2022/08/16
馬場紀衣 文筆家・ライター
著者は詩の世界で最高峰とされる新人賞・中原中也賞を受賞した若き現代詩人。表題の『美しいからだよ』は、「美しい体よ」と「美しいから、だよ」のダブルミーニングだ。
なめらかであたたかい砂漠の真ん中で、穴を見つけた。ちょうどぼくの腕が入りそうな大きさで、中を覗くと底の方がわずかに赤いような気がした。
腕を奥まで進めると、何かが触れた。よくなぞれば、君の歯の裏の気の遠くなるような柔らかさ、それだけが指先に集まってくる。(「シェヘラザード」)
私をダイヤにしてあなたはどうしたいんだろうか、たずねても答えてはくれなさそうだった、私、あなたの指の上で、一生眠っていられたら幸せだって思います。(「モーニング」)
印象的なのが、会話体の詩行だ。言葉の掛けあいは小説にも似た味わいがあって、物語性が極めて高い。まるで小説を読んだような読後感を与えてくれる。性や性行為そのもの、舌や歯や皮膚や爪といった肉体をめぐる比喩が多く登場するのも興味深い。それはやがて人間の「生」や「死」というテーマにも繋がっていく。
たとえば「運命」は、姉の様子を弟の目線から描いた作品だ。朝、やかんを火にかけてから沸騰するまでの間に忽然と消えてしまった姉。夜になって姉が帰宅すると、弟は暗闇のふとんから抜け出して今朝のことを訪ねようとする。しかし姉が見せてきたのは、透けた手のひらだった。
「透明だ」
「でも、感覚はあるのよ。透けているだけだから」
姉は、何がおかしいのかちょっと含んだ笑いをする。
「……手首」
「なに?」
「手首、透けてしまいそうだね」(「運命」)
またべつの日、姉がやかんを火にかけている音を聞いた弟が自室を出ると「シュウ、といきなり火が消え」て、姉の声だけがする。この詩人の世界では、肉体という確固たる形をもち、存在感を放っているはずの人間が、日常のひと場面のなかでいとも簡単に喪失してしまう。この喪失はまた、「生」を濃く、鮮明なものにしてくれる。そして普段はあまり意識されることのない肉体のリアルが立ち上がってくる。偶発的な出来事によって日常が不条理へ傾いていく様や、『千夜一夜物語』から題材をとった作品、古典的かと思えば漫画的だったり、どの作品も鮮やかな語り口で読者を楽しませてくれる
『美しいからだよ』
水沢なお/著