2020/10/29
吉村博光 HONZレビュアー
『おとなになるのび太たちへ』小学館
まんが/藤子・F・不二雄
欲しい本があるというので、小学校1年生の息子と一緒に本屋さんに行った。店に着くと息子は、ズラリと並んだ『ドラえもん』の中から5巻を取り出した。そして、棚を眺めながら、本当は6巻も欲しいんだよね、と悔しそうに呟いた。『ドラえもん』といえば、初めて私が父に買ってもらった本である。
私は嬉しさを隠せず、遠慮しなくていいよ、と言ってしまった。結局、7巻まで買って家に帰ってきた。やられたと思った反面、とっても爽やかな気持ちになったのを覚えている。毎朝、お気に入りのYoutubeちゃんねるをチェックする現代っ子でも、根っこは昔の小学生と同じだと感じたからだ。
さて本書は、多くの子どもたちが憧れる職業についた10人の大人が『ドラえもん』から選りすぐりの1話をレコメンドする本だ。漫画の本編が収録されているだけでなく、それぞれの思いが詰まったお薦め文が添えられている。いまをときめく人たちも、みんな等しく子供だったことがわかって、ジワジワと楽しい読書だった。
なかでも私が好きだったのは「あやとり世界」という話だ。のび太は勉強も運動も苦手だが、あやとりは大得意。しかし、新しい技を発明しても誰も関心を示してくれない。そこで「もしもボックス」という秘密道具を使って「あやとりの上手さで人の値打ちが決まる世の中」に変えてしまう、というストーリーである。
オチは本書で読んでいただきたい。注目したいのは、本作をレコメンドしたのがeスポーツプレイヤーの梅原大吾さんだという点である。昔はゲームも、あやとり同様「そんなことしてないで勉強しなさい」といわれるようなものだった。しかし、いまやそれを仕事にできるようになった。本書から、梅原さんの言葉を引用したい。
何に価値があって何にないかなんて、それぞれの中にきちんとした基準なんかなくて、周りがなんとなく決めたこと ~本書「あやとり世界」より
私は子供の頃から競馬が大好きで、競馬関係の仕事に就きたいと思っていた。しかし、父親に「大学まで出て、やる仕事か!」と大反対されて、出版の世界に飛び込んだ。今でこそ、競馬サークルには大卒の記者や厩務員などが大勢いる。しかし、当時は珍しかったのだ。「あやとり世界」と梅原さんのお薦め文を読んで、その頃のことを思い出した。
このように本書を読むと、自分の子供の頃を思い出し、失ったものに気づくだろう。しかしそれによって、下を向かされることはない。肩の力が抜け笑顔になって、前に進むための力がみなぎってくる。そして、あらためて『ドラえもん』という作品がもつ、はかりしれないパワーに気づかされると思う。
他に作品をレコメンドしてくれるのは、次の方々だ。
猪子寿之/アート集団チームラボ代表 梅原大吾/eスポーツプレイヤー 梶裕貴/声優 亀山達矢(tuperatupera)/絵本作家 菅田将暉/俳優 田村優/プロラグビー選手 辻村深月/小説家 なかしましほ/お菓子研究家 はなお(はなおでんがん)/YouTuber 向井千秋/宇宙飛行士
個性的な活躍をされていて、話を聞いてみたくなる方たちばかりではないだろうか。ここで人とお薦め作品を結ぶクイズを出すつもりはないが、作品のほうも「さようなら、ドラえもん」「オモイコミン」「ぼくよりダメなやつがきた」「思い出せ!あの日の感動」など、とっても滋味深いものばかりである。
ちなみに、私がデスクで本書を読んでいるとき、息子はヨギボーの上でのび太のように脚を組みながら『ドラえもん』を読み返していた。やがて見せたい箇所があったのか、「ねぇパパ」とニヤニヤしながら、本を持って私のデスクに近づいてきた。するとどうだろう。なんと、パパもドラえもんを読んでいるではないか!
しかもそれは、彼にとって未読の『ドラえもん』なのである。私は、本を息子に奪われてしまった。それが「あやとり世界」を読んだ直後だったため、その読後感が強く残ったのかもしれない。ただ、本書に収録された作品はいずれ劣らぬ名作揃いなのだ。その後何度も、息子がこの本を借りに来たのは言うまでもない。子供と一緒に思い出がつくれる本だ。
『おとなになるのび太たちへ』小学館
まんが/藤子・F・不二雄