジアのにおいを探しに
下川裕治「アジア」のある場所

ryomiyagi

2020/10/23

コロナ禍で海外旅行に出られない日々が続きます。忙しない日常の中で「アジアが足りない」と感じる方へ、ゆるゆる、のんびり、ときに騒がしいあの旅の感じをまた味わいたい方へ、香港、台湾、中国や東南アジアの国々などを旅してきた作家の下川裕治が、日本にいながらアジアを感じられる場所や物を紹介します。

 

 アジアの街にはにおいがある。
 決していいにおいではない。炒めたニンニク、魚醤やガピと呼ばれることが多いエビ味噌などの発酵食品、車の排ガス、人々の汗……そんなものが混じりあっている。
 たとえばバンコクのバックパッカー街に夜に着く。ザックを背負い、宿を探す。つらい時間だ。そのとき、街のにおいにアジアを感じている余裕などない。そもそも自分の体が汗臭い。そういえば昨夜から列車に乗りっぱなしだった……。
 しかしにおいというものは不思議なもので、そのときの意識とは関係なく、脳裏の奥底に刷り込まれていく。そして、静かに、息を潜めるように、しかし決して消えることなく残っている。
 体内に入り込んだ結核菌のようだ。健康な状態なら、菌は封じ込められているが、免疫力がさがると一気に増殖していく。

 

 においに反応するその瞬間は、唐突に現れる。
 沖縄の那覇。公設市場。そのなかに入り込み、周辺を歩いたとき、体のなかに潜んでいたアジアのにおいの記憶が目を覚ましてしまった。
「そのとき寒気を感じるんですよ。風邪のひきはじめのような」
 そういう友人は多い。アジアを歩き、沖縄の市場に足を踏み入れたとき、音をたてて記憶が増殖をはじめる。それは不快でもある。しかしその違和感は、やがて体のなかに格納されていく。
 はじめて那覇の公設市場を訪ねたのは36年も前だ。そのときは、台湾から船で石垣島に渡り、さらにフェリーで那覇に着いた。おそらく那覇の公設市場にも行ったと思うのだが、まったく記憶がない。おそらく僕の体はアジアのにおいをまとっていて、平坦な道のりのなかに那覇の市場があったような気がする。

 

写真/中田浩資

 

 寒気を感じるほどアジアを感じたのは、その翌年だった。昭和が終わった年だった。
 昭和天皇が亡くなり、週刊誌の仕事で沖縄に向かった。西表島でかつて炭鉱で働いていた台湾人から話を聞いた。
「あなたにとって昭和天皇はどう映るのですか?」
 いまになって思えば、それはその後の沖縄を暗示させる問いかけでもあった。平成の時代に入り、沖縄の本土化は静かに、しかし着実に進んでいくことになる。しかし当時の僕は、こと沖縄についていえば、まだその入り口にも立っていなかった。
 西表島の帰りに那覇に寄った。公設市場に足を踏み入れた。それは嵐のなかに放り込まれたような感覚だった。そこにはアジアのにおいがあったのだ。決していいにおいではない。アーケードの下には湿った暑い空気が垂れ込めていた。削り節のようなにおいに、カビや線香のにおいが絡まっている。柔らかい甘さと排ガスのにおいが混じっている。そして人々が発する汗の饐(す)えたにおい。
 アジアがあった。

 

 当時の僕は、3~4ヵ月、日本で働き、2週間ほどアジアに向かうような日々をすごしていた。日本にいると、どこか体が重くなっていくような感覚に陥っていく。しかしアジアの空港に降り立つと、日本の磁場から解放された。
 しかし沖縄があったのだ。
 それから僕は沖縄にのめり込んでいくことになる。周囲からは沖縄病ともいわれた。しかし僕の感覚は少し違っていた。アジアから沖縄までは平坦な道がつながっているという安心感といったらいいだろうか。那覇の空港に着くと、そんな安堵に包まれていた。
 那覇の公設市場には足繁く通うことになる。市場に入り、2階にあがるエスカレーターの手前に、大城(おおしろ)のオバァの店があった。オバァとは沖縄方言でおばあさんのことだ。スクガラスというアイゴの稚魚の塩辛を買ったことが縁で、顔を覚えられてしまった。前を通ると笑顔を送ってくる。この店で、沖縄という世界は定価社会ではないことを知った。アジアだった。なにかを買うと、シーブンと沖縄ではいうおまけを必ずくれた。米軍基地から流れ出たような英語表示だけのガムやチョコが多かったが。
 そして沖縄ブームを迎える。沖縄を研究する社会学系の専門家は、ブームをつくりだしたのは、映画の「ナビィの恋」、NHKの朝のドラマ「ちゅらさん」、そして僕が制作にかかわった書籍「沖縄オバァ烈伝」と分析する。「沖縄オバァ烈伝」には大城のオバァも登場した。そこに共通していたのは、沖縄のオバァだった。

 

写真/中田浩資
写真/中田浩資

 

 あれから20年近い年月がたった。
 先日、那覇で知人と会った。彼とは沖縄本を何冊かつくった。
「最近、オバァという言葉を使わないほうがいいっていわれるんですよ。新聞社や出版社から」
 僕もそれは知っていた。ババアというようなニュアンスがあるという人もいる。しかし沖縄では、オバァ自ら、「オバァはねぇ……」という。その柔らかなニュアンスがブームの入口だったと思うのだが。
 この20年で、沖縄の本土化は急激に進んだ。そして公設市場も建て替えられることになった。いまはシートで囲まれている。
 そんな公設市場界隈を歩く。すっかり薄くなったアジアのにおいを探す。まるでマーキングした場所を探す犬のように。

 

「アジア」のある場所

下川裕治(しもかわゆうじ)

1954年松本市生まれ。旅行作家。『12万円で世界を歩く』(朝日新聞社)でデビュー。おもにアジア、沖縄をフィールドに著書多数。『「生きづらい日本人」を捨てる』(光文社知恵の森文庫)、『世界最悪の鉄道旅行』(新潮文庫)、『10万円でシルクロード10日間』(KADOKAWA)、「週末ちょっとディープなベトナム旅」(朝日新聞出版)、「ディープすぎるシルクロード中央アジアの旅」(中経の文庫)など著書多数。
YouTube下川裕治のアジアチャンネル

<撮影・動画協力>
阿部稔哉(あべ としや)
1965年岩手県生まれ。フォトグラファー。東京綜合写真専門学校卒業後、「週刊朝日」嘱託カメラマンを経てフリーに。

中田 浩資(なかた ひろし)
1975年、徳島市生まれ。フォトグラファー。97年、渡中。ロイター通信社北京支局にて報道写真に携わる。2004年よりフリー。旅行写真を中心に雑誌、書籍等で活動中。
https://www.nakata-photo.jp/
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